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2017年 道央旅行記

関東在住の息子を伴って2年ぶりの札幌里帰り

17/09/02~17/09/09 

旅程                                           
1日目 ●北海道新幹線 東京⇔新函館北斗
●函館グルメサーカス 函館
●函館山の夜景 同上
2日目 ●函館市電 同上
●外国人墓地 同上
 ○函館中華山荘 同上
 ○在日ロシア人墓地 同上
●元町公園 同上
●旧函館区公会堂 同上
●八幡坂 同上
●函館西高校 同上
●函館ハリストス正教会 同上
●五稜郭タワー 同上
3日目 ●中島公園 札幌
●札幌ファクトリー 同上
●北海道庁 同上
4日目 ●札幌市公文書館 同上
●元の我家 同上
●“ゴッホ展” 同上
●北海道大学 同上
●札幌駅前通地下歩行空間 同上
5日目 ●千秋庵の水 同上
●さっぽろテレビ塔 同上
●赤れんがテラス 同上
7日目 ●札幌市電 同上
 ○外回り 同上
●札幌控訴院(現 札幌資料館) 同上
 ○おおば比呂志記念室 同上
●札幌オータムフェスト 同上


泊まったところ ●ハウス山田
●ホテル翔
●札幌オリエンタルホテル


食べたところ ●きくよ食堂 オリジナル和洋食
●函館グルメサーカス ビール、鯖串、せんべい汁
●らーめんサッポロ赤星 醤油ラーメン
●はまのだいどころ 一番搾り&十勝コロッケ
●スカイレストラン丹頂 ランチ会席
●北海堂 酒&あて
●狸小路ライオン ビール、ジンギスカンほか
●花ぶさ 生ちらし


食べたもの ●ハンバーグ ラッキーピエロ
●鰊みがき弁当 駅弁の函館みかど


閑話 ●アクシデント

1日目   北海道新幹線 初体験
17/09/02 北海道新幹線

東京(6:56)→新函館北斗(11:13)

朝早いので、東京駅にて寝ぼけ眼で息子と合流。
これから1週間の長い旅が始まると言う実感が、イマイチ湧いて来ないのだが・・・

息子がスマホで自分席を取った乗車1ヶ月前、スマホ未所持の私と家人の席は「駅ネット」で予約した。 息子の席は4号車。隣席を@21550円off(運賃+指定券)で取れたが、後の1席をどうするか・・・。 で、7号車@17010円(運賃+指定券)。離れてはいるが、着いてしまえば一緒か。

列車は定刻どおりに東京駅を離れ、一路 新函館北斗を目指し走りだした。 滑るように振動がない!早い!快適、快適。 4時間はあっと言うまに過ぎて、終着駅に着いた。 エンドレスで乗り続けたい気分。
~函館篇~
17/09/02 函館グルメサーカス

大門会場

新函館北斗駅に着くと、親友がホームで待っていてくれた。 ここから、ともに函館へ向かい、我家の男性陣とは夜まで別行動。 私は親友との楽しい時間を共有する。

今日から函館で「函館グルメサーカス」と言う催し物があるそうな。 早速、ふたりで繰り出した。 公式サイトによると「世界から、日本各地から函館とゆかりのある都市の美食が集結。 2つの会場、4つの広場で開催する世界最大級のグルメイベント」。

寂れゆく函館に、かほどに人がいたのかと驚く盛況。 どうやら、美食業者も集まった人たちも市外からが多いみたい。 それでも函館の観光力を見せ付けられる思いがする。 これほど人を魅せる観光都市ならば、市としての未来は、まだまだ可能性を孕んでいる。 そこが、他の斜陽都市との大きな違い。さすが、函館。 明るい展望が、かいま見える。と言うか、見たい。


八戸の鯖串



南部のせんべい汁

あれこれ飲み食いした中の2品。
いずれも、その地域の名物で旨い、美味い。 家人が光物が大好きで日頃から鯖は多く食卓にのぼるが、こんな食べ方があるのね。 と目から鱗。串刺しにした形態だと、まるで別物。 加えて、鯖の身が厚く油がのって美味いのなんのって。 せんべい汁もせんべいを入れることで、奥深い出汁しるになっている。先人の知恵か。
今別の荒馬

大門の広場でやっていたのが青森・今別の「今別の荒馬」

田植えが終わり、田の神が天に昇るその時、農民は感謝と加護を込め、 二頭の荒馬が各家の戸口で踊り、 赤襦袢と花笠の踊り子たちが踊りながら町を練り歩く。 そんな神送りの行事だそうな。

津軽地方のその神は、ボーの神と呼ばれる男女二体の藁人形を先頭に太刀を振り、 傘鉾・サラ・荒馬の順に笛太鼓の囃しに送られて、 村中を練り歩き鎮守の木に藁人形をかけて帰る。 のちのち、これは省略され、太刀振りと荒馬になりつつある、らしい。 あとで調べて知ったこと。

いつの時代もどの地域も、祭りは豊穣や豊漁を神に願うもの。 そうして、人々は自分の明日が安念である様に神頼みをした。 素朴だけれど、切実な思いが胸を突く。やっぱり、昔ながらの伝統の祭りは素敵だ。
17/09/02 きくよ食堂 ベイエリア店

昭和31年、駅前の朝市でカウンター10席の食堂としてスタートした老舗。 本店・支店・ベイエリア店と3ケ店を展開する。 ここは、他の2店とは少し離れた海沿いの店。 ラビスタ函館ベイホテルに隣接する函館ベイ美食倶楽部という飲食塔の中にある。

建物は番屋風で、内装は垢抜けたハイカラな洋風。 場所柄、駅前の賑わいとは違い、しっとりとした雰囲気が漂う。

もう二昔も前、友達と青森ねぶたまつりへ向かう途中の函館で、駅前辺りでの宿確保に難儀し、 結局 朝市裏の「きくよ」だったか「きくよ旅館」だったかに、宿を確保した。 が、建物はぼろぼろ、水道の出も悪く、何より漂う饐えた臭いに閉口した。 あの旅館と関係があるのだろうか。あるとすれば、この勢いに目をこする思いだ。

一時期、ベイエリアあたりを歩くと「魚長」があちこちに勢力を張っていた。 元は魚屋で、まさに飛ぶ鳥落とす勢いだったと記憶する。 しかし、いつしか魚長の店舗を目にする機会が少なくなった。 魚長の子息は、弟の同級生だったので気にかかる。

人口減・漁業の衰退と、負の目が多い函館に、長年の宿願であった新幹線と言う追い風が吹いた。 函館は、今やっと観光を後ろ楯に息を吹き返しつつある様に見える。 それだけに、業界の栄枯盛衰も並みのものでは済むまい。

