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2018年 道央旅行記

札幌でひとり暮らしの母を訪問する・2018年篇

18/09/02~18/09/09 

旅程                                           
1日目 ●南千住仲通り商店街 南千住
2日目 ●移動日 南千住→函館北斗→札幌
3日目 ●釧路駅 釧路市
●幣舞橋 同上
●フィッシャーマンズワーフMOO 同上
●釧路和商市場 同上
4日目 ●台風21号 札幌市
●札幌ビール園 開拓使館 同上
●小樽駅 小樽市
●小樽都通り商店街 同上
 ○純喫茶 光 同上
●小樽サンモール一番街 同上
●製罐倶楽部 同上
●旧 板谷邸 同上
●小樽運河 同上
5日目
6日目
7日目
●胆振東部地震 札幌市
8日目 ●大宮 埼玉県大宮市


泊まったところ ●ホテル明月
●ホテル翔  2017doo編参照
食べたところ ●魚政 さんまんま&秋刀魚のつみれ汁
●籔半 せいろ蕎麦
●中華一番 餃子&一番ラーメンセット


閑話 ●青年の憂鬱
●キャバレー現代
●電車での出来事


今年は、JR「大人の休日倶楽部」を利用し、昨年に続き陸路にて移動。
ところが、1ヶ月前のチケット発売開始時間に「みどりの窓口」へ行ったにも係らず、 往路は第一希望が買えず、第二希望の東京発 6:32分の新幹線をなんとか入手した。

我家の最寄駅から東京駅まで電車で約1時間。 始発に乗ると新幹線の発車時間の18分前に到着するのだが、 東京駅の在来線から新幹線乗り場へ移動するだけでも10分近くは必要だろう。 加えて、事故や信号確認などで遅延となれば、もうアウト。

ために、出発前日は南千住の宿を予約した。南千住からだと電車で25分。 これで、朝の心配がなくなった。


1日目  
~南千住~
18/09/02 南千住仲通り商店街

都電の終点「三ノ輪橋駅」に隣接した「南千住仲通り商店街」は、 シャッター街の趣を漂わせる何処の下町にもありそうな鄙びた商店街。 そこを歩くと右手にある「豊川稲荷」という小さな神社が、商店街の守り神だそうな。 ちなみに、近年はやりのパワースポットでもある。

商店街を抜け常磐線の高架線路の手前が、小塚原回向院。 実はこのあたり、江戸三大刑場のひとつとされた小塚原刑場跡で、 かの有名な吉田松陰も回向院に埋葬されている。 他にも歴史上の人物が多数ぞろりと眠る。 「墓石の下、彼らは何を語らっているのか?」そんな思いが頭を掠めた。

当時、罪人は「あしたのジョー」で知られる「泪橋」で最後の別れをし、 小塚原刑場で処刑され、回向院で埋葬供養された。 稲荷脇の説明板によれば、刑場が出来たことにより人々の往来が活発になり、この地域は発展していったのだと。 悲しくも辛い、街のなりたちではある。
18/09/02 ホテル明月

ツインRoom(ロフト)

南千住駅から程ちかい千住大橋から徒歩5分の所。 このあたり、前記した様になかなかに歴史あふれる土地柄である。

数年前に簡易宿泊所を改装したって、どんな所だろうと恐る恐る訪ねたが・・・

迷いつつ、地図を覗き込んでいたら交差点で若い男性に声をかけられた。 「あぁ、そこなら近くまで行くのでご一緒に」と、てくてくと歩き出した。 ついていったら古い民家風の家。たしかに「明月」と書かれているが。 道案内の御仁はすたすたと玄関へ入り、呼び鈴を鳴らし奥に向かって叫んだ。 「お客さんをお連れしましたよ」と。近くに住んでいて、ここの人とは幼馴染なのだと。 なんだか、昔の長屋感覚で不思議な懐かしさを覚えた。感謝。

この日は、素泊まり・ツイン一室2名@5000円。(一人当たり2500円)

外見はレトロながら、中は結構きれい。 台所はIHで、冷蔵庫には調味料完備。 どこぞの家庭の不用品ではなく、ここのために買い揃えたと思しき皿たちは、 枚数は少ないものの可愛らしく、モテナシの心が充分に伝わってくる。 鍋は3層くらいの無水鍋。 (使いこなしている宿泊客がいるとは思えないが) 冷蔵庫・IHグリル・電子レンジ・食器乾燥機・トースト・洗濯機・乾燥機など一通り揃っていた。 簡単な自炊も可能と言った按配。

セルフの業務用コーヒー抽出機は、エスプレッソかブラックの淹れたてコーヒーが、 飲みたい時に飲みたいだけ無料で飲み放題。コーヒー好きには、例え様もなく有り難いサービス。

特筆ものは、お風呂。
予約制ながら、1人20分。決して大きくはないが、3・4人はたっぷりと入れる浴槽は清潔で快適。 予約がなければ何回も入れるというので、カラスの行水の私の残り時間とを合わせて都合1時間、 たっぷりと浸かって満悦の家人であった。満足、まんぞく。ただ、階段は急。

