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11北陸・甲信 Vol.1からのつづきです。

2011年 北陸・甲信旅行記 Vol.2

寝台特急カシオペアで上京、奈良井宿・昇仙峡・東尋坊


旅程
6日目 昇仙峡
  ○山梨ワイン王国
  ○仙娥滝
  ○石門
  ○長田円右衛門
  ○覚円峰
  ○夢の松島
7日目 奈良井宿
  ○宿場町
  ○中村邸
糸魚川駅
フォッサマグナ
8日目 近江町市場
金沢城公園
  ○金沢城
  ○旧陸軍のトンネル
  ○本丸の森
兼六園
犀川
にし茶屋街
寺町寺院群
妙立寺(忍者寺)


泊まったところ スーパーホテル松本駅前
天然温泉 加賀の湧泉ドーミーイン金沢
食べたところ 金渓館 岩魚定食
イイダヤ軒 山菜そば&天麩羅そば


食べたもの そばドラ(小倉あん&マーガリンのドラ焼き) どこぞの駅売店
おやき(切り干し) 奥田屋(奈良井宿)
ほたて釜めし JR糸魚川駅内コンビニ


6日目   甲府→松本 編    今日の歩数=17.525歩  晴

11/09/24 昇仙峡

昨日の電車でお会いしたご婦人お勧め「昇仙峡」を目指す。

昇仙峡は、甲府盆地の富士川と荒川に位置する渓谷の景勝地。 平成百景で全国第2位に選ばれた長潭橋~仙娥滝までの全長約5kmにわたる渓谷が圧巻。 「滝上」というバス停でバスを降り、渓谷沿いに散策するのがいいと聞き、 まずは甲府駅南口バスターミナル3番乗降口から昇仙峡行きのバスで滝上を目指す。所要60分。@870円。

地元の人が生活に使う路線バスなので、バス停がやけに多い。 「新静観橋」に到着し、乗客のほとんどが降りてしまった。ここが滝上? 運転手さんに聞いても要領を得ず、やっと分かったのは次に止まるのは「ロープウェイ前」。 そんな山の麓へ連れて行かれては大変。渓谷沿いに散策をしたいのだから。で、降りた。
山梨ワイン王国

アンクル・ラヒム

バスを降りた所にあるのが「山梨ワイン王国」。 裏にローズガーデンが併設され、入口のベンチでは、アンクル・ラヒムの“酔っぱらいおやじ”が気持ちよさげに手を広げWelcome。 粋でお洒落なお出迎え。

アンクル・ラヒムのお話

ただの“酔っぱらいおやじ”じゃぁありません!
ほんとは恋のキューピット☆
普段はローズガーデンのお庭番だけれど、ワインを飲んだ時だけ天使の力がよみがえります!
両側にいっしょに座って写真をとると、そのふたりの仲をいつまでもとりもってくれます、きっと。
ひとりでとると素敵な誰かがやってくる?かも・・・。

                    (アンクル・ラヒム紹介文より)

アンクル・ラヒムに誘われた王国は、洗練された空間。 入口ではスタッフが待ち受け、和かに奥へ招き入れる。 勿論、ワインの試飲へ。ここの凄いのは、試飲ワインの種類の多さ。 一体、全部で何種類?その間、下戸の家人は休憩ロビーで、干葡萄や葡萄液やジャスミン茶で満悦。至れり尽くせりのサービス。
仙娥滝

仙娥滝

仙娥滝は、「日本の滝百選」のひとつ。
名の由来は、中国神話で月へ行った女性・嫦娥にちなみ名付けられたという。つまり、月のこと。

この滝は山梨県の代表的景勝地・昇仙峡の最も上流に位置し、昇仙峡のシンボル・覚円峰の麓にある。 地殻変動により出来た花崗岩の断層の岩肌を、滝の水が削るように激しい勢いで落下する。 落差30m。昨日の台風で水流は黄土色に濁り、荒々しい流れはご機嫌ななめの模様。