お通し



日本酒3種セット(大雪の蔵・菜の花の沖・北の誉)



きのこの炒め



海草サラダ



カスベの煮付け



知床の若鶏



くじらの龍田揚げ

「出来るだけ北海道らしいものを!」と言うチョイス。 私と息子は大いに呑み、下戸の家人は白飯やら握り飯とともに。 どれもこれも、美味い。満足。
17/09/02 函館山の夜景

心配していた雨があがった。 家人と私は、肝心な時に雨が降る雨夫婦。 今夜の晴れは、晴れ男の息子のお陰か? 土曜のせいもあり人出は多いが、前回の様な中国人観光客はとんと見当たらない。

ロープウェイで山麓から山頂まで3分。 窓ガラス越しに展開する函館の街あかりに、小さな溜息がそこここから漏れる。

「宝石箱をひっくり返した様な」とか「星を散りばめた様な」と、表現される事が多い函館山の夜景。 「世界三大夜景からは外れた」と言う説もあるが、何番目でも良い。 ただ、神秘的な瞬きで人を惹きつけてくれるならば。 初めて訪れた息子が、隣で吐息をもらした。
17/09/02 ハウス山田

函館山の夜景見物を想定し、 「なるべく山の近くに」と息子が予約したここは、電停・宝来町から500m。 ロープウェイまで1.2km。海まで1分。近くに店屋が少ない事を除けば、絶妙の立地。 料金は、3人素泊まりで8100円。 3で割ると・・・1人2700円。

部屋は広めの和室で、トイレと風呂は共用。 扇風機あり、旧型の厚いテレビあり。 どことなくレトロな旅館風だ。 玄関脇の受付に続く部屋は、たぶん表札によれば山田夫妻の居間で、 普通の暮らしを営みながら、店番をしている感じ。 2人が醸し出す雰囲気が、まったりとした不思議に居心地の良い空間を作り出す。

布団の中へ潜り込むと、寄せては返す波の音に誘われ、いつしか夢の中へ。

玄関先に貼られた写真は、ここを訪れた客たち。中に、俳優・松田龍平の姿を発見。
2日目
17/09/03 函館市電

函館の足と言えば、市電。 路線は2系統が運行され、「湯の川から十字街」までは共通で、 十字街からは函館ドックへ行く⑤系統と、谷地頭へ向かう②系統。 つまり、五稜郭公園や朝市・ベイエリア・ロープウェイ・本町教会群などへ行きたい時はどちらの系統でも良く、 十字街から先の谷地頭温泉へ行く時は②系統が良い。

車両の意匠はスタンダードなモノから函館ハイカラ号など多種あり、 市民はもとより観光客の目を楽しませ、函館の顔として果たす役割は大きい。

昔々、この電車で通勤していた頃は、「自力で走った方が早いだろう」と遅さにじりじりしたが、 今はそのまったり感こそが函館そのものと思う。 景色までもが、時間軸から抜け出た様にどっしりと悠然として見えるから不思議だ。 しかも、次の電車までの間隔は6分だとか。昔はもっと長く待たされた気がするのだが。

北海道で路面電車が走っているのは、函館と札幌のみ。 私は子供時代を札幌でおくり、年に1度ほど母の実家がある函館へ里帰りしていた。 当時、JR(国鉄)の列車を汽車と言い、路面電車を電車と呼んでいた。 汽車と言ってしたのは、北海道と東北のごく一部地域だけだったと、長じてから知った。 子供だった私にとって、もうもうと煙を吐き出しぜいぜいと全力を尽くして走るのが汽車。 マイペースで、すかして静かに走るのが、電車だった。

あれから幾星霜。 函館の電車は装いこそハイカラに変身したが、今も昔のままに市民の暮らしの中を縫って走る。
~元町界隈~
17/09/03 外国人墓地

函館山の北・函館港を望む高台に、カソリック・プロテスタント・ロシア人・中国人の四つの墓地が並ぶ。 人呼んで、外人墓地。

そも始めは、ペリー函館来航の折に死亡した2名の水夫を埋葬したのが、始まりとか。 以来、居住する外国人の死亡が増えたため、開拓使と在函5カ国領事との外国人墓地設置の協定書が結ばれたそうな。
函館中華山荘

墓地への道を行くと、右手に中華山荘、左手にロシア人墓地、 その先にプロテスタント墓地が寄り添う様に建つ。中へ入れるのは、ここだけ。

中華山荘の墓は、レンガ造りの塀内に23基。

海産物貿易のため函館に中国人が住み始めたのは、幕末。 そして、明治9年 青森から流れ着いた中国人の遺体を埋葬するために、 開拓使からこの地を借りて葬ったのが、この墓地の始まり。

赤いレンガ塀と、対峙する青い海とのコントラストが、目にも胸にも染み入る。 得も言えぬ美しさだ。

在日ロシア人墓地

別名・ハリストス墓地。 500坪の広大な敷地に、初代領事夫人を含む43基を包含する。 かまぼこ型の墓石が地べたに横たわる。そのせいで見通しが良いためか、静謐そのもの。

八端十字架

と、ここで息子が言った。 「十字架にも種類があるの、知ってる?」。

そう言えば、ここのは、一般的に見る十字架と較べて、上の1本と下に傾いた1本が多い。 八端十字架と言うらしい。上の線は、十字架に打ち付けられた罪状書きを、下の斜め線は足台を表すそう。 正教会では、十字架に足台があると言う。 これが無ければ、罪人は体を支えきれず窒息死するので、 足台により罪人を長く生かして苦しみを引き伸ばすのだと。 斜め線は、共に十字架に架かった盗賊のひとりが悔い改め、天国行きを約束されたから。
17/09/03 元町公園
「箱館」という地名の由来となった所。

江戸時代、松前藩藩主・武田信広に同行して北海道を訪れた河野政道が、 このあたりに箱型の館を建てたことから、箱館と呼ばれだしたと言う。 江戸時代は函館奉行所、明治には北海道函館支庁と、函館の行政を司る要所でもあった。 今は桜やバラの名所として、市民の憩いの場。

函館港を一望するこの地に立てば、眼下に、 いつの時代も懸命に生きた市井の人々の暮らしぶりが髣髴と蘇り、 悠久の時の流れに誘われる。
17/09/03 旧函館区公会堂




バルコニーからの眺望
(右下・東屋が元町公園
その上が港)

函館港を見下ろす高台に建つモダンな建物。 白を貴重とし、左右対称。どこかで見た様な。 そうそう、札幌の豊平館によく似ている。 いづれもコロニアル建築という様式だそうな。入館料・300円。