そういえば、近くに「コツ通り商店街」と言うのがあった。 コツ、骨、こつかっぱらのコツ・・・名前の由来は如何に。

自宅以外で、初めてスマホにWIFIを設定してみた。簡単♪
2日目
18/09/03 本日の日程

早朝の新幹線に飛び乗る

北海道上陸

北斗市の親友宅訪問

スーパー北斗11号にて札幌へ

午前 4:30分、目が覚めちゃったので、少々早いが出発。 すでに、多くの人々が忙しそうに動き出している。

まずは新幹線に乗車。 本日スケジュールの一歩目に踏み出し一安心。 北海道新幹線は、昨年に続き2度目。 座席も指定券が取れ、快適そのもの。新幹線は全席指定。 が、座席券を入手できなかった大勢の乗客はデッキに屯し、 到着駅ごとに人の乗降が定まるのを見定めて車内の空席を探し周り、 運よく見つかった時は乗務員を捉まえて座席券を購入していた。

夏休みも終わったと言うのに、何と言う混み具合なのだろう。

さて、北海道上陸。 函館北斗在住の親友宅へ寄らせていただき、つかの間の再会。 1年ぶりにゆっくり語らいたかったのだが、諸般の事情により かなりタイトなスケジュール、残念。 函館北斗駅12:34分発のスーパー北斗11号で、慌しく札幌へと向かった。
3日目
~釧路~
18/09/04 釧路駅

今日からは家人と別行動。
「期間中は乗車券&特急券がタダ」という「黄門さまの印籠」みたいな「大人の休日倶楽部」切符を持っているのだもの。 なるべく遠くまで行こう。特に混んではいないだろうから、座席指定は取らずふらりと乗ることに決めた。

行き先は釧路。
札幌在住時に北海道の主要観光地は概ね行ったが、釧路は阿寒湖や湿原は訪れたものの駅周辺は歩いたことがない。 街のあちこちを徘徊してみたいので釧路泊まりも考えたが、どうも気が進まない。 とすると、札幌から片道4時間の日帰り旅となり、観光に割ける時間は3・4時間になろう。 かなりの強行スケジュール。今日は、終日電車の中で過ごすことになりそうだ。

<特急おおぞら>
札幌新札幌南千歳→追分→新夕張→占冠→トマム→新得→ 十勝清水→芽室→帯広池田→浦幌→白糠→釧路
(太字の駅は、全列車が停車。太字駅だけを停車する列車は、札幌⇔釧路 2時間40分)

ご丁寧にも、私が乗った列車は全駅停車で4時間強を要した)。 運賃8850円(乗車券6260円+特急券2590円)。往復だと×2で17,700円。これを払って日帰りなんて、まず しないだろうな。「大人の休日倶楽部」切符サマ、有難う。

車窓に切り取られた風景は、札幌の住宅地である新札幌や空港を擁する南千歳を除き、ほぼ一様に寂れていた。 少なくとも、北海道の主要都市・帯広・釧路あたりくらいは活気が欲しい。 これが、今の北海道の現実かと思うと胸がつまる。


雨がぱらつく釧路駅に降り立った。肌寒い。
18/09/04 幣舞橋(ぬさまいばし)

幣舞橋

釧路市は、札幌・旭川・函館に次ぐ、道内4番目の規模を誇る都市。

駅から10分ほど歩くと、釧路川に架かる幣舞橋に出た。長さ124m、幅33.8m。 北海道の大動脈・国道38号上に位置する北海道の交通・物流の要である。 道東の台風情報の映像は、必ずこの橋が映し出される。 道産子にとっては、幼い頃から見続けて擦り込まれてきた釧路を代表する風景であり、観光名所でもある。

橋の辺りに設置された温度計によれば、現在17℃。札幌と比べると10度も低い。寒いはずだ。

釧路川・右岸

右の建物が複合施設・フィッシャーマンズワーフMOO



川を挟んだ向かえ側は遊覧船のりば

橋上彫刻「四季の像」


橋の袂にある「人間」



「夏」・佐藤忠良

日本を代表する4人の彫刻家の手による春夏秋冬を表現した裸婦立像。 これが、市民運動により、立案・資金調達ともに成された日本初の橋上彫刻だ。 当時の釧路市民の芸術的意識の高さと、故郷愛が眩しい。

四つの像は、それぞれに爽やかで素晴らしいが、 橋の袂に建つ乙女「人間」像は、大人になる前の清潔感と未来の希望を秘め、 「四季の乙女」の序章にふさわしく、軽やかで清清しい。
18/09/04 フィッシャーマンズワーフMOO(ムー)

手前のドームが全天候型植物園
奥の黄色い建物がMOO
(MOO公式ページより)

幣舞橋の袂に建つ釧路市を代表する複合商業施設。 名前は、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフに由来するそうな。 MOOはMarine Our Oasisの頭文字をとったもの。 建物は商業施設MOOと植物園とに分かれる。