さて、この仙娥滝からは渓谷に沿った遊歩道。川はゴロゴロと大きな奇岩が横たわり、流れを幾重にも分けていた。 言葉では表現できない雄々しさ。
後日譚
仙娥滝の虹

こうして上流から下流へと下り、長潭橋から又来た道を逆戻りして、スタート地点の新静観橋まで取って返した。 長潭橋の近くにもバス停があり、そこから乗車した方が甲府駅前までは近道だったかも。後で気がついた。

仙娥滝へ戻ってきた時、家人が突然つぶやいた。「あ、虹だ!」。 滝の流れの上に、仄かで柔らかな虹が出ていた。 家人の声に、階段を降りてきた人々が一斉に滝の方に視線を投げた。 「ほら、あそこ。虹、虹だよ」という声が、そこここにあがる。 後ろの母親らしき女性が、娘に聞いた。 「写真うつした?」娘は、深いため息とともに答えた。 「うん。でも、虹は淡くてうまくカメラにおさまらない。 それに、このゴーという音と臨場感は、とても写しきれないよ」
石門

上流側から見た石門
長田円右衛門

覚円峰を臨む円右衛門     by 匁

昇仙峡を拓いた男・長田円右衛門。
かつて、険しい山道だけだった昇仙峡一体の村人たちは、薪を背負い一日がかりで甲府城下への道を往復したという。 その昇仙峡に9年がかりで道を拓いたのが、一介の百姓・長田円右衛門。

彼は周辺の村の名主を説得して人足を調達し、近隣の村に寄付金を呼びかけて工事を完成させた。 その後、「昇仙峡のシンボル」とも言われる“覚円峰”を見上げる対岸のこの地に、彼の功績を称えた碑が建てられた。

長田円右衛門は、手足にヒビ、アカギレを切らしながら山を切り谷を割るなど苦難の末始めて道を開いた。 顔は醜く鬼のようであるが心は菩薩のようである。    (円右衛門碑案内板より)

これは、褒めているのか、貶しているのか。 実はこの碑、彼の生前に建てられたもの。 本人は、どんな顔で眺めていたのやら。

覚円峰

覚円峰と天狗岩

昇仙峡の主峰にして一番の見所・覚円峰(かくえんぼう)。

覚円峰は、花崗岩が風化水食を受けた果てに出来上がった、水面からほぼ垂直に立つ高さ約180mの巨岩である。 名前の由来は、僧侶・覚円が畳数枚を敷ける広さの頂上で修行をしたため。

何という悠然たる、立ち姿!
そそり立つ雄姿を対岸から眺むるだけで、その修行の厳しさをうかがい知ることが出来る。 頂上まで登るだけでも、至難の技だ。 その上、あの尖ったてっぺんで座禅なんて、居眠りでもしようものなら即座に谷底へ落ちて命を落とすこと間違いなし。

仙人が住んでいても不思議ではないような神秘が、覚円峰一体に漂う。 そう言えば、覚円峰と向かい合っている天狗岩。どことなく天狗の横顔に似ているような。

夢の松島

夢の松島

覚円峰の足元に、夢の松島がある。

名の通り、松の木が生えている。だから松島。で、どこが「夢」?

ここ昇仙峡は松がキーマン。
奇岩と水面と河原の白砂。それらを、引き立てるのが松の役目。 松こそが、この素晴らしくも荘厳な風景を醸し出しているのだと。 加えて、春にはツツジ、秋には紅葉。それらの美しさも、深い緑の松があればこそ。
金渓館

金渓館



岩魚定食@1200円

昇仙峡一の絶景が、ここ金渓館。


吹き抜け構造で全景360度が見渡せるため、外で食事をしている感じ。 目の下を渓流が流れ、視線を上へ転ずれば、そこには「夢の松島」。 さらに上を見上げれば「覚円峰」と対峙する「天狗岩」。 ここに座れば、ひとめで昇仙峡の景観が見られる。 渓流のせせらぎの音が心地よい。なんという贅沢。

さて、注文したのは「岩魚定食」。 創業百年という手打ち蕎麦が評判の店だが。 「岩魚」は本州の魚で、北海道にはいない。 サケ科とは言え、身が白い。生まれて初めて食べる「岩魚」は、小ぶりでサッパリと淡白。