130坪の大広間
(ピカピカの床にシャンデリアが反射し鏡の部屋の如し)



御座所

ちょうどコンサートがあり、大広間では音あわせなど準備が進められていた。

ここには、ちょっと面白いものがある。その名「ハイカラ衣装館」。 衣装レンタル料・1着20分@1000円。 女性用衣装だけでも60着ほど、燕尾服、子供用などを合わせると100着を超えるそうな。 豪華なドレスに身を包み館内をあるけば、気分はすっかり鹿鳴館の貴婦人という仕掛け。

気がつけば、10人ほどの貴婦人団体に家人がつかまり、俄かカメラマンを相勤める仕儀となった。
17/09/03 八幡坂

函館の行きたい坂・NO1。

真っ直ぐ伸びる石畳を登る。 振り返ると、たっぷりと碧を湛えた函館港・そこに停泊する青函連絡船・摩周丸、 坂の両側を縁取る街路樹の緑。 まるで、写真家が作り出した一枚の構図の様だ。言葉もなく美しい。
17/09/03 函館西高等学校

八幡坂の先にある、木の横に垣間見えるのが、西高。 この角度で見る西高こそが、これぞ西高。

今更ながら薀蓄を垂れると、卒業生に北島三郎、佐藤泰志、辻一成ほか多数。 校訓が「志高く」。かくありたしと、つくづく思う。

かく言う私は、西高が背負う函館山の対岸にあった函館北高等学校に三年時転入のOG。 今は東高校と合併と同時に東高の地へ移転して、母校は姿形を変えた。

当時、学祭準備の闇の中に浮かぶ函館の裏夜景を、感動の思いで見入った。 その裏夜景の中にある西高の存在は、立地・伝統ともに「ある種の憧れ」。 時は流れ、生徒数の増減により高校の編成が進んだ中、 MYペースで今も変わらず敢然と建つ。 斜陽の西部地区という立地が、逆に観光的な差別化をなしたのか。

長い歴史に裏打ちされたそこは、時代が移ろうとも変わることなく素敵。

もう一度高校生活が許されるなら、私はここで学んでみたい。
17/09/03 函館ハリストス正教会


その名の通り「ハリストス」(キリストのギリシア語読み)の復活を記念する聖堂。 別名ガンガン寺。 創建時、5個の鐘を設置し鳴らしたため、いつしか市民はガンガン寺と言う様になったそうな。 初代の聖堂は明治期に鐘もろとも消失し、すでに鐘がないにも関わらず、 市内在住の叔母がよく「ガンガン寺」と呼んでいた。

庭の聖ニコライ像に目をやれば、上部に刻されているのは、先ほどロシア人墓地で見た八端十字架。

大正5年に再建された聖堂は、聖コニライの涙ぐましい熱意と尽力の賜物。 青緑の屋根、ここにもロシア正教の標・八端十字架を乗せた玉葱型のドームがあり、 漆喰の白壁とともに荘厳な異国情緒を醸し出す。
17/09/03 五稜郭タワー

「せっかく西部地区へ来たのだから」と、谷地頭温泉でひとっ風呂。 昨日のフリータイム、家人は谷地頭、息子は湯の川温泉に浸かって来た温泉大好き一家。 何度も掲載しているので、ここは割愛するが。

「まだ、行った事がない」との息子の一言で、次は五稜郭タワーへ。 しかし、時間がない。気が急いて、電車の中で足踏み状態。

「おぉ、星型の五稜は勿論のこと、函館山までがくっきりと見える」。晴天に感謝。 ここは、戊辰戦争における最後の砦。 新政府軍の猛攻により、あっけなく陥ちたが、北海道では数少ない歴史の地である。

予定では、濠の周りをゆったりと散策のはずが、 札幌へのJR発車時間にすら間に合うか否か際どい情勢となってきた。
17/09/03 ラッキーピエロ

ベイエリア本店

函館の人気ハンバーガーチェーン店。 作り置きをせず、注文を受けてから調理するのがウリ。 「ロックバンド・グレーのメンバーたちが学校帰りによく通った」 と言う逸話が広まってから、その人気は全国区となった。

ちなみに、ベイエリア本店の隣は函館名物・焼き鳥弁当の長谷川ストア。 函館グルメが二店並んでいるあたり、さすが観光都市・函館。

実は私、長谷川ストアの焼き鳥弁当は何度か食べたものの、ラッキーピエロは未だ未体験。 時間との戦いの中、五稜郭タワーでちょっと離れ技を駆使した。 まずは二手に別れ、息子はタワー向かえのラッキーピエロへ予約注文に走り、 私と家人はタワーの入場券購入の列に並ぶ。

観覧後のタワーを後に、ハンバーグを抱えた息子を拾ってタクシーで函館駅へ。

ほっと一息ついた電車の中、辺りに漂うだろう臭いを気にしつつ、三人でシェア。 やっぱり、作りたては美味い!至福のランチ。
17/09/03 鰊みがき弁当

昨日 友が夕飯用に買いそびれた、函館の人気NO1弁当。@880円。 札幌で1人暮らしの母宅での今夜の晩餐用に、人数分を購入した。

昔からあったそうだが、私が函館に住んでいたのは、もっともっと昔。 依って、私にとっては「鰊みがき弁当」の喰い初め。

内容は、鰊の甘露煮、数の子、蕗の含め煮、沢庵。 肉厚の鰊は甘辛く味が滲み、数の子の歯ごたえがプリプリと堪らない。 「親子丼の魚版」と言う人もいるが、言い得て妙。美味で味わい深い親子なり。
~札幌~
17/09/03 ホテル翔
ここ数年、我家の札幌での定宿。 地下鉄・南北線「中島公園」駅徒歩1分の利便性、無料で朝食がつき、しかも安いのが、その理由。 今回は私・家人・息子のトリプルで9800円。(ひとり@3264円)。 トリプルは、さすがに広く居住性が良い。

札幌の歓楽街・薄野も徒歩圏内。 宿泊者は、1F食堂で自由にCoffeeが飲めるのもポイント高し。

取り急ぎチェックインして、久しぶりの晩餐のため市内の母宅へと向かった。
3日目
今日からは、6日間の札幌生活。基本、私・家人・息子は其々に別行動。 で、時に札幌在住の娘と合流し、母宅へ行くと言うスタイル。
17/09/04 中島公園

菖蒲池

一人ぶら歩きのスタートは、宿泊場所・「ホテル翔」から徒歩1分、地下鉄・中島公園駅の入口にある中島公園から。 というより、地下鉄駅が公園に抱き込まれていると言った按配。

