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2019年 関西旅行記Vol.3

高野山・宿坊体験と奈良散策

旅程                                         
4日目 ●高野山 和歌山県伊都郡
 〇九度山駅 和歌山県伊都郡
 〇高野山ケーブルカー 和歌山県伊都郡
 〇奥の院 和歌山県伊都郡
  ◎水向地蔵 和歌山市伊都郡
  ◎御廟橋と弘法大師御廟 和歌山市伊都郡
 〇金剛峯寺 和歌山市伊都郡
 〇遍照光院 和歌山市伊都郡



閑話 ●大失敗
食べたもの ●御座候(今川焼) 新大阪駅・構内
泊まったところ ●遍照光院 和歌山市伊都郡

4日目   23,359歩
19/05/16 高野山

JR奈良駅→新今宮(南海へ乗換)→橋本→極楽橋(南海高野山ケーブルへ乗換)→高野山駅。 乗換3回、所要時間・約3時間、乗車料金@1820円。高野山駅からバスで高野山へと向かう。

19/05/16 九度山駅

ホーム

南海鉄道・橋本駅から3つ目の駅が、 戦国武将・真田昌幸と信繁(幸村)父子が家康に蟄居を命じられた地・九度山(標高94m)。 一瞬 真っ赤なモノが網膜をかすめ、電車は走り過ぎてしまった。 赤いモノの正体は「真田の赤備え」にちなみ赤地に真田の家紋「六文銭」をあしらった陣幕や暖簾。 かつて、幸村を主人公としたNHK大河ドラマの放映を機に、駅舎を真田仕様に改装したそうな。

九度山から大坂までの抜け穴を通り、幸村はこの地を脱出したと言われている。 かくして、秀頼が待つ大坂城へ参じ「大坂の陣」で壮絶に散った。 ここは、山に囲まれ息を詰めた様にひっそりとした小さな町。 とても、想像がつかない。




車窓風景

九度山駅から2駅目・下古沢駅あたり
(標高177m)



19/05/16 高野山ケーブルカー

今年3月から運行の新車両
斜め下に削いだ様な前面が
斬新

極楽橋駅から、ケーブルカー(正式名 南海鋼索線)へ乗継ぎ。 標高539mの極楽橋駅から距離0.8km、高低差328m(東京タワーとほぼ同じ高さ)の高野山駅へ 約5分で一気に駆け昇る。 車内で振り返ると、まるで劇場の高い座席から谷底を覗く気分。

ケーブルカー内部

車内にして、この高低差



いざ、高野山駅へ出発




高野山駅からバスで一の橋へ



19/05/16 奥の院
 
平安初期の僧・弘法大師(空海)は、真言宗の開祖。 853年、62歳の時 高野山・奥の院で「入定」(断食の末、死ぬこと)したとされる。

一の橋

ここから弘法大師御廟まで2km



高野山町石道
(国指定遺跡・世界遺産)




お化粧地蔵

綺麗に化粧をしてあげると美人になる
どんだけの思いを受け止めたのか、
まるで「おてもやん」の厚化粧



紀州徳川初代藩主・頼宜の墓

初代から5代までが平屋マンション様に横一列に
苔生した墓石が長い時の流れを物語る



伊達政宗の墓




参道

両脇は、樹齢千年を超える杉や高野槙



石田三成の墓




明智光秀の墓




豊臣家墓所・県指定史跡

秀吉と母と弟・秀長・その妻ほか豊臣家の人々



織田信長の墓

供物が絶えぬそうな



20余万基の墓碑の中には、戦国時代に名を馳せた武将たちも多い。 というか、勢ぞろい。中でも一番人気は、織田信長。

信長以降に栄華を手にした秀吉は、かつての主・信長とあの世でどんな力関係を結んだか。 「難波のこと」を知らぬ信長の草履を懐に温め、忖度しているだろうか。 本能寺で信長を討った家臣・明智光秀の墓も、とても近い。 死後の棲家がこんなに“ご近所さん”になるなら、何も現世で命のやり取りをする事はなかったろうに。 この世での諍いが、塵芥の如く些末なことに思えてならない。