食べたことのない料理との出会い、これぞ旅の至福なり。
※北海道では、オショロコマと言う種類があるそうだが未体験。
閑話
タクシーの相乗り

食事をしながらまったりと絶景ポイントを鑑賞した後、再び渓谷ぞいに長瀞橋まで歩く。 長瀞橋は昇仙峡の南側入口。 ここを出発点として、私たちとは逆に下流から上流へと向かう人も多い。 長瀞橋まで到達した私たちは、来た道を戻り今朝バスを降りた新静観橋まで戻ることにした。 これが、一期一会の出会いへの伏線となるなんて、神のみぞ知る。


新静観橋のバス停では、十数名が手持ち無沙汰な様子でバスを待っていた。 「どれどれ。」とバス時刻表を覗く。次のバス時間まで、まだ1時間もある。

その時、人垣を掻き分けて来た人が言った。 「甲府駅前まで、相乗りしない?バスだと1人@870円だけど、4人乗って一人@900円でいいよ。 バスを待つより早いし、お得だよ。 タクシーの運転手だ。それに応じて、ご夫婦連れが快諾。 しかし、定員4名のうちの残り2名が見つからない。 運転手さんに声をかけられた人みなが、申し合わせた様に首を横に振る。 知らない人との相乗りは“気が張る”と言うことか。

その時、運転手さんと私の目が合ってしまった。 これから1時間もここでぼんやりバスを待って時間を費やすよりは、今タクシーに乗る方が断然効率的。 それに、私たちはこれから今夜の宿・松本まで移動せねばならない。 出来るだけ早く甲府駅に着きたい。値段もバス代に@30円プラスなら、バスとそう変わらない。 家人は、目でOKサイン。かくして、我ら4人は甲府駅へ向け出発。

相乗りの相手は、我らと同年配の新宿のご夫婦。 休みを利用して、昇仙峡へやってきたそうな。 私たちとは逆に「長瀞橋よりもっと下流からの登山道」を登ってきたのだと。聞けば、ご主人は松本出身。 それは好都合。明日からの松本観光のために、松本の美味しいモノを聞いてみた。 「んんん、ない。駅の立ち蕎麦で充分ですよ。」との返答。 松本で育った人が言うのだから、間違いはない。 ご夫妻の気さくな人柄を垣間見たような。タクシーは、あっと言う間に甲府駅に到着。 同じタクシーに乗り合わせただけなのに、ここでお別れは一抹の寂しさを纏う。 再び会うことはないけれど、こんな出会いも、いいものだ。

ところで、今頃まだ新静観橋のバス停では、皆さんバスを待ち続けているのだな。うふ
閑話
自分へのご褒美

土産物店で水晶のペンダント・ヘッドを買い求める女性達が、目に付く。 しかも、ウン万円単位の高級品を。
甲府は、水晶と蕎麦が有名。

が、私の視線の先は「印傳」。 鹿革に漆で模様をつけた、甲府の名産品。 この旅の出発直前に、親友が知人から印傳を頂戴したと聞き、私の「欲しい心」がメラメラと燃え上がった。

店のショーケースを睨むこと、小半時。 迷う。そこへ店主が現れ「お安くしておきますよ。」って、どんだけ安くしてくれるの? 店主はこちょりと耳打ちした。「下3桁をおとしますよ」。 定価が@9800円だから@9000円。 店主の言葉に背中を押され、開閉式小銭入れのとんぼ柄を購入。

念願の印傳を調達し渓谷を歩く私。 と途中の土産物店で、印傳の財布を発見。定価@9000円。 値引き後の値段がこの店では定価なのか。 どっちで買っても@9000円には違いないのだが、商売人のテクニックにやられたみたいで、ほんのり苦笑い。 とはいえ、この鹿皮の肌触りと絵柄は堪らなく良い。