札幌の中心部に位置した緑豊かな市民の憩いの場所。 国の重要文化財の豊平館や八窓庵、音楽専用ホールKitara、天文台など観光地としての人気も高い。 周辺には、多数のホテルが林立する。

かつて札幌交響楽団の常任指揮者だった尾高忠明氏は 「Kitaraでの公演の際は公園内のパークホテルへ泊まり、 朝靄の公園をジョギングしている」と、自らの弁。 「札幌のど真ん中に、こんな自然豊かな空間がある事が不思議な気さえする」。これは、私の弁。


こども劇場・こぐま座

昭和51年、当時の札幌市長が、 姉妹都市・ミュンヘン訪問で目にした人形劇を見入る子供たちに感動して 全国初の公立人形劇場が生まれたそうな。

小さなちいさな劇場だが、人形劇・腹話術・紙芝居などアマチュアによる上演が行われている。 かく言う私も、ここでの人形劇講座へ通ったことがある。 演劇と違い人形が中で演ずる的枠はとても小さいが、 それだけに演ずる者も観る者も共に物語にぐいぐいと惹き込まれていく。

豊平館

1880年、開拓使が高級西洋ホテルとして建造。 FirstGuestは、明治天皇。 以後、要人の宿泊や晩餐会などに使われ、公会堂となり、 大戦により日本軍からアメリカ軍へと所有権が移ったことも。

その後 2012年までは、市営結婚式場として使われ、かつて弟もここで挙式した。 弟は、大学進学のために札幌を離れ、以来 関東在住。 挙式のため、新妻を伴っての久しぶりの帰郷だ。

と、披露宴の席でのこと、新郎である弟がマイクを握った。 曲は、石原裕次郎の「恋の町札幌」。 ちなみに、私は彼が生れ落ちて以来の長い付き合いだが、彼の歌を聞いたのはこの一回のみ。

“ 淋しい時 むなしい時  私はいつも この街へ来るの
 どこか違うの この町だけは なぜか 私にやさしくするの
 恋人なのね 古里なのね ありがとう 私の恋の町 札幌 ”

ここは、札幌を象徴する建物・豊平館。 札幌への思いが惻惻と伝わり、私の目から滂々と涙が流れ落ちた。
17/09/04 札幌ファクトリー

明治9年創業の「開拓使麦酒醸造所」跡地。 平成元年までサッポロビール第一工場として創業したが、今は複合商業施設。

施設は、1条館・シネマ札幌・2条館・3条館・フロンティア館・アトリウム・レンガ館・西館 (ホテルクラビーサッポロ・ファクトリーホール。

これほどの大型施設が札幌中心部にあるのに、いまいち人気に火がつかないのは、 札幌駅から徒歩15分ほどと足回りが悪く、近隣に一目を惹く施設がないためだ。

しかし、最近は近くの創成川地区再生計画により、徐々に人々の足が向きつつある。

アトリウム

2条館と3条館をつなぐシンボル的スペース。 年中 緑が絶えぬ屋内庭園は、都会のオアシス。天井が高く、開放感に包まれる。

11月には、十勝の広尾から運び込んだ巨大クリスマスツリーが出現し、 見上げる木はスルスルと天まで登っていけそうな程。 まるで、ジャックと豆の木さながらに。

札幌開拓使麦酒麦酒醸造所 見学館
(レンガ館1F)



北海道開拓使のシンボルマーク・赤い五陵星

昔の麦酒工場の姿をそのまま今に残す見学館。

とは言え、中は大釜が3つほどとパネルが数枚と言う寂しい展示内容。 以前は、もっと資料が多かった記憶があるのだが。 しかし、赤レンガの建物は雰囲気があり、秀逸。 思えば、建物内部を見学できるのも、見学館として公開しているおかげ。

札幌開拓使麦酒・賣捌所



見学館わきのショップ。つくりたての麦酒が飲めるので、いつも誰か彼かがグラスを傾けている。

私は、4種類ある中から「未濾過非熱処理」@250円をチョイス。 富良野産の麦芽とホップを使用し酵素は濾過しない、サッポロビール創業当時の味を再現したとか。 重厚にしてしっかりとした味わい。 実はこの麦酒、ここでしか飲めず、明治天皇もお代わりをしたそうな。 五臓六腑に沁みわたる。
17/09/04 らーめんサッポロ赤星


狸小路にある元祖ワンコインのラーメン店。 赤星と言う店名は、北海道開拓使のシンボルマークの五陵星に由来する。

札幌ラーメンと言えば全国区の人気グルメだが、そのほとんどは値段も超がつく高さで、 野口英世1枚で数個の小銭のお釣りが返って来るか、或いはそれでは足りないこともままある。 これって、高くない?と思っていた札幌住民時代。 ある日、開店したこの店に足はひとりでに引き付けられていった。

小腹が空いた時 ワンコインを握り締め、ひょいと店に飛び込んで熱いラーメンを啜る、 そんなササヤカな幸せを噛み締める。これぞ、庶民食・ラーメンなのだ。

醤油ラーメン@500円

鶏ガラをじっくり煮込んだ白湯系スープは、見かけによらず あっさりまろやか。

初めて来店した時、「ニンニクのすり下ろし」と「ゴマすり器」がカウンターに置かれていた。 自分で好きな分、好きなだけを好みでかける。 あぁ、なんて旨いのだろう。 以来、我家の食卓に「すりおろしニンニク」と「ゴマすり器」を常置し、 ニンニクは週末、ゴマは都度ゴリゴリと擦って色々な料理にかけている。 我家の食文化を一新させたお店、と言っても過言ではない。
17/09/04 北海道庁

道庁赤レンガ庁舎、または赤レンガとも呼ばれ、道庁の旧本庁舎。 道庁のシンボル的建物である。閲覧無料。屋根には、北海道開拓使の象徴・赤い五陵星が。

人目を惹き付けてやまない、アメリカ風ネオバロック様式で建てられた赤レンガの建物。 秋は前庭で色づく銀杏、冬は一面の雪景色、 それらと相まって季節ごとにその顔を変え幻想の世界を作り出す。

内部は現在、多くのスペースが一般公開され、一部は会議室としての使用もされている。
北海道立文書館・観光情報コーナー・北海道歴史ギャラリー・樺太関係資料館・赤れんが北方領土館など。 以前 駅近くにあった文書館や北方領土館は、北海道関連施設というカテゴリーでこちらへ纏めたもの。 北海道の歴史を凝縮して詰め込まれていて、観光客にも興味深い施設である。