当初は西武系の資本が導入されたが、バブル崩壊による売上縮小で西武百貨店が撤退したため、 小さく区分して屋台風の飲食店街とした。 また、空店舗対策にハローワークや市役所分署や郵便局を移設し、人出の創出を期す。 かような市の努力にも関わらず、依然 客足は少なく寂れた感じが否めないのは残念。
岸壁炉ばた

MOOの入口前に、季節限定で設営された炉辺焼きの店。 岸壁で地元の魚介類の焼きたてが食べられる。 さぞや、美味かろう。グラスもすすむ事だろう。 サンフランシスコでもこんな風に、釣った魚を川っ端で焼いて食べる店があるのだろうか。 食欲をそそられたが、開店時間前のため入る事は出来なかったが。
魚政







さんまんま(690円)&さんまつみれ汁(250円)

MOO内の海鮮店。 前を通ったら、店主が何やら真剣な面持ちで焼き物中。 奥で数人の客が箸を動かしている。 香ばしい匂いに誘われて「さんまんま」と「つみれ汁」を注文。 川と対峙する窓際のカウンターに陣取った。

「さんまんま」は、中に青シソを挟んだ醤油味のおこわを棒状にし、 上に秋刀魚を乗せて炭火で焼いたものである。 秋刀魚が生臭いと言う人もいるようだが、これも秋刀魚の旨みのうち。 ただ、あくまでも私の主観だが、味が濃いので4個セット中の最後の1個あたりになると少々胸焼け気味になり、 つみれ汁で口直し。つみれ汁は秋刀魚の旨味たっぷりで、満足。
18/09/04 釧路和商市場

北海道三大市場に挙げらる和商市場は、TVのグルメ番組でもお馴染み。 1954年、「和して商う」をモットーに立ち上げた釧路駅前和商共同組合が、その初めである。

ほぼ60店舗が集い、どこか函館朝市にも似た雰囲気が漂う。

勝手丼

中央パティオ(eat inコーナー)

和商市場の名物「勝手丼」。 市場内の惣菜店でご飯を購入し鮮魚店を回り、好きな具材をトッピングして自分だけの丼をつくる。 嗜好に合わせて勝手に丼をつくるので、勝手丼と呼ばれている。

店内は衣料品店や喫茶や肉屋など生鮮店以外の店もあり、 奥にある中央パティオ(イートインコーナー)を囲む様に勝手丼の鮮魚店が並ぶ。 数切れづつの刺身の切り身を乗せたトレイをずらりと並べた様は壮観で、 観光客にはこのシステムが斬新に見える様だ。

勝手丼はご飯のサイズも具材も自分仕様なのが人気の秘密。 だが、如何せん、トッピングと言うのが曲者。 具材それぞれは100円やら150円と手軽なトレーも並ぶが、 雲丹やイクラや蟹など高価な食材は、当然ながら値が張る。 それやこれやを盛り合わせれば、総額はそれなりの値段となる。 まさに、トッピングのマジック。

そのせいでもないが、私はスルー。 実を言うと、MOOの「さんまんま」がまだ胃のあたりを彷徨っている様な・・・
閑話
青年の憂鬱

幣舞橋もMOOも行った。あと釧路で行きたい所は・・・そうそう、TVでしょっちゅう目にする釧路和商市場。 ここは一応行っておかねば。と思い駅前を目指し歩くも、電車の時間が差し迫って気もそぞろ。 まだ使いこなせていないスマホで検索してみたが、気持ちばかりが焦る。 こうとなれば、道行く地元民をつかまえて聞くのが手っ取り早い。と、擦れ違った青年に声をかけた。

口にはマスク、耳にはイヤホン、頬には一面のニキビ。 あっちゃぁ、人選を誤ったか?と一瞬 のけぞったのだが・・・ 彼は私に気づくなり、マスクとイヤホンを外し「和商市場・・・スマホで調べてみますか」と。 どうやら若い彼は地元・釧路の名所・和商市場を知らないらしい。 彼はシャカシャカとスマホを操作し「では、行きましょう。ここから近いので」と道案内をかって出てくれた。

この好青年は、地元の大学生。 よもやま話の中、苦笑を浮かべて言った。 「僕が釧路へ来たら、札幌の親がついてきちゃったんですよ」。 遊びに来たのかと思いきや、札幌の家をたたんで釧路へ引っ越して来て、 今 一緒に住んでいるのだと。 少子化と言われる昨今ではあるが、きょうびの親はそこまでやるのか・・・絶句。

彼が通う大学は、専門職の人材育成を目的とする。 卒業すれば、地方公務員として釧路管内を転々と赴任する事になるはずだ。 となれば、札幌の実家へ帰省する足は自ずと遠のくだろう。 といった処が親の危惧だろうか。 たしかに、出来るなら我が子の傍に居たいと願うのは自然な親心。 苦しみも楽しさも共有したいと願うのは、最もなことではある。