買う時「自分へのご褒美を」と言い訳を呟いたけれど、考えてみれば、私ご褒美をもらうほど日頃 働いてないな。反省。
11/09/24 そばドラ


14:45発 松本行きに飛び乗った私と家人。

途中の停車駅、そのわずかな時間に甘党の家人が買って来た当地のドラ焼き。 ドラ焼きの皮に、そば粉を入れているそうな。その名・そばドラ@168円。

「うまい、旨い」と満足気な家人。
11/09/24 スーパーホテル松本駅前

松本駅に着いたのが、PM5:00 気温が17℃。 今朝の甲府市では、道行く人々のほとんどが半袖だったが、松本は長袖の人が総勢をしめていた。寒い。

今夜の宿は、松本駅前の「スーパーホテル」。

夕べの甲府も予約に難儀したが、ここは更に苦戦。 駅前という立地に加えて、今日は連休ど真ん中の土曜日とあらば、混んで当たり前か。 部屋は、セミダブルベッドと上にシングルベッドが配されたスーパールーム。 最高で3名まで泊まり可能。

館内をフラッと徘徊していたら、フロントのスタッフと年配の女性客の会話が聞こえてきた。

「ここって天然温泉って書いてたけど、どこにあるの?」
スタッフ 「申し訳ありません。ウチは、大風呂はないんですよ」
「え、嘘書いちゃダメじゃぁないの。こないだ、オタクの社長がテレビに出て自慢してたよ。社長に言っといて!」
スタッフ 「・・・」

そうそう。私も、どこかで天然温泉と書かれた看板を見たような・・・

スーパーホテルは、無料の朝食つき。
パンの種類が多く、スープもある。他にも、ご飯や味噌汁も用意され、「朝は和食」という方も問題なし。
何より有難いのは、自動販売機のカップ系飲み物を朝食時間帯に限り無料で自由に飲むことが出来ること。さ、モーニング珈琲。
11/09/24 イイダヤ軒

夕飯は、「松本の美味しいもの?駅の立ち食い蕎麦で充分」と教えてくれた昇仙峡からタクシー相乗りご夫婦イチオシの「蕎麦屋」へ。

場所は駅前で、隣が「飯田屋」と言うホテル。 ホテルと駅弁と駅蕎麦と蕎麦屋、計3軒の多角経営である。 麺は自社工場製で、ねぎは無料いれ放題。注文したのは、天婦羅そば@360円と山菜そば@380円。 +120円で替え玉の注文も可能と。

店内には、すでに先客がいた。 カウンターの席に腰を下ろし、値段表を見上げてびっくり。 駅の立ち食い並みのお値段だ。人気がある店だと聞いたが、成程。

カウンターの中のスタッフは、中年女性が1名のみ。 次々に入れ替わる客の動きを全て視野に収め、くるくるとよく働く。そのうえ、合間に私たちの話の相手まで務める。

話題は電力問題。ここ松本は、中部電力・浜岡原発。 「何でだろうね?」と彼女。そう言えば、甲府は東京電力だった。 「冬のために今からファンのつかないストーブ(ポータブルストーブ)を買う人が多くて、品薄で手に入らない。 孫のことを考えると、原発はどうなんだろうと思うけど」と言葉をついだ。 「東海地震が、いつ起こっても不思議ではない。」と言う専門家がいる。 浜岡原発は地震帯の真上に位置しているため、最も危険な原発と言われる。 いつやってくるか解らない天災は、確かに怖い。
7日目   松本→奈良井宿→金沢 編    今日の歩数=20.146歩   曇
奈良井宿
11/09/25 宿場町

2階の千本格子が素敵!

松本 AM7:41発 (JR篠ノ井線・中津川行き)@570円。→奈良井宿 AM8:38着。

電車の同じBOXに座ったのが、牡丹売りの行商のオバチャン。 車両の前部に空席を見つけると、背中に背負っていた大きな籠を後部の隅に置き、慎ましく体をシートに埋めた。 他の客の邪魔にならない様に、との配慮が見事で爽やかだ。

江戸と京を結ぶ街道・中山道。 その中山道67宿中、江戸側から数えても京側から数えても34番目に位置するのが、ここ奈良井宿。 木曽11宿のうち北から2番目の難所・鳥居峠を目の前に控えているため、 旅人はこの宿で草鞋を脱ぎ峠越えに備えて一夜を明かしたと言う。 こうして町並みが形成され、その賑わいは「奈良井千軒」と呼ばる木曽路一番の繁栄を遂げた。 駅から歩きだし、鎮神社が京側の端っこにあたる。