文書館には、明治期の札幌市街を再現したジオラマがあった。 ビルのない市内中心部を俯瞰すると、市内がのっぺりと近く感じられる。 入口付近の北海道の名付け親・松浦武四郎が描いた北海道地図(複製)は、 まるで上空から写真を撮った様に正確だ。 ヘリコプターも無い時代に、自分の足ひとつでしっかりと土地の全体像を把握したことに、 唸ってしまった。
4日目
17/09/05 札幌市公文書館

朝もやの中、ホテルを背に南西へ歩くと、住宅街の中に公文書館を発見。 にしては、しょぼい建物!?と思ったら、元々は札幌市立豊水小学校と言う歴史深い公立小学校。 2004年に札幌市立資生館小学校へ統合され廃校となったため、校舎を歴史資料館として活用しているそうな。

受付もない。躊躇いつつ、そっと玄関戸を開いた。現役当時そのままのガッコの玄関だ。

人の気配も無い館内の階段を上がると、小さな展示室。 中には地図や写真などの歴史資料が展示されていた。 向かえの部屋は、図書館の雰囲気。 どうやら、ここで札幌市政の業務で使用されなくなった重要文書(特定重要公文書)が所蔵されている模様だ。 「ほぅ、なかなか面白いじゃあないの」と思ったが、調べたいモノが思いつかず館を後にした。
17/09/05 元の我家

「ちょっと見てみたいな、でも見たくないかな」

札幌の自宅を売却して2年半、「今どうなってるのだろう」。 思う反面、見るのが怖い思いも否めない。 と、昨夜 ホテルへ戻った家人と愚息がそれぞれに、近くまで行って来たと。 背中を押された訳でもないが、次に見る機会がいつ来るかもしれない。 と、思い切って行ってみた。

場所は札幌・円山の麓。 懐かしい街並みを歩くと、鍵を開けて「ただいま」と玄関を入ってしまいそうな気がしてくる。

さて、旧・我家。 紺碧の外壁が緑に塗り替えられ、円山の木々の中に建つリゾートハウスの雰囲気。 2階が居間なのか、1階・ベランダは小さな小窓。 かつての物置は取り払い、カーポートに代わっていた。 お洒落に変身していたが、これで冬を越せるのか、とふと老婆心が頭をもたげる。

懐かしい、ただ懐かしい。 札幌の中心部なのに緑がいっぱい。 この場所が好きで、なんとか遣り繰りして手にしたMy Home。 ここで暮らした25年の1日1日が頭をかけめぐる。
17/09/05 “ゴッホ展”

ゴッホの「花魁」

“巡りゆく日本の夢”(副題) 北海道立近代美術館 @1500円

館前の特設チケット売場は、当日券を求める長蛇の列。 15年ぶりの札幌開催だけに、ファンの期待の大きさの表れでもある。

今回のテーマは、「ゴッホと日本」。 日本を夢見て身を揉むほどに焦がれつつも、一度も来日の機会がなく、 日本への憧憬は片思いのまま生涯を閉じた。日本の浮世絵を見、日本の小説を読むうちに、彼は頭の中に架空の桃源郷・日本を作り上げていった。 人が心で思い続けると言うこと、凄い。 同時に、ゴッホがこれ程までも精神世界で日本と繋がっていた事に驚く。皮肉にも、ゴッホの死後、今度は逆に日本の画家たちがゴッホに強く惹きつけられていった

浮世絵に傾倒し学び編み出した「陰影を除いた平板な描写法」と鮮やかな色彩は、 ゴッホの代名詞的画風である。そんなゴッホが日本を求めて移り住んだのが南アルル。

「この地方は大気の透明さと明るい色の効果のため日本みたいに美しい。 水が美しいエメラルドと豊かな青の色の広がりを生み出し、まるで日本版画に見る風景のようだ」
「ここではもう僕に浮世絵は必要ない。 なぜなら、僕はずっとここ日本にいると思っているのだから。 したがって、目を開けて目の前にあるものを描きさえすればそれでいい」。
こうして、この頃のゴッホは明るく穏やかな風景画を残す。

そして、ゴーギャンとの共同生活が始まり、かの有名な耳切り事件が起き、精神病に苦しむ。 この頃の作品は、色使いが暗く線づかいも猜疑が顔を覗かせる不安定さ。 浮世絵に傾倒していた頃に比べると、まるで別人の筆のようだ。

ゴッホの精神変化による作品の変貌が手に取る様に見え、 いつしか、ぐいぐいと引き込まれ、観る者みずからがテーマに肉薄していく醍醐味。

見終えての、この達成感はなんだろう?
それは、角度を代えた視点から構成された、一遍の物語を見る様な、ストーリー性あふれる作品展示による。

①ゴッホの日本への憧憬と作品への影響
②南アルルでの生活
③ゴッホ死後、日本人画家たちのゴッホへの傾倒と彼らのゴッホの墓巡礼
④③の巡礼のおりに、彼らがゆかりの家に残した芳名帳。

稀に見る秀逸な画展。主催者側の緻密な企画構成力に、まんまと絡めとられたじぇ。
17/09/05 北海道大学

お馴染みクラーク博士

春の桜は見事で、学祭は、それは楽しかった。 当時 息子が就活で帰札しており、 「おかん、留学生は日本の物価高で苦しい生活をしているのだから、なるべく留学生の店で買ってやって」 と言うので、学祭時のランチは同僚とパエリアやら生春巻きやら本場の餃子やら、胃袋は連日の多国籍料理でパンパン。 奥の農園近くの店は何やらフライパンで魚の唐揚げを細々と営んではいるものの、 売買の目的をすでに忘失し、趣味の境地。でも、美味しそうな~。と思わず財布を開いた。 で、「この魚、どこから仕入れたの?」と聞くと、なかの1人がにんまりと 「昨日、仲間たちと小樽で釣って来ました~」。 え、もし、釣れなかったら今日どうするつもりだったの? と突っ込みたかったが、そのテンションの高さと弾けっぷりが何とも可愛い。

東大の三四郎池とは言わないが、北大にも小ぶりな池がある。 そこで、夜の帳が下りる頃、三々五々学生が湧いてくる。 帰宅途中の私が構内を歩いていると、向こうから長い白衣の男性が右手に一升瓶の首をぶら下げてやってくる。 と、なんと池の方へ入って行ったではないか。なんだ、宴会かぁ。 このシチュエーションでは一升瓶は研究用の薬品に見えるでしょうが、詐欺だぁ~。 まもなく、小樽商科大学の新入生コンパ飲酒死亡事故が起き、 その煽りで北大も学内での飲酒が禁止となった。 かくして、北大の名物・ジンパ(ジンギスカン・パーティー)は霧散した。
17/09/05 札幌駅前通地下歩行空間