私が数年前まで住んでいた家は、山の麓にあった。 ある日曜の朝、外の騒がしさに何事かと飛び出てみると、カラスの親が子に飛ぶ練習をさせていた。 向えの木の上から隣家の物置の屋根へ飛び移れと、鋭く促す親鳥。 尻込みし、小さな声で言い訳を呟く子。 気がつけば、近隣の人たち総出の見物となっていた。 そうこうして、その場の状況からカラス語が類推出来てしまった私達。 それを見て、親鳥は私たちを睨みつけ凄い剣幕でまくし立てた。 「あんたたち、何見てんのよ。見世物じゃあないよ」と叫んだ・・・と思う。 結局、しぶしぶ2度ほど失敗した子は、母に尻を叩かれ3度目の挑戦に成功した。 感動のあまり、夢中で拍手する私達。 親鳥は、再び私たちに目をやる事無く穏やかな所作で子を連れて立ち去った。 ほんと、良かった。 カラスだって、子を自立させるために必要とあらば、危険にも追い込む。 子を思う親の愛が、胸に沁みた。

翻って人間の場合、親元を離れると言う事は、身に降りかかる事の全てを1人で切り抜ける事でもある。 飛んで足を折ろうとも、飛ばなければならないのは親ではなく自分。 もう、自分に替わり守ってくれる親はいないのだ。 いわば自己責任。その引き換えに自由がある。 そんな経験を経て、一丁前の大人に成長するのではないか。

昨今 子供の数が減り、その分 親が子に掛ける期待も大きい。 しかし、親に生涯 背後霊の様にべったりと背中に貼り付かれる子は、堪ったものではない。 子は、親のクローンでもコピーでもない。 全く別の一個の人間なのだ。 そして、 いつか離れてゆくものなのだ。 親もまた限りある命ゆえ、そうでなくては困る。 たとえ飛び損ね怪我をしたとしても、いつかきっとそれが長い人生の糧となるはず。 彼の母親には、今こそ子離れが必要だ。 自然界において、飛べないカラスは生きてはいけない。 子を愛するが故に厳しい子育てをしていたカラスのかあさんが、頭をよぎった。

初対面の私に対し「親が自分にくっついて来た話」が幾度か彼の口をついて出るのを聞いて 「彼の親のしている事は、子が遠くへ飛んで行ってしまわない様に子の羽の先を切る様な行為ではないか」とふと思った。 彼の心に積もった「息苦しさ」の澱を覗いた気がして、痛々しくてならない。
4日目
18/09/05 台風21号

運行表示のない電光掲示板
(札幌駅)

フリーday2日目。本日の予定は旭川でラーメン・・・の筈だったが。

日本海を北上した台風21号が北海道付近を通過。暴風による被害も出て、 早朝からJRが全面運休。これでは、どこへ行くも足が無い。

運行表示のないのっぺらぼうの電光掲示板を前に、今日これからの予定を思案する。 さて、如何するべきか・・・
18/09/05 札幌ビール園 開拓使館

札幌ビール園開拓使館

JRが全面運休している今、徒歩で行ける所となれば、選択肢は多くはない。 という次第で、札幌ビール園を訪れることにした。

実はここ、遠い昔に住んでいた社宅から10丁程離れた所で、住民感謝祭には毎年訪れていた懐かしい場所。 なのだが・・・行ってみたら、ビール園と細い道路を隔ててスーパーが建ち、記憶とは別の土地になっていた。 浦島太郎の心境。ただ、開拓使当時からの建物である赤レンガが、時を経ても変わらぬ叙情を醸し出す。

敷地内には、ジンギルカンと出来立てビールが楽しめるビアホールがあり、 観光客の多くはそちらか工場見学が目当てだが、今日の私は博物館の方へ。

札幌ビール博物館

創業からのポスター

ビール博物館は、日本で唯一だそうな。 1Fは総合案内所と試飲コーナー。2Fが博物館。 まずは2Fで、ビール園の歴史やビールの製法などを学習する。

寒冷地・札幌でのビールづくりの辛苦は並大抵ではなかっただろう。 札幌でビールを作る事業のそも始めは官の主導で始まったのだが、 やがて民間の大企業へタダ同然で払い下げられた。

幕末 薩摩藩士にして開拓使官吏・村橋久成は、 ロンドン留学後 東北戦争や函館戦争への従軍を経て、 開拓使において日本初の低温発酵ビールを製造し 札幌ビールの前身である「開拓使麦酒製造所」の設立に携わり、輝かしい功績を残した。 しかし、突如 退官し家族を捨て1人流浪の末 、行旅死亡人として神戸で発見された。享年50歳。 当時、北海道開拓使官有物払い下げ事件 (麦酒製造所を民間へとてつもなく安価で払い下げた件・事件を起こしたのは黒田清隆) に巻き込まれ、責を一身に背負い世を捨てて生涯を送ったとも、心を病んでいたとも言われるが、本当の事は解らない。 彼の身に何が起きたのか、流浪の理由は何なのか、白日に曝される事なく真実は永遠の闇の中に消えた。 葬儀を取り仕切ったのは、北海道開拓使長官・黒田清隆。 その一事をもってしても、村橋が開拓使において如何に要人であったかが計り知れよう。 しかし、この博物館の史料の中に村橋の名を見い出す事は出来るものの、 事件後の彼の人生を表す史料はない。 かくして、大きな歴史の波に呑みこまれる様に、彼はひっそりと消えていった。

