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2019年 道央旅行記

札幌でひとり暮らしの母を訪問する・2019年篇

19/10/28~19/10/31 

航空運賃 (往路) 4,490円(運賃)+650円(空港税)+580円(支払手数料)=5,720円×2名=11,440円
(復路) 5,090円(運賃)+650円(空港税)+580円(支払手数料)=6,320円×2名=12,640円
ホテル翔 @3,466円(税込)×3泊×2名=20,800円


旅程                                           
1日目 ●Peach
2日目 ●ピアハーブ
●真駒内滝野霊園
 〇頭大仏
●エドウィン・ダン記念館
 〇エドウィン・ダン記念公園 
3日目 ●JR南小樽駅
●旧小堀商店
●メルヘン交差点
●堺町本通り
●手宮線跡地
●旧小樽倉庫


泊まったところ ●ホテル翔
食べたところ ●小樽倉庫NO.1 小樽ビール&田舎風テリーヌ


春からPCの回線やらプロバイダやスマホのキャリアなど通信環境を変える、わっさわっさのうちに気が付けば秋。 例年9月の札幌の母宅訪問は、今年は10月にずれこんだ。結果、格安航空・ピーチのセールに運よく遭遇し、格安チケット確保。

しかし、この時期の北海道は1か月違うと季節がまるで違うので、着て行くモノに迷う。

1日目  11,294歩
19/10/28 ピーチ

生涯初LCCが、ピーチの新千歳空港→関西空港便だった。 当時は、LCCが日本で初めて登場した頃で、機材が定刻に間に合わず一体いつになったら搭乗できるのか・・・。 やっと予定の機材が到着すると、機内清掃と燃料給油で又待たされ、その間に薄く低い板一枚の向こうを、 到着便から降りた乗客たちがぞろぞろと出口へと歩いていた。関西空港へ到着すると、 預けた荷物は空港ビルを出た外の(勿論屋根もない)歩道上に、まるで子どものままごとの様に広げられていた。 スペースが確保できなかったのだろう。会社の創成期には、こんなバタバタも致し方なし。 以来、乗る機会がなく今回は久しぶりのピーチ。

直前に、9月にピーチで札幌へ飛んだ愚息と話した。 行きは、出発ターミナルが変更になっていて乗り漏れてしまい、 急遽 羽田へ移動して普通料金でANAに乗ったそうな。 そのうえ、復路は天候が悪くピーチの運航は全便なし。 翌日に仕事を控えた身の愚息は、往路同様に普通料金でANAに飛び乗った由。 行きは愚息のチェックミス。帰りはLCC故の不運。何にせよ、痛い出費。

成程、留意すべくは、出発ターミナルの確認か。 ネットで調べてみたら、ピーチは成田では初運航以来 第1ターミナルを使用してきたが、 2019年10月にバニラエアと経営統合。 そのため10月26日までは第2ターミナル、27日からは第3ターミナルからの搭乗。 ターミナル間を行き来するには、空港内は広すぎる。間違えた時点でoutとなってしまうのだ。自戒。

さて、機内。さすがに座席は狭いが、それは承知のうえ。問題なく、目的地に到着した。感謝。

復路

チェックイン機で搭乗券を打ち出したら、一緒に予約し同一の予約番号の家人と私の席が何故か離れ離れ。 3列の真ん中が私で、隣に連れなしの男性、さらに通路を挟んで家人。 有料の座席指定をしなかったとは言え、意味なくバラバラにしなくても良いだろうに。 ピーチの嫌味か?と勘ぐりたくもなる。 すると、件の隣の男性が「なんで、こんな座席配置にしたのでしょうね」と言って、家人と席を換えてくれた。 新婚旅行でパリへ行った時に、自分も嫁と席が離されたとのこと。 それも又気の毒な。事程左様に格安航空には、想定外のこともあるものだ。ご用心。

19/10/28 ホテル翔

ツインルーム(19㎡)