札幌市営地下鉄南北線・札幌駅~大通駅~すすきの駅までをつなぐ1900mの歩行者専用の地下通路で、 2011年 東日本大震災の前日に開業。

雪に閉ざされた長い冬の生活は、北海道に暮らす者の宿命でもある。 が、この地下道の開通により札幌中心部の地下鉄3駅が点から線へと結ばれ、 雨や雪にも濡れる事無く、更には夏の日差しをも避け、札幌中心部の往来が可能となった。 その快適さは、筆舌に尽くし難い。

地下とは言え、天窓からの自然光により通路内は明るく、利用者数は大きく増え続けている。 衰退気味だった薄野へも人の流れが復活しつつある。 良いことづくしだが、当然ながら地上の歩行者はめっきりと減った。 駅前通りは、札幌の顔。ちょっと、寂しい気もする。


旧・北海道拓殖銀行の金庫

駅前通と大通が交差する所にあった旧・北海道拓殖銀行の本店ビル。 破綻後は北洋銀行本店ビルとして使用され、老朽化のため 2010年 新しいオフィスビルが建設された。 地上19階、地下4階、高さ96メートル。 カフェ・レストラン・ショップなどが入居するお洒落なショッピングビルに変貌。

このビルの真下・地下歩行空間に旧・拓銀の金庫が展示されている。 扉の厚さは、顧客が銀行へ寄せる信頼の証。破綻という結果を思えば、切ない。 記憶を手繰れば、旧・拓銀本店には総大理石のフロアもあった様な・・・。
5日目
17/09/06 札幌オリエンタルホテル

出典・Rakutentravel
前夜は、息子が親友と登別泊。 すでに、ホテル翔のトリプルルームを予約済みだが、 「キャンセルするの、面倒くさい」とベット1台は未使用のまま、 私と家人が3人部屋を2人で宿泊した。勿体無いし、寂しいような。

さて、本日はホテル翔が取れなくて一泊だけの宿替え。 とは言え、ホテル翔から徒歩数分の近さ。 素泊まり1泊トリプル1室@13200円(1人@4400円)。 140cm幅のベッドが3台並んでも、部屋はゆったり。 窓の下は鴨々川が流れ、素晴らしいロケーション。 ホテル横はライブハウス・DuceSapporo、30秒程歩けばライブ会場・ZeppSapporoがある。

場所、環境ともに抜群で、部屋も広く居心地が良い。 このまま連泊したい思いもふつと湧いてきたが、明日はホテル翔へ出戻りの予定。
17/09/06 千秋庵の水
荷物をホテルへ預け身軽になったので、早速 街へ繰り出した。 地下歩道をぶらぶらと歩いたら、いつの間にか薄野を通り、狸小路方面へ。 地上へ首を出すと、そこはちょうど菓子舗・千秋庵の前。

札幌が200万都市になったのは、石狩川支流の豊平川の扇状地(平らな広い土地)があったから。 そして、扇状地の末端には「メム」と呼ばれる湧き水の泉があるから。 と、かつてNHKの「ぶらタモリ」でも言っていた。 この伏流水で菓子を製造しているのが、千秋庵。 店内では、この水を無料提供しており、かつては、ポリのタンクで汲みに来るツワモノもいたが。

では、ちょっと、一杯。「おぉ、つ・め・た・い。甘露~」。
17/09/06 さっぽろテレビ塔

1957年、大通公園内にNHK札幌放送局と札幌テレビ放送(STV)の電波塔として完成。 高さ147.2m。展望台は有料、以外は無料。

小学校低学年だったある日、父が入院し、母と弟たちは先に病院へ行き、私は授業を終えてから1人で病院へ駆けつけることに。 家の近くのバス停からバスに乗り、大通りで電車に乗り換える。 小学校へ入学して間もない私には、未知なる土地へ赴く大冒険。 バスの車窓に見え隠れするテレビ塔が近づいてくるのだけが、心細くて張り詰めた心の支えだった。 今では周辺にビルが立ち並び、遠くから塔を見つけることは難しい。

よさこいソーラン、雪祭り、ホワイトイルミネーションと一年中絶え間なく催しやイベントが開催され、 季節ごとに表情を変える大通公園。 塔からのその眺望は、札幌市民に四季の移り変わりを余す所無く知らしめる。 昼休みには、公園の芝生で弁当を広げる家族連れやサラリーマンやOLで賑わう。


創成川公園

とりあえず、売店まで上がってヘリに沿って一回り。 すると、東側に何やら綺麗に整備された地域が。 これが、近年 再開発された創成川東側地域。 そも、札幌中心部は北は北海道大学、東は創成川で分断されていると、再開発の要望が根強くあった。

創成川の始まりは箱館奉行所の大友亀太郎が、稲作の用水路や悪水処理を目的に掘ったもの。 ために「大友堀」と呼ばれていた。

開拓使の時代となり、物資輸送に利用するために大友堀を拡張。 上流部は昨夜泊まったオリエンタルホテル前の鴨々川までつけられ、 北は琴似川までも伸ばされ船が航行し創成橋が架けられるも、 明治期に鉄道が札幌まで通り、水運は廃止された。

平成23年、創成川通アンダーバス事業により、川の両岸を繋ぎ水と緑の憩いの場・創成川公園がオープン。 近代的に生まれ変わった。

ただ、札幌市民として育った私としては、 小学校の社会科副読本に載っていた大友堀とその歴史が髣髴としてやまない。 ちなみに、私の出生地は創成川の川っぷち。

テレビ父さん

札幌市のイメージキャラクター。 人気・知名度ともに抜群なのに、非公式キャラクターとは意外。

ちなみに、ちゃんとプロフィールもある。
●名前:テレビ父さん
●生年月日:1957年8月24日
●身長:147.2メートル
●体重:1000トン以上(最近計ってません)
●趣味:温泉、仕事
●特技:スキー
●好きな食べ物:ラーメン、蟹、ルイベ
●好きな言葉:一期一会

売店を覗いていたら、若いカップルが「これ、写していただけますか」とスマホを差し出した。 見れば、傍にテレビ父さんの顔出し看板が。快く引き受けたは良いが、私 この時はまだ柄系使用者。 「ほい」とシャッターを押すも、どうも手ごたえがない。 「(シャッターが)押ささったかなぁ」と思わず呟いた。いけねえ。言ってしもた。

実は一昨日の夜、息子が言っていたばっかり。 「ねぇねぇ、知ってる。「○○ささる」って、北海道弁だってさ」。 そうかなぁ?方言と言うよりも、意味を聞かれると説明に困る程に普通に使っているけど。

