交通費 | 新幹線(東京駅→新大阪) | @10,500×2(往復)×2人=42,000円 |
諸費 | 12,100円 | |
宿泊費 | コンフォートホテル奈良 | @3,850×2名×3泊=23,100円 |
遍照光院 | @13,500×2人=27,000円 | |
食費 | 外食&部屋食など | 7,188円 |
雑費 | 拝観料 | 3,000円 |
総計 | 114,388円 |
1日目 | ●新幹線・こだま | 東京→新大阪 |
●JR奈良駅 | 奈良市 | |
●東大寺 | 奈良市 | |
〇南大門 | 奈良市 | |
〇中門 | 奈良市 | |
〇金堂(大仏殿)前 | 奈良市 | |
〇金堂(大仏殿) | 奈良市 | |
〇二月堂 | 奈良市 | |
〇 法華堂経庫 | 奈良市 | |
〇御髪堂 | 奈良市 |
泊まったところ | ●コンフォートホテル奈良 | 奈良市 |
19/05/13 | 新幹線・こだま |
今回 利用したのは「プラッとこだま」東京⇔新大阪 @10,800円(片道)のプラン。 東海道・山陽新幹線の列車は「のぞみ」「ひかり」「こだま」の3種。一番速いのが「のぞみ」、次が「ひかり」、一番遅いのが「こだま」。 「のぞみ」は東京から新大阪が約2時間半と、速い分 割増料金が設定されており、指定席を利用する場合も「ひかり」「こだま」よりも料金が少々高め。 そもそも、3列車とも車両・設備はほぼ一緒で、スピードの差はどこから生まれるのか。 素朴な疑問が頭をもたげた。 答えはシンプル。最も遅い「こだま」は各駅停車なのである。 電車好きな家人が作った「こだま」走行時間表を目の前の座席の背に貼り付けて、 駅名と時間をチェックしながら進む。 東京から新大阪まで17駅。 たとえば、熱海からだと7分走行し次の駅・三島で6分停車。 ちょこっと走っては、ちょこっと停車。 この停車の間に「のぞみ」や「ひかり」をやり過ごす。 停車時間が6分だと大体2本が追い越して行く。 走ったり停まったり小刻みな走行を16回も根気よく繰り返して、約4時間で新大阪へ辿り着いた 1駅毎が深く意識に刻まれて、妙に愛着が沸いてきた。時間はかかるが、各駅停車も悪くない。 |
19/05/13 | JR奈良駅 |
新大阪駅に到着。 ここからは、地下鉄で「なんば駅」へ行き、そこで近鉄に乗り換え「近鉄奈良駅」へ。 処が今夜の塒の最寄り駅は「JR奈良駅」。両者は、距離にして約1キロ程度離れているのだ。 いづれも奈良の中心駅なので、近鉄駅とJR駅を行き来する人も多いはずなのだが。 「近鉄奈良駅」の地下で飲食店の女性にJR駅への道を尋ねると「歩くの?遠いよ」と絶句され、 逆にこちらが のけぞった。だって、1キロでしょう? 教えを受けた通り三条通りを行く。 奈良の目抜き通りは、歴史ある老舗店と耳慣れた全国チェーンの飲食店や土産店などが混在し、賑わっていた。 ほぼ15分ほどで「JR奈良駅」着。一日の乗降客は近鉄駅の方が多いそうな。 と言う事は近鉄駅は地元の人が多く使っているのか。半面 JR駅あたりは観光客が多く、畢竟 周辺はホテルが沢山建ち並ぶ。 「JR奈良駅」は、春日大社参道の始点でもある。 今歩いて来た三条通りの「ホテルフジタ奈良」脇の敷地を覗けば、建物と建物の間の切り取られた狭い空間に、 緑の芝がゆったりと広がっていた。 そこは「開化天皇春日率川坂上稜(かいかてんのう かすがのいざかみや)」の森。 開化天皇は、実在性が不明瞭な時代の最終期の天皇。 陵墓は、全長約100メートルの前方後円墳である。 築は5世紀前半。 日本書紀によれば、開化天皇の皇居は春日卒川宮(現在の率川神社周辺)で、稜はそこから非常に近く 開化天皇陵の可能性が濃厚と言われているそうな。 |
19/05/13 | コンフォートホテル奈良 |
JR奈良駅から徒歩3分。[ツイン]1泊@3,850円×2名×3泊=23,100円。 駅から極近。朝食が無料。 14:00から24:00までウエルカムドリンク飲み放題。 部屋への持ち込みOK。至れり尽くせりのサービスは嬉しい限り。 歩き疲れて外で食べる元気もなく、夕食はJR駅のイオンやら近鉄駅のスーパーで弁当を買って食べる毎日。 どんな豪華な外食よりも、ホテルの部屋で寛いで広げる弁当が、疲れた体には何よりの癒し。 |
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朝食バイキング | |
3日間ほぼ似たメニューだが飽きない。 ご飯はピラフ。カレーが出る時は白飯が欲しい。 |
19/05/13 | 東大寺 | ||
ホテルに荷物を置き、まずは東大寺へ。 奈良時代、仏教の教えと国を護るために聖武天皇が建立。 当時は地震や日食が起こり、天然痘が大流行した。 加えて、皇太子の死も建立へと天皇の背中を押した模様。日本における国分寺の中心「総国分寺」。 本尊は「奈良の大仏」と呼ばれ広く愛され、今なお人々の信仰と観光客を引き寄せて止まない。 |
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南大門 | |||
国宝 平安時代に創建された南大門は台風で倒壊し、現在の門は鎌倉時代の再建。 国宝 両脇で向かい合って睨みを効かせる金剛力士像は、仏師・運慶、快慶、湛慶、定覚の作。 ただし、人が多いのと金網越しなのとで、見ることも撮影することも出来なかった。 |
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中門 | |||
重要文化財 金堂(大仏殿)の手前にある二階建ての楼門。 江戸時代に創建し、享保元年(1716年)再建。 両脇に毘沙門天と持国天が守護するも、 ここも金網越しでよく見えない・・・ |
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金堂(大仏殿)前 | |||
大仏殿への道(正面が金堂。金堂手前中央が燈籠) 足元は、真ん中・インド(グレー)を軸として、 左右対称に中国・韓国・日本の石で作られたタイルを敷き詰めた道。 仏教伝来の順番を表す。 |
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大仏殿へ向かう参道にある燈籠 | |||
→西南面→ 国宝・金銅八角燈籠&金銅八角燈籠の音声(おんじょう)菩薩・横笛像 |