奈良井宿のあちこちで見かけるのが水場。 江戸時代、旅人の喉の渇きを潤し続けた。 かつての宿場町の面影が、そのままに残る。 旅籠の軒灯や千本格子などを見上げながら宿場を歩きまわると、まるで時間を超えて江戸時代に迷い込んだ気がする。

おや、道端に座り込んでいるのは、例の牡丹売りのオバチャン。 この宿場町は一本道。町のどこかで出会っても、不思議はない。
中村邸

中村邸

奈良井宿を象徴する建物・中村邸。入館料@300円。

NHK朝ドラ「おひさま」で、渡辺えり演じる御菓子屋・村上堂として撮影に使われた建物である。 元「塗櫛問屋」。 塗櫛は、それまでの白木の櫛に赤漆を塗って仕上げたもので、その美しさゆえに、飾り櫛として珍重されたのだと。

間口の狭い入口から中へ入ると、吹き抜けの台所には竈や囲炉裏があり、中の間、奥の間と続きその先には蔵がある。 ウナギの寝床のような造りは、奈良の町家にそっくりだ。

箱階段をのぼった2階は、茶室。奥にある「もうひと部屋」には、塗櫛が展示されていた。 ただし、この両部屋は1階の台所の吹き抜けを挟んでいるため、直接行き来することは出来ない。 生活するには、不便そうだ。こういう間取りにしたのは、どんな訳があるのだろう。

合理的で感心したのは、通り土間が裏まで続いていいるので、蔵から商品などを土間を通って運べる様になっていること。 使い勝手が良さそうだ。

奈良井宿以外には見られない独特なもの、それが猿頭と鎧庇である。 道路側にせり出た二階を支える梁、その先に猿頭で支えられた鐙庇(よろいびさし)が付く。 鐙庇は釘類を全て下から打ってあり、盗賊がこの鎧庇に手や足を掛けようとすると、庇が壊れて落ちる仕掛け。 盗難防止のための先人の知恵だとか。
奥田屋

おやき(切り干し)@170円

中村屋から数m程歩いた所で見つけた「切り干しのおやき」に家人の足が止まった。 おやきは、昔ながらのタイプ。油で揚げていないので胸焼けもない。

ふと、花売りの年配女性が入ってきた。店主とは顔見知りで、おやきを食べながらの世間話が始まった。

店主 こっちでは、どこに泊ってるの?
女性 普通のビジネスホテル。
女性 妻恋の店は、奥さんがやってるの?
店主 いや、人を使ってやってるさ。奥さんは奥にしまってある。

温かい茶と浅漬けを店内で頂きながら、店主と花売り(牡丹)女性との会話を聞くとも無く耳にしていると、2人 の醸し出すほんわかとした空気も又ご馳走。
11/09/25 糸魚川駅

金沢へは、電車好きの家人の希望で、松本駅へ戻り4回の乗り継ぎを経て、約7時間電車に乗りっぱなしの強行軍。 そのため、ほとんどの駅は車窓からの眺め。

待ちに待った停車駅は、糸魚川。 停車1時間では、ゆっくりと食事を摂ってる暇もなし。 ならば、その時間を街の散策にあてようと飛び立つ様に電車を降りたのだが、駅前の何とひっそり寂しいことか。 確か2014年開業の北陸新幹線の駅が設置予定のはず。 そうなれば、駅前周辺は再開発で見違える様な変身を遂げ、賑わうのだろうな。
フォッサマグナ


←駅前をゆらゆらと歩いていたら、こんなのを発見。

フォッサマグナは、本州の中央部にある地質構造上、東北日本と西南日本を分ける地帯。 西縁は、糸魚川・姫川・静岡を通る糸魚川-静岡構造線と呼ばれる大断層で、東縁は新生代・第三紀の厚い堆積物に覆われて明らかでない。 フォッサマグナという名称は1885年にナウマンによって付けられた「大きな溝」という意味のラテン語。
フォッサマグナは、日本列島を分ける2つのプレートの境界と考えられている。
 (学習百科事典キッズネットより)