意味は、「押すことができる」とか「自分の意思ではなく押される」みたいなもん。 ボールペンの試し書きをする時は「書かさるかな」となる。 他の言葉に替え様としても、どこか違う。 微妙なニュアンスを伝える便利な言葉なのだが、これが方言とは。

観光客風の件のカップルは、私が口走った「押ささる」の意味が解ったかな?。
17/09/06 赤れんがテラス

正面が道庁
左が赤れんがテラス

旧・道庁赤レンガ庁舎を正面に据えた商業施設。 コンセプトは「札幌の中庭」。 春の新緑・夏の緑・秋の銀杏並木・冬の駅前通の幻想的なイルミネーションと雪景色、 まさに観光客のみならず地元民に大人気。地下は歩行空間に繋がる。

ちなみに、ここで超人気の円山ぱんけーきは、買えたためしがない。 と言うのも、あの長蛇の列をみただけで戦意喪失し、いつも逃げ帰ってくるから。

実はここ、コレド日本橋や福徳の森、飯田橋サクラテラスと同じ三井ショッピングパーク。 道理で、垢抜けたお洒落さが、似ている筈だわ。


(スタンドカフェ)アトリウムテラス

2階にあるフリースペース。 座席は、テーブル席、カウンター席、ベンチ席あわせて50席。 窓側のカウンター席からのぞむ札幌の街並みに、ふと癒される。 パソコンを開く人、本を繰る人、勉強をする人、外の景色を楽しむ人。 それぞれに、この空間を楽しむ。私のお気に入りの場所。
17/09/06 はまのだいどころ

地下鉄ススキノ駅直結の札幌ラフィラ(旧・イトウヨーカ堂)の地下。

ちょっと早めだけれど、ホテルへ戻ろうと地下を歩いていたら、 ラフィラの地下でぴらぴらと下がる黄色い暖簾を発見。 吸い寄っていくと、暖簾に「一番搾り」の文字。 「いや、まだ夕方だし」と自戒。が「一番搾り190円」の文字を目にすると、 磁石の様に吸い寄せられてしまった。

「うぅぅ~、美味い!」。酒のアテは、十勝コロッケ@190円。 見回せば、買い物帰りの主婦組やビジネスマンやらが、 ジュース代わりにぐいっとグラスを傾けている。確かに。コーヒーを飲むより安いわ。
閑話
17/09/06 アクシデント

ホテルへ帰り着き、ほっと一息。 思い出を手繰り寄せながら札幌の街を闊歩した今日も、充実の1日だった。 と、その時 家人がドアを開けざまに言った。「お、帰ってたのか。大変なことになった。」。

なんでも、母が入院したのだと。 「でも、札幌に着いた夜、皆で楽しく晩餐したじゃないの。 母はあんなに元気いっぱいだったのに・・・なんで?」と私。 娘の私がその情報を知らなかった訳は、この旅へ出る時に自宅に携帯を忘れて来たから。 看護師さんに連絡先を聞かれた母は、息子の名を告げたそうな。 彼が知らせを受けたのは、友人との登別温泉からの帰途の車中。 今日もそれぞれに別行動だったので、私には連絡がつかず息子は家人へ電話を入れたのだ。 何はともあれ、まずは家人と2人で病院へと向かう。

病室で点滴につながれた母は「上を向いたら眩暈がして、近所の友達が車で病院へ連れてきてくれた」と。 取り合えず、意識はしっかりしており、ひとまず安堵。 すぐに、担当医からの病状説明を、家人と私の2人で聞いた。 病名は軽い脳梗塞。MRIの結果、小さな脳梗塞の後が幾つかあるが今すぐどうこうと言うことは無く、普通に生活が出来るだろう。 予防のために、血液凝固を抑える薬を投与しているとのこと。 軽い脳梗塞の場合、本人も気づかず変わりなく日常を送る人も多いそうな。

病状を一通り聞いたその時、 登別温泉から直行した息子が息せき切って飛び込んで来た。 「あの、私が連絡をいただきました●●の孫の○○です。遅くなって申し訳ありません。どんな具合ですか」。 医師から「軽い脳梗塞です」と聞いた息子が、言った。 「遅れて来て申し訳ないのですが、(MRIの)画像をもう一度見せていただけますか」。 医師の顔が瞬時に強張り、探るように息子に尋ねた。 「あの・・・ご同業ですか?」。どうやら、息子が自分と同じ医者かと思ったらしい。 「いえ」と短く答える息子。 医師は余程に気になるのか、同じ質問を3度繰り返した。 実は、息子は医者ではない。が、医療関係者なので、検査画像を確認するのは日常茶飯事。 息子にしてみれば、いつもの何気ない行動なのだが。


後日譚

治療と言っても、薬の投与くらいのもの。結局、1週間後に退院した。やれやれ。 それにしても、膝が少し良くない程度で病気ひとつした事がない母が、 何故に私たちが訪れたタイミングで入院なのか。 とは言え、であればこそ、家族がすぐに病院へ駆けつける事も出来たので、 まずは不幸中の幸いと言うことか。 いや、その後は今まで通り元気に暮らしているので、不幸とも言えまい。 逆に一病息災のキッカケになり、禍転じて福となす。と言うことか。

にしても、長い1日だった。
+(娘)
6日目
17/09/07 スカイレストラン丹頂

個室(出典:丹頂HP)

札幌駅前・日航ホテル35階。

今日は、娘と家人と私でランチ。 ここは札幌の街が一望できるので、窓側の個室を予約しておいた。 完全個室ではないが、半個室と言った感じ。

まるで、孫悟空のキン斗雲の上で街を見下ろしながら食べている気分。 気持ちいい~。 料理が上品で美味しいのは、言うまでもない。この値段で、この眺望と料理と高級感は、お値打ち!