安い、立地が良い、ただで朝食がつく。札幌の塒は、ここに決めている。とは言え、今年は正直 気持ちが揺らいだ。

昨年ここで地震に遭遇し停電が続いた時、道路を挟んだ向かえのホテルが「ホテル翔」より数日先に復旧したので、 スマホ充電とそれが終わるのを待つ間 ロビーで無料の飲料を利用させて頂いた。 今年はそちらに予約して恩返しを、とも考えたが、家人が首を縦に振らない。 理由はここの朝食。特別な珍味が有る訳でも豪華な訳でもないが、 セルフでホットプレートで目玉焼きを焼いたりする自由度と、手作り感満載にして 過不足無い程度の朝食がいたく気に入っているようだ。

向かえのベッセルイン中島公園札幌さま、昨年は大変お世話になりました。感謝。

さて、1年ぶりの「ホテル翔」。「ちょっと変わった?」と思ったら、春に室内を大幅改装しインテリアがランクアップ。 一新したツインルームには、真っ白なソファーが置かれ寛ぎの空間に変身していた。

       →2017年の「ホテル翔」の記事
朝食(無料)

  
サラダバーと壁際にパンやスープ   ドリンクコーナー




サラダバーのサラダと野菜




今日の活力・・・にしても大盛

ポテトサラダ・かぼちゃサラダ・牛蒡サラダ、それに野菜たち。無料とは思えない種類の豊富さだ。

ガラス越しにエントランスを臨む壁際がドリンクコーナーで、コーヒーをはじめミルク、トマトジュースなどが並ぶ。 中でも、ここのコーンフレークを機にシリアル食品に目覚め、フルグラを愛食し始めた私。
2日目  14,365歩
19/10/29 ピアハーブ

今日はひとりで父の墓参り。

昨夜遅くホテルの近くで花と酒は調達したが、まだ早朝のせいか父の好物の赤飯がコンビニにも無い。 諦めていたら地下鉄真駒内駅の南口改札前に「ピアハーブ」という店を発見し赤飯1パックを200円で入手出来た。 NPO日本園芸療法士協会経営のため、採算度外視で値段がかなり控えめ。 おやき@70円にショートケーキ@150円やカット野菜ほか多数。勿論、仏花もある。

朝8時頃から開店しているそうで、ここで墓参に必要なものが賄えるのは非情に有難い。 次回の墓参りは手ぶらで来ようっと。
19/10/29 真駒内滝野霊園

正門に建ち並ぶモアイ像
鎌倉の大仏と同じ大きさ

東京ドーム20個分の広さを誇る巨大な霊園。
地下鉄真駒内駅から霊園行きの無料墓参バスで約35分だが、本数が少ないので路線バスで行くことにした・・・のが、大失敗。
頭大仏

参道から

上部の丸い部分が大仏の頭
アーチの下部が大仏の下半身
正面の焼香台の手前は結界の意味での水庭があり
水庭をぐるっと迂回して参拝する




アーチを潜ると大仏座像が




広い園内の何処からでも大仏の頭が見える
ラベンダー園の上にも頭が

「頭大仏」は開園30年記念事業として、建築家・安藤忠雄氏が設計。

「頭大仏」バス停に到着。しかし、ここがどこやらさっぱり見当もつかない。 そもそも、父の墓を建てた時はこれ程に広大な墓地ではなく頭大仏も無かったのだが、年々増殖し今や迷路。

まずは目の前の大仏さんを見学。 何やらアジア系の観光客が多いのは、今や墓参というより観光名所のひとつになっているらしい。 さて、バス停に戻り、父の墓へ向かう。 と言っても方向すら分からない。 近くで庭手入れをしていた人に道を聞くと「広いので園内バスで」とのこと。 しかし、頼みの園内バスは30分に1本で今行ってしまったばかりだ。 適当に歩けば見覚えのある景色に当たるかと歩き始めたが、行けども行けども見知らぬ景色ばかり。 当然ながら迷子になってしまった。

困り果てた時に、路肩に車を停め休憩中の庭園作業の男性に道を教えてもらい、やっとの思いで父の墓前に到着。

一人の人間の一日には、必ず一人「その日の天使」がついている by中島らも
私の今日の天使は、紛れもなく件の男性。感謝。
19/10/29 エドウィン・ダン記念館





明治の洋風テラス
テーブル真ん中にピンクの大輪

帰路は霊園の無料墓参バスに乗り、地下鉄南北線・真駒内駅に到着。 駅から徒歩10分でエドウィン・ダン記念館に着いた。 建物は明治13年、エドウィン・ダンにより北海道開拓使の「牧牛場事務所」として建設されたもの。 今日は幸運にも開館日。