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賓頭蘆尊者(びんずるそんじゃ) | |||
釈迦仏の弟子で十六涅槃のひとり。 優れた神通力を持つも、それを弄んだ咎でお釈迦様の叱責を受け、 釈迦入滅後も衆生の救済にあたったそうな。 病人が自分の患部と同じ所を撫でると病気が治るとの信仰があり、 いつも大勢の人々に撫でまわされている。別名・撫仏。 長い年月 人々に撫でられ続けたためか、あるいは外に設置され風雪にさらされてきたためか、 顔が磨耗し表情は怒っている様な笑っている様な。 |
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金堂(大仏殿) | |||
国宝 大仏殿は聖武天皇が創建してから2度の火災で焼け落ち、現存の大仏殿は江戸期の再建。 |
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金堂内部 | |||
虚空蔵菩薩 (重要文化財) |
大仏(国宝) 国廬舎那仏像 るしゃなぶつぞう |
如意輪観音 (重要文化財) |
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大仏の光背 これだけで充分ご利益ありそう |
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大仏の台座に彫られた線刻 複数の天平美人と建物 (これは創建時のまま) |
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大仏前の銅製大華瓶 (高さ207cm) ↓ 大華瓶の8本脚の揚羽蝶 |
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国宝 東大寺・金堂(大仏殿)の本尊・蘆舎那仏像、通称・奈良の大仏。 当初のままの台座と袖と脚の一部が残るものの、体ははぼ中世、頭部は江戸期の作。 高さと奥行は概ね創建時のままだが、幅は2/3。 |
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廣目天像 | |||
鋭い目力! |
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柱くぐり | |||
柱の穴は大仏の鼻の穴の大きさと同じ。 これをくぐると「無病息災」ほか多数のご利益があると言う事で、 折から修学旅行生が列を成していた。 が、こんな可愛い女の子のくぐりは目が釘付け。 |
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二月堂 | |||
登廊 右上が二月堂 |
国宝 本尊は、大観音と小観音の2体の十一面観音。 しかしながら、絶対の秘仏で、写真すらも公開されていないとか。 ここは2月の「お水取り」が有名で、建物は幾たびかの兵火を免れたものの寛文7年のお水取りで失火し焼失。 現存の二月堂は、翌年 将軍徳川家綱の援助により再建されたもの。 |
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釣鐘たちが、微風にのって微かに揺れていた。 |
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眼下に広がる景色は、紛れ無き古きヤマト。 静謐さと素朴な懐かしさと。 雲の切れ間から木々の梢から、倭(やまと)の人々の営みの息遣いが聞こえてくる。 「倭は国のまほろば」日本武尊(ヤマトタケル) |
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二月堂の線香立て | |||
↓ “餓鬼”の拡大 「重いぜ。そろそろ誰か代わってくれ~」 空耳か? |
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脚部で、4体の餓鬼が220年間ここで観音様を支え続けている。 鼻・頬・腹など 凸の部分が、撫でられてピカピカ。 |
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御正躰 | |||
厨子 ↓ 上の写真・上部“御正躰の銅鏡”をズーム |
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「御正躰の小観音像が“生身の観音像”にあたる」と言われている。 ならば、この銅鏡が本尊の小観音像なのか?秘仏ゆえ、本当の処は誰も知らない。 |
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法華堂経庫(ほっけどうきょうこ) | |||
重要文化財 建物は奈良あるいは平安初期の建立と言われ、正倉院と同じ「校倉造」。 東大寺境内の中でも、創建当時をそのまま残す貴重な建築。 この経庫は元々近くの手向山神社の宝蔵として移築されたが、 明治の神仏希釈の折り東大寺に帰属が決まった。 ゆえに、入口の扉が法華堂に背を向けているのだと。 少々、地味な存在のこの建物が注目を集めたのは、 江戸期の火災で破損し行方不明となっていた二月堂の絶対秘仏・ 「十二面観音」(大観音)の「光背」が、 明治になりこの経庫で発見されことである。 誰かが機転を利かせ避難させたものの、その後 忘失され うち捨てられていたのか。 現在は、東大寺の住職になる際の試験時に使われる巨大な「論議台」が収蔵されているそうだ。 |
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御髪堂(おはつとう) | |||
御髪堂は、法華堂経庫の南隣にひっそりと建つ。髪にまつわる奇妙な伝説が残る塔。 その1・大仏殿再建時に使用した黒髪で結い上げたロープを埋納している。 その2・東大寺鐘楼の梵鐘を吊るすために使用した女性の黒髪を用いたロープを埋納。 その3・聖武天皇が大仏殿完成時に出家するために剃髪したその髪の毛を埋納。 いづれも真偽は不明。 |
気が付けば、三月堂は閉館時間で断念。本日は、ここで打ち止め。 |
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