ここから日本の西へ足を踏み入れるのだと思うと、感慨も一入。
ほたて釜めし

ほたて釜めし@1000円

駅前で弁当屋が見つからず、結局駅内のコンビニへ。

「ほたて釜めし」がショーケースの中に1個だけポツンと寂しげに買われるのを待っていた。 「釜めし」は、糸魚川の人気名物弁当。2人仲良く1個の弁当をつついた。 美味しいが、ご飯も具もすっかり冷えきっている。出来たてなら、さぞや旨かろうがな。
11/09/25 ドーミーイン金沢

部屋に小さな流し台が。

金沢駅のすぐそば。地の利は抜群なのだが、予約が取れたのはダブルルーム@3400円。 ベッドが狭くて、眠れないのではとの不安を抱きつつも予約の決心をしたのは、天然温泉の四文字に惹かれたから。

不安だったベッドは思いの外 広く、問題なし。部屋には、小さな流し台もついて便利だ。

今回は朝食つき夕食なしプラン。が、午後9時30分から無料の夜鳴きそばが提供される。 ラーメンは、だしが煮干系のあっさり味。胃にもたれず夜食にはぴったり。 もっと食べたい気分だ。ちなみに、朝食ヴァイキングでは地元名物・治部煮が出て、にんまり。

天然温泉は期待通りのお洒落な大浴場で、しかも15:00~翌朝10:00まで入浴可。 いい湯で、嬉しすぎる想定外。
8日目   金沢市内観光 編    今日の歩数=26.047歩   晴


11/09/26 近江町市場

「近江市場」は、石川県金沢市の金沢駅から徒歩12分にある市場。
金沢・能登の特産品や加賀野菜・魚介類など生鮮食品などの店が約2.8haの敷地に約180店ほど軒を連ねる、 280年の歴史を誇る「金沢市の台所」。 全部で7ヶ所ある入口を線で結ぶと「女」という字になるそうな。

入口に寿司屋を発見。朝食なのか、すでに満席だ。

豆腐屋さん、見っけ。豆乳と「おからまん」入手。 「おからまん」は、おから入りのタネを油で揚げたドーナツに似たお菓子。立ち食いも又楽し。
11/09/26 金沢城公園
金沢城

金沢城

金沢城は、加賀百万石・前田氏の居城。

慶長7年に落雷による火災で天守閣を失った後、再建することなく天守閣を持たない城を通した。 再建しなかった理由は、一説によると江戸幕府への遠慮。 別の説によると、金沢は参勤交代の通り道ではないので見栄をはる必要がなかったため。

かつては一向一揆の拠点ともなった金沢御堂跡地。織田信長がこの一揆を攻め落とし、金沢城を築き佐久間盛政を据える。 しかし、天正10年、織田信長は明智光秀の謀反により自刃し、盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に破れ、天正11年 秀吉がこの城を前田利家に与えた。

世の中の趨勢が定まらず、歴史が大きく揺れたこの時、仕える主人の命運次第で家臣の運命が大きく変わる。 城を追う者とて、明日は我が身。戦国の世はツライ。

そう言えば、外敵に備えた工夫が城のあちらこちらに見受けられる。
いつ敵に襲われるやもしれない当時の武将は日夜警戒を怠ることはならず、いかに神経を張り詰めて生きていたのか。 想像するだに、寿命が縮みそうだ。
旧陸軍のトンネル

トンネル

鶴丸倉庫の近くにある謎のトンネル。表からは木で覆って隠されているが、実は爆薬庫への通路として旧陸軍が開けたもの。 金沢城は明治以降から第二次世界大戦の終戦をむかえるまで陸軍第九師団司令部が接収し、陸軍の拠点として使用されていた。

火災で焼け落ちた本丸の址は、何故か林。 ここにある大木の数々、その中に陸軍が遺した木があった。その名「神樹(シンジュ)」。 別名「真珠(シンジュ)」ともいう。

「神樹蚕」という名の「神樹」の葉を食べて成長する「蛾」がいて、軍はこの蛾から繭をとり絹糸を採った。 戦中、絹は贅沢品とされ禁止品。軍は、どんな目的で絹を得ようとしたのだろう。