エドウィン・ダンは明治期 開拓使に雇用され、北海道の畜産業に大きく貢献し、 のちに駐日米国公使を勤めた人物である。 日本でのバター・チーズ作りの試作も彼が始まりとか。 人生のほとんどを日本で過ごした彼は、立て続けに若いまま亡くした2人の日本人妻とともに、 オハイオ州の実家へ戻ることなく日本の青山墓地に眠っている。

同時期に開拓使の顧問として来日にしたクラーク博士に比べれば、知名度は地元でもイマイチだが、 先週 新聞でとりあげられたそうで、ひっきりなしに見学者が訪れていた。

館内の展示などを見た後で、多目的室で学芸員さんとアルバムをめくりつつ、ダンのご遺族がここを訪れた時のことなど話は弾む。 気が付けば滞館時間ほぼ2時間。 時間の経つのも忘れ、ダンの往時に思いを馳せる満ち足りた時がまったりと流れていた。 今日の真駒内の繁栄、札幌の近代化、ひいては日本の牧畜業の発展は、彼の功績なしで語れないのかもしれない。

エドウィン・ダン記念公園


記念館の東に隣接する公園。
紅葉の名所としても知られ、季節ごとに美しい自然の姿を市民に見せる。

この時期は真駒内の街全体も黄色に色づいた銀杏の葉がおりなす「黄金の世界」にすっぽり包み込まれ、 まるでメルヘンの世界へ迷い込んだ様な気分。 まさに“黄金の国ジパング”ならぬ“黄金の街・真駒内”。これぞ、札幌の秋!
3日目  29,033歩
~小樽~
19/10/30 JR南小樽駅

小樽観光の起点は、やっぱり「南樽(ナンタル)でしょ」。 地元民は小樽の隣町・南小樽を縮めてナンタルと言う。 かつて父が小樽で単身赴任していた時の社宅が小樽駅とナンタルのほぼ中間の東雲町にあったため、 この駅はよく利用していた。今日は、数十年ぶりに南小樽駅に降り立つ。

駅舎はコンビニが同居し、どちらが大家で店子やら・・・昔の面影の欠片すらない。 「オラがテリトリー」気分は一瞬に吹き飛んだ

19/10/30 旧小堀商店

南樽駅は、住宅街のど真ん中。 「はて、どっちへ歩けば良いのやら」とんと見当がつかない。 交差点から左に首を回すと海が見えた。 ならば海と並行に歩けば小樽駅につけるだろうと、信号を渡り歩き始めた。

目の前に現れたのは、小樽市指定歴史的建造物の「旧小堀商店」。 1932年(昭和7年)、現在の住吉町に小堀商店の店舗として建てられた。 どんな商売の店だったのかは不明。 外壁は木造に鉄網を張りモルタルを厚く塗った“木骨鉄網コンクリート造り”と呼ばれる堅牢な造りで、 黒い外壁が重厚で渋い。 防火シャッター、二重窓、全室スチーム暖房を備えていた。昭和初期に、だ。 裏には漆喰づくりの蔵もあったそうな。どんだけ金持ちだったのだろう。 資金をふんだんに投入した近代的建物は、当時の小樽の人々の目にどう映ったのか。 昭和初期の小樽の栄華、その桁違いのスケールの大きさを、今に伝えてやまない。
19/10/30 メルヘン交差点
メルヘン交差点

堺町本通りにかかる
白い横断歩道

やはり(?)道を間違ったようだ。 来た道を戻り、再度 振り出し。 「小樽駅」をスマホ検索してみたが、陽が眩しくて画面がよく見えない。 すると、目の前にいた中国人カップルが自分のスマホを覗き込み、指を指して歩き始めた。 このシチュエーションで道を探すなら、目的地は私と同じに違いない。 そっとスマホをバッグへ戻し、中国人観光客の後に続いた。 何とも情けない元北海道民、とほほ。 住宅街を歩いて、小樽観光の玄関口・メルヘン交差点(堺町交差点)に出た。

写真右端に微かに写るのは「常夜灯」。 本州から小樽へ物資を運ぶ船の目印として丘に建っていた灯台を模し、 この地に建てたそうな。 今では、この交差点のランドマーク。