1F 有料試飲コーナー




有料ティストセット・3種飲み比べ@600円
(ブラック・クラシック・開拓使麦酒)豆つき


チーズ2個セット@100円

工場出来たての3種麦酒の飲み比べは、流石にどれも美味い。 中でも、創業当時の味を再現し麦芽100%で麦酒酵母が生きたまま入っている「開拓使麦酒」は、 ここでしか飲めない差別化された代物だけに感慨深い。
18/09/05 小樽駅


札幌駅に戻ってみると、14:13発の小樽行き特急1本の運行が決定していた。 これが、本日最初の電車で、この後の運行予定は未だ未定。よし、乗ろう! しかし・・帰りの電車が走るかどうかは全く白紙。

昭和9年に建てられた小樽駅・駅舎は、レトロ感が観光客に大人気とか。 とはいえ、今日はJRの運行ダイヤがズタズタなので、人影はまばら。 いつもなら、運河目当ての観光客が押し寄せているのだが。
18/09/05 小樽都通り商店街

小樽駅から徒歩2分、運河へ向かう途中にある商店街。

一昔前は小樽のメインストリートとして活況を呈したが、 櫛の歯が欠ける様に空き店舗が目立ちシャッター通りの感が強い。
純喫茶 光

昭和8年創業の、小樽では超有名な喫茶店。 度々 小説にも登場してきて根強い人気を誇る。 歴史の重みを感じさせる外観と内装が昭和の薫りを醸し出し、 時代を超えて人々を惹き付けて離さない。店内は一切撮影禁止。

「今日こそは」と意気込んで訪れたが、折り悪しく定休日に遭遇してしまい、 美味しいoffeeを飲み損ねてしまった。 小樽が生んだ作家・小林多喜二は没年の創業で無理としても、 伊東整は時期的にここでcoffeeを楽しんだことがあったかもしれない。
18/09/05 小樽サンモール一番街

シャッターの下りた店が目立つ

かつては、大黒屋・丸井今井・河野呉服店(のちのニュー銀座百貨店)の三大百貨店があり、小樽のデパート通りとして賑わいを見せたが、駅前に長崎屋が大型店舗を出店すると夫々の売り上げは激減。 その後も、客足が一店に傾くと他の店が減退する傾向をみせ、やがて3店ともに撤退となった。

札幌⇔小樽間の鉄道駅が増え、住民の多くが札幌のベッドタウンとして近隣の手稲あたりへ転出していったのも、 購買力衰退の一因かもしれない。

今日はJRが止まっているとは言え、一番街を歩く人はごく少ない。
18/09/05 製罐倶楽部

今は亡き父は、在職中に小樽へ単身赴任していた時期がある。 その社宅跡を散策してみた。

場所は、小樽駅から徒歩15分ほどの東雲町。 急な坂道の上にあり、さらに上がれば水天宮。 下へ降りれば、運河に出る。 眼下に港を見下ろし、眺望抜群の場所。

朧な記憶を辿って行くと「罐友倶楽部」の建物を発見。 当時、北海製罐㈱の大きな社員アパートがあり、そこを通り過ぎ、もう一頑張り登った先が父の社宅だった。 今は社名を看板に残し、ひっそりと佇む。

北海製罐㈱は、大正10年 小樽に創立。 北洋での鮭・鱒漁業での缶の供給をそも初めとし、更にカムチャッカへも販路を広げていく。 大正・昭和の時代、小樽を代表する企業であった。 現在は、関連会社に工場の運営をまかせているそうな。
18/09/05 旧 板谷邸


製罐アパート迄来れば、父の社宅は目の前・・・だった筈だが、 目の前に広がる光景は建売住宅風の戸建てが建ち並んでいた。重ねた月日の重さが、胸に迫る。

気を取り直し、今度は坂を下る。
程なく左手に旧 板谷邸が見えてきた。 ここは変わらないと言いたい処だが、 以前の高い塀を取っ払って門だけを残しコンクリートの建物を巡らせていた。 小樽が生んだ海運王・板谷宮吉氏の邸宅跡である。 海を見下ろす高台で、かつては和風の母屋と洋館、後ろに石蔵があった。見た事はないが。

右端が門

2005年、海宝樓(かいほうろう)として一般開放。 邸宅と温浴と食事が楽しめる観光スポットとなったそうな 。入館料大人1000円。 なんだ、言ってよ。料亭になったと聞いていたので、門前で帰ってきてしまった・・・
18/09/05 小樽運河