ランチ会席 秋色ぱれーど@3600円
前菜
海老真蒸吹き寄せ盛り 菊花餡かけ
(小茄子、エリンギ、銀杏、キス、丸十もみじ、丸十いちょう)

スパークリングワイン(平日ネット予約のプレゼント)
椀替り
ポワロー葱とじゃが芋のスープ
造里
酢〆秋刀魚と炙り帆立のカルバッチョ風
(トマト、ベビーリーフ、ブロッコリー)
焼物
秋野菜の西京味噌グラタン
(しめじ、南京、丸十、茄子、パプリカ)
蓋物
とうもろこしの豆腐 美味出汁餡かけ
(紅葉麩、青葱、すり生姜)
食事
栗ご飯、香の物、味噌汁
甘味
安納芋羊羹、葡萄の蕨餅
菓子
ジャスミン茶?&金平糖風な菓
八女茶

@670円
下戸の家人用
17/09/07 北海堂

(左上から時計回りに)
奇跡の卵のだし巻き卵@200円
健康わかめ刺し@200円
漬物盛り@300円
中札内産えだ豆@200円

ランチの後は、3人で母の病院へ行き、面会を終え薄野界隈へリターン。 夕飯にはまだ少々早い中途半端な時間で、ほとんどの店は昼と夜の間の休憩時間中。 そこで、昨日麦酒を呑んだ「はまのだいどころ」と同じラフィラの地下2階の定食屋で 軽く夕飯を摂ることにした。

とてもリーズナブルな店で、しかも北海道の魚が売りだけに、いつも盛況だ。 が、残念なことに定食・焼き魚・刺身はきれいに売り切れ。 ラフィラの開店時間と同時に営業をし始めているので、この時間ならば致し方ない。 結局、魚に無縁の品々を肴に、麦酒や日本酒で乾杯となった。 やっぱり、北海道の魚が食べたいな。

にしても、原価を割っているのでは?と心配になる安さは、凄い。
7日目
17/09/08 札幌市電

今日は、札幌の最終日。かつてのテリトリー・電車の山鼻線を徒歩にて辿る。

北海道では、市電のことを電車と言い、鉄道のことを汽車と言った。 いつからか、汽車と言う言葉が死語となり、市電も鉄道も電車となった。

そも、札幌市電の始まりは、建築石材「札幌軟石」の輸送線として、 山鼻ー石切山に敷設された札幌石材馬車鉄道。 のちに市営化され、最盛期を迎えるも、 地下鉄建設による利用者減や車が増えたことによる交通緩和のため路線縮小となるも、 2015年に都市線(廃止した西4丁目線の一部)を復活し、環状運行が開始した。

都心線の電停

さて、復活した都市線。 なんだか街並みが整然とすっきり。 それもそのはず、軌道位置が中央分離帯から歩道脇に替わって、すっきりとしていたのだ。 のみならず、安全。全線に導入したなら、どんだけ乗降が楽になることか。
外回り

藻岩山の仏舎利



札幌中央図書館(改築中につき閉館中)




札幌医科大学
(付属病院内にはスタバもある)




札幌景観資産
旧 藪商事会社ビル(三誠ビル)

運行は、循環で「外回り」と逆回りの「内回り」。 今日は馴染み深い外回りで散歩開始。 中心部ほどではないものの、建物や景観が微妙に変わっていた。
17/09/08 旧 札幌控訴院(現 札幌資料館)

正面玄関

正面玄関上には、ギリシャ神話の法の女神・テミス
(目隠しは貧富や権力に捉われない法の平等を示す)



館内の階段
ステンドグラスの窓&赤絨毯の階段



前庭は大通公園
こんもりした植込みの先の尖ったのがテレビ塔
裏庭は木立に囲まれた緑地

このあたりから電車通りを外れて、一本北の大通りへ出る。ここは、かつては度々訪れた旧 札幌控訴院。

札幌軟石で造られた建物は、国の有形文化財指定。 かつては、高等裁判所。現在は資料館として、市民に親しまれている。

裁判歴史資料の展示の中でも、復元された刑事法廷が面白い。 真実を映し出す意味が込められた「八咫(ヤタ)の鏡」。 その周りに施されたグリーク・パターン(ギリシャ雷門)は魔よけだそうな。 どうみても、ラーメン丼の柄にしか見えないのだが。 ギリシャ模様が、中国にも伝わったという説があるようだ。

また、展示されている弁護士、検事が着用した法服と帽子は、 何色にも染まらないと言う意味で地色は黒。胸飾りの色で、判事が深紫、検事が深緋、 弁護士は白、と一見で解るそうな。

おおば比呂志記念室

折に触れ立ち寄る事が多かったのに、何故か一度も入室したことがなかった。

作品は勿論のこと、生前愛用していた彼の遺品などが並ぶ。 風景スケッチを前に、つくづく思う。 こんな風に目の前の景色を自分の筆でさらさらと描けたなら、どんなに楽しいだろう。 写真で残すしかない凡人には見えない別な風景が見えるのだろうな、と。
17/09/08 札幌オータムフェスト2017

旧札幌控訴院を出て大通公園を歩いていると、何やら凄い人だかり。なんと毎年恒例のオータムフェストの真っ最中。今年10回目だとか。それにしては、すっかり定着してきた。

札幌オータムフェストとは、札幌の食をテーマにした祭典。道内の食材やご当地グルメが目白押しとあって、年々出店数も増え人出も増加の一途。「ラーメン、道産ホタテのバター焼き、いやイカ焼きもいいな」と見回せば、いづこも長蛇の列。空いている座席を見つけるのも難儀しそう。

この後、会食予定なので、「えいやー」と誘惑を振り切って、会場を後にした。
+(娘)+(息子)
17/09/08 狸小路ライオン

まずは、駆けつけ一杯の生ビール



ミックスピザ@1280円



おつまみ生らむジンギスカン麦羊亭@980円



ラーメンサラダ@1000円



鰊のマリネ@780円



フライドポテト@600円&増毛海老唐揚げ@730円



ムール貝のワイン蒸し@1480円



パスタ(ムール貝注文につき+@300円)

札幌最後の晩餐は、家人・娘・息子・私の4人で、狸小路ライオンへ。 北海道最古のビアホールだけに、生ビール最高♪

料理のほとんどが、道産食材。 更に、ジンギスカンは同じビル4階のジンギスカン専門店・麦羊亭からの取り寄せだもの、 ビールがすすむのも道理。 ムール貝のワイン蒸しを平らげた後には、この汁とパスタとを絡め、お色直しをして再登場。 貝の出汁が利いて、美味いのなんのって♪ たらふく呑んで食べて、ほろ酔い呑ん兵衛3匹と下戸1匹は、満腹、満足。
8日目
17/09/09 花ぶさ


生ちらし@1730円

新千歳空港まで娘が見送りに来てくれたので、空港内の寿司屋にて4人で昼食。 下戸の家人以外は夕べのビール腹が効いて、テンション低め。 処が、注文の生ちらしが出現するや、がぜん食欲復活し、気がつけば完食。 別腹と言う便利なポケットがあることを、うっかり忘れてた。

かくして、豪華な生ちらしが北海道旅の締めくくり。


生ちらし(味噌汁つき)
本まぐろ赤身、甘エビ、とびっ子、いくら、ずわい蟹、たこ、ホタテ、サーモン、いか、玉子
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