メルヘン広場


常夜灯そばの花壇の縁に陣取る南瓜たちもハロウィンの装い
19/10/30 堺町本通り

堺町本通り
(ここからは人気名店が目白押し)

蒸気時計(小樽オルゴール堂前)

1977年・世界2番目に作られたもの
15分毎に蒸気が上がり汽笛のメロディーが流れ
英国調の細工がメルヘンの雰囲気を醸し出す



小樽オルゴール堂

今日も外国人観光客で賑わう



アウトレット




小樽出世前広場

「ケンケンバ通路」足元には歩順に〇印が




広場にある歴史館の展示品
左から、貯炭式ストーブ・湯沸かし器・達磨ストーブ
かつては北海道の冬に欠かせなかった暖房器具・・・懐かしい
19/10/30 手宮線跡地

線路左沿いに色内驛
その奥がMOGURA's Bar

手宮線は、1880年 北海道で初めて開通した幌内鉄道の一部。 南小樽~手宮間を結ぶ僅か2.8kmの短い線路である。 1985年に廃止となり、うち約1.6kmを小樽市が散策路として整備し今日に至る。 線路や枕木や遮断機などが当時のままに残り、鉄キチならずとも垂涎モノ。

枕木を踏みしめ線路づたいに歩を進めると、往時の賑わいが瞼に浮かぶ様だ。


色内驛

かつて色内町にあった手宮線の仮乗降場
2011年 休憩施設として復元



MOGURA's Bar

旧 手宮線にある飲み屋
ガラクタの山を潜って店内へ入るため客はモグラの様
漂うは不思議な雰囲気
一見さんは、ちと入り難い様な~
19/10/30 旧小樽倉庫

煉瓦棟(旧 事務所)を中心に
左右対称に展開

1890年(明治23年)から1894年にかけて小樽運河沿いに建てられた石造建造物(小樽市指定歴史的建造物第13号)

当時の小樽は近江商人と越後商人の二大勢力が覇権を握り、北前船という運輸を武器に街の整備を図っていました。 38,000坪に及ぶ海岸埋め立て地が造成され、そこに木骨石造りの大規模な倉庫が、次々と建てられました。 1898年(明治31年)には108棟にまで増えています。

小樽倉庫の創立者である西出は加賀の出身で、はじめは近江商人に雇われていましたが、やがて独立し、 新興勢力として近江・越後の旧勢力に対し影響を強めていきました。 小樽倉庫はその典型と言え、新興勢力の勢いを表す鯱(シャチホコ)が印象的です。

(出典・株式会社ノーザンクロス「北海道文化資源データベース」)

「小樽に倉庫群があるのはあたり前」で、その歴史を意識した事がなかっただけに新鮮だ。

写真中 赤煉瓦棟の右の建物が恐らく最初に建築された倉庫で、 その後 増築を重ね2つの中庭を囲む大倉庫となったそうな。 煉瓦棟の瓦屋根上には立派な鯱が在るのだが、道路が細くて写真に納まらなかった。残念。

ちなみに、旧小樽倉庫は運河プラザ(観光案内所)と小樽市総合博物館運河館として、今も現役で活躍中。
19/10/30 小樽倉庫No1

店内中央の仕込み釜
今も現役で稼働中
小樽運河沿いの倉庫・小樽ビール醸造所の中に、1995年Openしたビアパブ。

ドイツのブラウエンジニア、ヨハネス・ブラウンが醸造する本場ドイツビールと地元食材を基調とした料理が評判なのだとか。 なお、無料で見学ができるそうな。

ドンケル中@610円(税抜)




田舎風テリーヌ@580円(税抜)

道産ポークと鶏の白レバーを網脂で包み
低温でじっくり焼き上げたもの

異国情緒あふれる小樽運河を散策し、ふらりと倉庫内の店舗へ足を踏み入れた。 まるで、秘密基地に潜り込んだような~。 となれば、昼のビールも至極当然の成り行き。 本場ドイツビールと一人旅の解放感が、ゆっくりと喉を流れ落ちた。ああああ、しあわせ。
4日目  14,851歩
19/10/31 飛行機の遅延もなく、無事に帰宅。
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