板谷邸前の坂道を3・4分も駆け下りると運河沿いの道に出る。 別に駆けずとも良いのだが、坂があまりの傾斜ゆえ背中を押される様に自然と駆けてしまう。

お馴染みの運河も今日は人出がまばら。
小樽運河は港の荷が多くなったために、 沖合いで艀を使っていた荷揚げを倉庫の近くで直接おこなうために建設された水路である。 が、戦後 港に埠頭が整備されて運河は役目を終えた。

昭和41年小樽市内の交通渋滞緩和のための都市計画には、 運河の埋め立てと運河沿いに建つ倉庫群の解体が埋め込まれており、 運河保存を求める大きな市民運動が起こった。 しかし、内部で急進派と慎重派の対立があり、様相は混迷を極める。 論争は10余年に及び、結局 運河の半分を埋め立てて道路とし、半分を残すことで決着をみた。 残った半分が今の運河である。

父が在樽していたのは、この騒動の終盤。 埋め立て反対派への世論が高まってきた頃である。 こんにち観光都市「小樽」があるのは、ひとえに半分とは言え運河を残したからに他ならない。 地方都市・小樽の人々の強い思いを世論をも取りこんで力に変え、 将来あるべき故郷の姿を残しきった当時の小樽市民有志たち。あっぱれ。
18/09/05 籔半

小樽駅から徒歩200m、長崎屋の裏手あたりにある老舗蕎麦屋。 建物は、小樽が鰊漁で湧いた往時を彷彿とさせる石蔵をそのままに残す。 この店の創業は63年とか。 店の前を歩くと、鰹の香ばしい香りに胃袋を鷲づかみされるのは、今も昔も変わらない。

折り悪しく昼と夜の間の仕度時間に遭遇。 しばし近隣を徘徊して午後の開店時間と同時に入店した。

店内は、入った所にテーブル席があり、 その奥に囲炉裏をきった板の間があり更に奥の石段を上ると座敷へと続く。 写真の左にも和室があり、二階は宴会席。まぁ、言わば、隠れ家風。以前と全く変わっていない。

せいろ@702円

蕎麦は、北海道産と内地産からの選択。 注文時に何も言わなければ、内地産が出てくる。 私は、新蕎麦は別としても 違いが解る利き舌は持ち合わせていないので、普通=内地産で。

本と見紛う分厚いメニューを繰って注文を終え店内へ目をやれば、いつの間にかテーブル席がほぼ埋まっていた。 私が入店してから、5分と経っていないのに。

さて今日は、以前 テレビで観たタレント・松たか子の蕎麦の食べ方を実践してみる。 箸で掬い上げた蕎麦の先っちょを軽くソバツユにつけて、そのままズズズィと喉へ流し込む。 江戸っ子の食べ方を。 ちなみに、北海道人は、蕎麦をダブンと出汁に浸して食べる。 江戸っ子と蝦夷っ子の違いである。 慣れないので、蕎麦に汁が絡んでいないのは、少々物足りないが、確かに蕎麦本来の味がしっかりと味わえる。 俄か江戸っ子気分で蕎麦を味わった。

はたと気がつけば、若女将が奥から出てきて常連達にべったり貼り付き 「今日は病院へ行ったの?」などと、 客の個人的な話題を展開し戯れ合う。 だいたい、開店と共に来る客はほぼ常連に決まっているが・・・私を除いては。 一見の客としては、あまり感じの良いものではない。 これ程の老舗が、こうして常連を繋ぎ止めているとも思えない。 美味しいと思った蕎麦の品格まで、落ちていくような・・・
閑話
18/09/05 キャバレー現代

(杉ノ目サイトより)

そう言えば、たしかこの辺りだったはず。 籔半の隣の病院に、野口雨情や石川啄木が勤務した「小樽日報社跡」との看板が立てられているので、 この隣だったか?

昔、小樽には伝説の社交場・キャバレー現代があった。随分前の話。 小樽へ出張中、地元の仕事関係者のひとりが言った。「そうだ、現代へ行こう」。

夜の闇の中、大勢でタクシーで乗りつけた。高い門扉の向こう、店内の灯りが外へもれ、 ここだけ別世界の不思議な雰囲気が漂う。 店に足を踏み入れると、背もたれの高い赤いベルベットのソファーに、ゆっくりと怪しく光るミラーボール、 色とりどりのドレスに身を包んだホステスたち。初めて目にする光景に、圧倒される。


昭和21年、札幌・薄野の料亭「杉ノ目」の先代・繁雄氏が、小樽でお汁粉屋を始めたのが、その初め。 昭和23年、小樽で進駐軍向けのビアホール「GENDAI」を開店し大成功をおさめる。 昭和26年、「キャバレー現代」と名を変え、日本人客も利用できる店としてオープンした。 コンセプトは「大人が楽しめる社交場」。 その作品にも登場する作家の村松友視も、かつての常連である。

建物は、小樽の鰊漁で財を成した網元・白鳥家の別宅として明治42年に建てられた由緒ある邸宅。 赤い屋根に白い漆喰の壁、格子窓、高い門扉、そしてゆったりと広い邸内。 それらが、明治期の「小樽の良き時代」を物語る。