後日譚
家人いわく「落下傘のパラシュートと、後は輸出用だろう。」(未確認情報なり)
本丸の森

ウバユリ

昭和24年、城址に金沢大学が開学し、世界に2つしかない「城の中の大学」として注目された。 大学は、平成7年に郊外に移転。

金沢大学の置土産の一つが、「本丸の森」の植物たち。 かつて、ここは金沢大学理学部付属植物園として、多種の植物を植え育んだ。 大学設置以降の50年間に200数種もが増え、現在その数は548種を数える。

ちょうど開花を終えた多年草「ウバユリ」が、そこここにあった。 「ウバユリ」は、茎が直立し多数の葉を輪状につける。 葉は幅広いハート形。 花が満開になる頃に葉が枯れるので、歯(葉)がない「姥」にたとえて名付けられたという。

この広い森に生息する植物は多種多様。神樹(シンジュ)の様に人の手によって植えられた「栽培種」。 ウバユリのように、自ら作り出した環境により生まれ、やがて別の植物たちと入れ替わり自らは消えていく種。 モミのように、種としての最後に行き着き変わることなく樹齢数百年に達する巨樹。

戦国時代→旧陸軍時代→金沢大学時代→現在の金沢城公園時代。 その時々の中で生まれた種と、消えていった種と、それらを見続けた種と。 多種な植物たちが各々の宿命を背負って、今日もこの森で息づく。

金沢城公園で、ボランティア・ガイドさんをお願いした。 その時、一緒に回ったのが、東京から来た若い女性。 彼女は、今朝「妙立寺」(忍者寺)へ行ってきたのだと。 彼女の勧めで、我らも行ってみることに決定。ただ、このお寺は大変な人気で、事前予約が必要。 この後、金沢城公園の隣・兼六園をまわって、「本日午後3時30分」の予約を入れた。
11/09/26 兼六園

時雨亭

水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに、日本三大名園のひとつに挙げられる金沢の兼六園。私は、これで三名園制覇。

兼六園は、加賀百万石・前田家の庭園として造られた特別名勝。 13代藩主・前田斉泰の時代に、ほぼ現在の姿に造園されたと言う。

園の名前の由来は、中国・宋代の詩人・李格非が書いた「洛陽名園記」による。 「宏大・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼古・水泉・眺望」の矛盾する六勝を兼ね備えた名園として、時の老中・松平定信が命名した。

代々の藩主による絶え間ない築庭により生み出された景観は、屈指の美しさと雄大さを四季折々に展開し、 市民の目を楽しませる。以前は市民に無料開放されていたが、今は入園料@300円。

なんという広さだろう。くまなく見るには、1日はかかりそうだ。 兼六園は、冬の雪吊り、春の桜、夏の輝く緑、秋の紅葉など、見所が満載なのだとか。
11/09/26 犀川

「是非行ってみたい!」と家人が言う、犀川。 作家・室生犀星の名は、愛してやまなかった犀川の犀の字にちなんだもの。

一方、私は、かの有名な「日本昔ばなし」の中の「雉も鳴かずば撃たれまい」という民話の舞台である犀川に心魅かれる。

金沢は、犀川と浅野川の二つの川に挟まれた土地が市の中心地となっており、犀川の方は別名・男川。 そして浅野川の方は女川とも呼ばれる。 昔、犀川は大雨が降ると、すぐに堤防が決壊した処から男川との呼び名がついたそうな。 一方、浅野川は比較的大きな氾濫もなく穏やかだったので、女川。 かくして、犀川のそばには「にし茶屋街」が出来、浅野川近くには「ひがし茶屋街」が発展した。 性格が真逆で対比されることが多いが、金沢の人々の生活に深く根を下している点では、そっくりな2川と言えよう。