老杉の間から木漏れ日が射し込み、墓碑をまだらに炙りだす。 著名人のみならず、一般人をも。 各人の思い・喜び・悲しみ・憎しみが、長い時の流れに浄化され、醸し出された 荘厳で粛々とした空気の中に、いつしかすっぽりと包み込まれる。 「これぞ、聖地・高野山!」と感動する間もなく、 擦れ違った外国人グループの賑やかな声に、静寂は破られてしまった。 彼らは、ド派手なタッドをあしらった脛全体と二の腕を露わにし、参道を闊歩。 今日は外国人観光客が多く、申し合わせた様にこんな風体が多く見受けられる。 そういえば、奈良駅前を歩く外国人観光客達にしても、同様。イマドキの流行か?「郷に入っては郷に従え」。 せめて、世界遺産・高野山の神聖な霊域では、小さな心遣いを願いたい。
19/05/16 水向地蔵

奥の院の御廟橋の手前に、ずらり並ぶお地蔵さま。
お地蔵さまの頭に向かい、柄杓の水をバッシャバッシャと投げかけた。 「とどかない」。 ちゃんと掛からなければご利益が無いかもと、爪先立ち弾みをつけ更に一投。 やっと思いを遂げ、横の説明文を読んでびっくり。 なんと「水向地蔵に水を手向け、亡き人の冥福をいのります」と。 どうやら、水掛けではなく水向けと言うらしい。とほほ。
19/05/16 御廟橋と弘法大師御廟(正面奥)

橋から先は霊域

835年 弘法大師(空海)は「祈りにより人々を救うため」ここに即身成仏として入定した。 以来、空海は今も生き続けているとされ、毎日 衣類や食事が届けられているそうな。

さて、千年燃え続けていると言われる燈籠堂へ。 足を踏み入れた途端に、空気がぴたりと止まった不思議な感覚に襲われ、身の引き締まる思いがする。 奥の弘法大師御廟で厳かに参拝を済ませ、燈籠堂の地下へ。 全国から献上された1万6千を超える燈籠に、目は釘付けとなった。 ※御廟橋から先は、撮影禁止。霊域なので、やむを得ないが、残念。
19/05/16 金剛峯寺(こんごうぶじ)

正門
幡龍庭

国内最大級の石庭
雲海の中の一対の龍を表す



天水桶

檜皮葺(ひかわぶき)の屋根の上に桶を置き
雨水を貯めて火事に備えた。



鐘楼

1860年の大火ののち再建された



柳の間

二代目関白・豊臣秀次 自刃の間
心の芯まで凍りそうな空気が漂う。
確認亡失。撮影不可だったら、ご勘弁。



三鈷(さんこ)

密教における法具



お茶とお菓子の接待

新別院と言う大広間にて(無料)
2杯目からは給茶器からセルフで

金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山。 空海により創建、落雷による火災で焼失するも、 平清盛・北条政子・豊臣秀吉などによって再建された。拝観料@500円

主殿の「群鶴図」(斎藤等室 筆)など著名な絵師の手による襖絵や、 白砂の美しさに息をのむ幡龍庭など、見所満載の金剛峯寺の中でも、圧巻は台所。 煤で真っ黒な柱、大きな竈。まるで映画のセット仕様だが、実は江戸期以降 実際に大勢の僧侶の食事を賄ってきた所なのだ。 3つ並んでいる大釜で、一度に2000人分のご飯を炊いたのだと。 今も、折に触れ現役だとか。 このスケールの大きさに、ただただ唖然茫然。ここは写真不可。
19/05/16 遍照光院(へんじょうこういん)

高野山中で格式の高さはトップ級の山門

山門屋根裏の彫刻

著名彫師の作品か?



和室




茶請け

地元の菓子



夕食

ごま豆腐・天ぷらなど精進料理



朝食

がんもの煮物など



平成23年改修の新館和室(トイレ付)を予約したが、ネット口コミの金装飾の襖はなく、 年季の入った黴臭い部屋だった。@13,500円/1人

そもそも、この寺は空海が晩年に住む別坊として建立され、 住職を三条天皇の孫・寛意が務めたこともあり、白河法皇の高野山行幸の折の在所とされた由緒ある寺院。 と聞けば期待はパンパンに膨らむが、目玉の「池大雅の襖絵」は、霊宝館に保管されているそうで、少々肩透かし。