一瞬で明治時代へタイムスリップした様な店内で、身の置き場に戸惑う私。 客が若い娘では、さぞや、ホステスさんは処し難いだろうに、その遇し方はごく自然。 「どこから来たのか」など客の素性に触れる話題には一切触れず、それでいて楽しい雰囲気を醸し出す。 耳をそばだてれば、隣の客の話題は、小樽の景気の話からゴルフやら果ては政治の話と実に多彩で、ホステスさん達の博識ぶりに脱帽しきりの私。 ゆっくり回るミラーボールが一瞬光をもたらすと、彼女たちが生きてきた日々が決して少なくはない事が容易に知れた。 昔からここのホステスさんたちは、家族の様に仲が良く辞める人が少ないので、総じて高齢なのだとか。 全盛期は50人を越えるホステスを擁していたそうな。 往時は鰊漁の最盛期を知るホステスさんがいて、まさに小樽の歴史の生き字引。 私が訪れた末期は平均年齢60歳、70歳80歳もいた。 口の悪い連れのひとりが言うには「店内が暗いのは、皺が見えない様に」と言うが、皺が多くて何が悪い。 相手に応じてこれ程の品ある洒落た応対が出来るホステスなんて、そうそういまい。 日頃から様々な客に対応出来る様に膨大な情報や知識をため込んでいるのだろう。 まさにプロ。ひそかに、舌を巻いた。

平成11年、伝説の社交場・キャバレー現代は50年の歴史に幕を下ろし、建物もすでに取り壊された。 連れて行ってくれた地元の仕事関係者が言うに「キャバレー現代」は、魑魅魍魎の世界。 とは言え、言葉の通り怖いもの見たさではない。 若い女の子がいる店へなびく男性は多いが、若い娘がほぼ居ない店と知りつつ通うのだ。 若い色気の芳香を目的とせず、ただおばちゃまホステスとの会話を楽しむために。 なんて、素敵なんだろう。 明治期を思わせる店内に、一度見の予想を裏切る知性と豊富な話題を提供する高齢ホステスたち。 その引き出しは広くて深い。 キャバレー現代の格調高い世界に魅かれて足を運んだ人の、なんと多いことか。

その夜ホテルへ戻ると、さっきまで居た「キャバレー現代」はバーチャルの世界だったのか? 狸御殿で楽しく化かされたか?そんな気がする。面白い不思議な空間。 閉店は、残念でならない。
閑話
18/09/05 電車での出来事

お腹がくちくなり、そろそろ帰る心配をする時間となった。 小樽駅へ行くと、未だ全面復旧とはなっていないが、幸いにも小樽→札幌の臨時便運行が決まっていた。 最悪の場合、小樽泊まりも覚悟をしていただけに嬉しい。

電車に乗り込むと、進行方向へ向いた2人掛けシートが整然と並んでいた。 帰りの車中は読書と決めていたので、出入口の一番近くここだけ1人掛けのシートに陣取り、ほっと一息。 すると、途端に後ろから「ダーン」と言う地鳴りの様な大きな音が幾重にも響き渡った。 「何事?」と振り返ってみれば、私の後ろの人たちは皆揃って私に背を向けて座っている。 つまり、私ひとりだけが拗ねた子の様に反対の方向を向いていたのだ。 それで、やっと気がついた。この電車は小樽発の臨時便。 他の客たちはドミノ倒しの様に、一斉に進行方向へ座席の向きを変えたのである。 ならば、私も・・・と座席の底や肘掛あたりをきょろきょろ見回したが、 どうすればシートの向きを変えられるのか、さっぱり見当がつかず途方にくれてしまった。 それと気づいた2列後ろの若い女性が「変えましょうか」と声をかけてくれ、 背もたれを力いっぱい前に倒した。 どうやら、転換クロスシートと言う、背もたれを動かすだけで向きを変えられるタイプだそうな。 知っていれば、簡単なことなのだが、知らないと手も足も出ない。

一歩 日常から離れれば、自分の知らない事はそこここに転がっている。 そんな時、助けてくれるのは人。見知らぬ人の親切が身に沁みた。
5日目
18/09/06 胆振東部地震
午前3時7分 地震 発生
私は爆睡中。直後に目覚めトイレへ行くも、電気は点くし水も流れ問題なし。 しかし、それから18分後に停電となり、トイレの水洗も使用不可となる。 こうして、ブラックアウトが始まった。家人は地震とともに目覚め、廊下へ飛び出したとか。

窓から外を見ると、道路を挟んだ前のベッセルインホテルも真っ暗。 一寸先のことは解らない。と、つくづく思う。
午前7時 朝食
さて、食事。未だ停電の中、9階の部屋から1階の食堂まで階段で降りる。 中ほどで、膝がガクガク、息も絶え絶え。