犀川を眺めていると、この川幅の広さで氾濫する猛々しい姿は、まさに男川だろうと、妙に納得させられる。
11/09/26 にし茶屋街

にし茶屋街

にし茶屋街は、ひがし茶屋街・主計町茶屋街ともども金沢三大茶屋街の一つに数えられる。

文政3年(1820年)、12代加賀藩主・前田斉広の許可を得て「ひがし茶屋街」と共に誕生。 今も料亭や芸妓置屋が立ち並び、往時を彷彿とさせられる。

他の二つの茶屋街が、活発な保存運動などにより観光地化したのに比べると、ここは未だ素朴な街並みがひっそりと残る。 ゆらゆらとした時間が、静かに流れる。あまりに観光化してしまうのは、さびしい。 反面、建物も街並みも放っておけばいつか朽ち果てるのが運命。保存の難しさを、思う。

検番前で周辺地図を覗き込んでいたら、ボランティアさんに声をかけられた。 歴史好きなその口から、止めどなく加賀前田家の歴史が飛び出した。 富山県に前田家の見どころがあるそうな。
11/09/26 寺町寺院群

寺町は、名前の通り寺が70以上も集まって形成されている町。 「残したい日本の音風景百選」にも選ばれた。 そも初めは、江戸時代に一向一揆の対策としてここに寺院を集めたためと言われている。

寺の隣も前も、寺。よくぞ、ここまで寺院ばかりを一か所に集めたものだ。 昨今、全国的に檀家の減少で経営が火の車という寺が多いと聞く。 共存していること自体が、瞠目に値する。何よりこの異風景自体が壮観。

室生犀星ゆかりの雨宝院や人骨で出来た地蔵尊がある大円寺、芭蕉碑がある願念寺など、まさに見どころ満載の寺院群。
11/09/26 妙立寺(忍者寺)

本堂

寛永20年(1643年)、2代藩主・前田利常が金沢城近くから移築建立。 利常は、徳川幕府の改易を避けるために、母親を徳川家へ人質として出し、徳川家から嫁を娶る。 自らは鼻毛を伸ばしてバカ殿を演じ、幕府の目を欺いた。拝観料@800円。

予約順にグループ分けし、30分ごとに拝観。 私と家人はPM3:30分の予約なので、20分ほど早めに寺の庭に待機。 すでに数十人の観光客が同じように本堂の前で待っていた。 その場で即席に作られた私のグループ仲間は、どこぞの大学のミステリーサークル。

一向一揆が終息し、時は流れ徳川時代。妙立寺は、意外な変貌を遂げる。 寺院群に多くの武士たちを寝起きさせ、その監視所として妙立寺があてられたのである。 目的は、徳川家に加賀藩を没収されないための警備と警護。 そのため、要塞としての機能を備えた複雑な建築構造を持つ寺となった。 忍者寺と呼ばれる所以である。忍者がいた訳ではない。

当時は幕府の命令で3階建以上の建物は禁止だったので、 外観は1階建てで内部は4階建て、中2階、中々2階と部屋数は23にも及び階段数29という、 外観からは想像もつかない複雑な造りをなす。

物見台と望楼 本堂の屋根先端部にあるガラス張りの見張り台。加賀平野が遠くまで見渡せ敵を察知できる。
井戸 深さ25m。水面上にある横穴から金沢城へ続く逃げ道が作られていたのだと。真偽の程は不明。
仕掛け賽銭箱 本堂入口にある。敵が侵入した時には、落とし穴として利用される。
明かりとり階段 蹴込部分に障子を張って、外敵の足の影を見て槍などで攻撃する。
落とし穴階段 渡り廊下に見せた階段。床板を外すと落とし穴になり、落ちる先は下男部屋。
本堂裏隠し階段 物置の戸をあけ床板をめくった所につくられた階段。こっそりと外へ逃げることができる。 床板に溝が刻まれているために、引き戸を閉めると外からは開かない仕掛け。
切腹の間 内側からは開けられない「片どんでん返し」となっており、非常時には自害し火を放つ部屋。 「死(シ)」という音にかけて、部屋の広さは4畳間。だが、今までここで自害した人はいない。

次から次へと現れる仕掛けの数々。 自分が、いま建物のどういう位置にいるのか皆目見当がつかない。 途中でグループにはぐれたら、ひとりでは入口へ戻れない。
Vol.3
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