玄関をあがると掃除中の若者に来意を伝え、示された入口近くの部屋で宿泊手続き。 と言っても事務所ではなく、狭い茶の間。真ん中にテーブルが置かれ、囲む様に僧侶が2人寛いで座っていた。 奥の住職は、大きく足を崩し後ろにそっくり返って、無言で私たちを上から下まで舐める様に見て、問うた。 「阿字観体験や写経、やる?」と、有料オプションの利用をタメ口で質す。断ると、彼はつまらなそうに顔を背けた。 請求通りに宿泊代を支払い、市販の領収書を受け取って、私たちは茶の間を後にする。 その間 誰も「ありがとう」どころか「ごゆっくり」すら発しなかった。 何なんだ?決して安くはないお金を取って宿泊を提供するのだ。 「ようこそ」とか「ごゆっくり」の一言もないのか。 仏に仕える身でありながら、 生きた人間は金を運んでくる財布とでも思っているのか。

この日の宿泊は、私と家人、フランス人グループ10数人、中国語圏グループ(たぶん香港)4人。 日本人は私達2人だけ。平日のせいか、大きな宿泊施設の割には、客が少ない。

別室での食事は、生まれて初めての「寺の精進料理」。 種類も多くボリュームも満点で、美味しかった。その点については、満足。 この間に、雑務を担う若手たちは各部屋の布団を敷き、私たちが引き上げた後の食事の後始末をする。 ほとんど客と会話する機会もなく働く彼らは、一所懸命で感じがよいのだが、 彼らよりも古手の僧は、食事会場の入口で作務衣の首から中に手を突っ込んでボリボリと肌を掻いていた。 どうやら、この寺は立場が上の人間ほど態度がよろしくないのか。

翌朝6時半からは、正味40分ほどの勤行が始まった。無料。 時間が過ぎる程にフランス人グループは正座が厳しいらしく足を投げ出した。 終ってから、同行のツアコンが住職にしきりに言い訳をしていたが、 正座習慣のない文化圏の人だもの、無理もない。 次は堂内の案内。住職は得意げに「日本の力」と呟いて、小さな機器を取り出した。 日本語をフランス語に訳してくれる自動翻訳機は、住職の強い味方。

寺宝の快慶作「阿弥陀像」(重要文化財)は、しっとりと落ち着いた雰囲気を醸し出す。 が、如何せん 照明が暗すぎて細部が見えない。残念。

一連の宿泊スケジュールをこなした私と家人。 玄関で靴を履いても「さようなら」も何も無い。 代金を払っているとは言え一宿一飯の恩義もあろうと「ありがとうございました」と奥へ声をかけるも、 「はい、はい」とコダマの様に声だけが返ってくるばかりで、 誰も出てこない。 「勝手に帰れば」声なき声を背中に聞いて、苦い思いで寺を後にした。

帰宅後、何気にネットを見ていたら、この寺の求人募集が目に入った。 調理補助・掃除・その他勤務先宿坊の指定した業務。 すると、見かけた雑務の人たちは修行僧ではなくバイト青年だったのか。

口コミには耳障りの良い言葉が踊っているが、その人たちの本心は如何に。
5日目   13,523歩
閑話
大失敗

高野山の三大観光スポットのひとつ・壇上伽藍。 気が付けば、ここへを訪れる時間を失くしてしまった私達。 そもそも、昨日 金剛峯寺の後に回る予定だった。 が、外へ出ると大雨。外観観覧も大きな魅力の壇上伽藍だけに、明朝へと繰り延べにしてしまったのだ。 処が、今朝は宿坊での勤行と朝食で思いのほか時間をくってしまい、帰りの新幹線の時間を思えば気が急く。 という次第で、今回は無念の思いで壇上伽藍を諦めた。

出発前に、昨年 高野山を訪れた息子が「先に高野山へ行き、その後で奈良の方が良かったんじゃないの」と言った。 奈良から新幹線駅・新大阪までなら何とでもなろう。旅行計画の失敗なり。
19/05/17 御座候

新幹線を待つ間の構内で、発見!名は「御座候」と言う今川焼。 本店は兵庫県姫路にあり、関西では人気が高いそうな。

赤あんと白あんがあり、一個@85円。
北海道十勝産の小豆を使用しているとのことで、あんがたっぷり入っているのも嬉しい。 赤あんの粒あんが美味しいのは、無論のこと。 特筆すべくは、この白あん。混ぜ物ではない純粋な白豆の旨味が、好き。一口でファンになってしまった。

「もっと買えば良かったね」と再び前を通ったら、15人ほどの行列。 さっきは、通りすがりで悠々買えたのに。ちなみに、全国展開をしているが、我が家からは何処も遠い・・・
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