本来のメニューは、パン/たっぷりな野菜/ソーセージ/スープ/卵やき/コーヒーなど簡単なものだが、 自分で焼く卵は美味しくて楽しい。 今朝は、電気の通らない中、近所の発電機を借りに行き、やっと用意してくれたコーヒーとパンとウインナー。 ただこれだけを準備するために、まだ薄暗い早朝の市内を従業員の方々はどれ程走り回ったことか、想像に難くない。 心底 有り難い思いでいっぱい。
午前9時 様子を見に駅前へ
札幌地下道も早々に全面閉鎖



交差点では信号が止まり警察官が手信号で交通整理



大通公園のテレビ塔も電気が消え



札幌駅南口・アピアドーム
行くあてを失った旅行者たち



札幌駅構内のキヨスク
薄暗い中、食料を求めて長蛇の列



札幌駅・改札口
真っ暗で人もまばら



札幌駅・北口
こちらも旅行者でいっぱい

●バス・地下鉄・電車など市内の全ての交通機関が運休
●トイレが使えない
●TVなど情報が得られず、事態が把握できない。先の見通しも・・・
●店はほぼ閉鎖で、街を観光客が彷徨う。まるでゴーストタウン
●数少ない開いているコンビニは長い行列。弁当・パン・飲料水は極めて入手困難

電気も信号も照明もTVも、何もかもが消えた・・・
午後3時
中島公園ちかくの「エクセル東急ホテル」前の焼鳥屋
電気の切れた冷蔵庫の肉を売り切るために店前で麦酒とともに販売
まるで祭りの様に人が群がる



本社前に掲示された北海道新聞の号外



今夜の夕食
(やっと手に入れたミニカップ麺と南部煎餅)

数時間で電気も交通機関も復旧するだろうと、たかをくくっていたのだが、 何時間すぎても回復の見通しがたたない。 そろそろ、夕飯入手しなければと、家人とは別行動で市内を歩き回る。

この騒動の中、道民に愛されているコンビニ・セイコーマートは早々に店の前にとめた車のバッテリーから電気をひき、 レジを動かしていた。 その後、電気は駄目でもガスは使えると、具は無いが温かい握り飯を無料で振舞ったそうな。 残念ながら遭遇は出来なかったが、家人は通りかかった店前で無料でソフトクリームをいただいたと。 その心意気、さすがセイコーマート。

さて、私と家人の晩餐は、私が歩き回って入手したミニカップ麺と家人が見つけてきた南部煎餅。 カップ麺は水がないので、辛うじて3本売れ残っていた強炭酸水の蓋を開けて炭酸を抜いて入れたので、 なんとか食べられる様にはなったが、美味い訳でもない。何と言うサバイバル生活・・・

一方、別行動の家人情報によれば、午後3時 札幌中央区役所界隈の電気が復旧したと!

予定では、明朝ホテルをチェックアウトなのだが・・・。 スマホ充電を済ませ、ホテル翔へ戻り延泊の手配。 ホテルの好意により、今夜は2人で5500円。 まずは、ネグラ確保でほっと一安心。 すると、外からバケツを持ち込んで階段を上がるご夫婦と遭遇した。 聞けば、今日チェックアウトして帰宅するので、停電で流せなかった部屋のトイレに水を運び流しているのだと。 7階の部屋を往復するのは、キツイ。とふぅふぅ。 ホテル側はそのままで。 と言うけれど、置き土産はどうにも気が咎めるとのこと。 いつまで続くこの停電。

夕方になって、札幌市は地下空間の開放を決定。旅行者たちに雨露しのぐ庇を貸した格好となった。
18/09/07 地震2日目
午前4時
目覚めると目の前のベッセルインホテルに電気が灯った!!! 我らのホテルに電気が復活するのも、時間の問題だろう、とにんまり。 しかし、いつまで待っても電気が点くことはなかった。
ベッセルインホテルでは宿泊客が部屋をうろうろ歩いたり、TVに見入ったりする様が灯りに炙り出され闇に浮かび上がる。 電気の無い当方は、相変わらず情報を得る手段がないと言うのに。

あとで知ったのだが、重要施設や拠点施設のある地域を優先的に電気の復旧をさせたのだそうな。 たしかに、ベッセルインホテル側は市中心部で札幌市の施設や大型病院も多い。 それにしても、ただ道路一本ではないの。と歯軋りする思い。
午前7時 朝食
未だ停電。昨日と同じく9階から階段で降りる。
メニューは、パン/コーヒー/ウィンナー/ベビーチーズ/おつまみ一口燻製(函館朝市)など。 昨朝よりはほんの少し良くなったけれど、総じてほぼ同じ程度のグレード。

宿泊客が随分と少なくなったような・・・それもそのはず、新しい宿泊客は断っているのだから
午前8時
むかえのベッセルインホテルのロビー
ここでスマホ充電&coffeeブレイク

朝食を済ませると、するべきこともなく、むかえのホテルへスマホの充電へ。 こちらは、旅行者被災民みたいな人々がロビーをうろうろ。 TVがあり、電源があり、コーヒーやジュースやお茶などが飲み放題。 お湯もあるので、どこかから仕入れたカップ麺を食べている人もいる。 至れりつくせり。ここの客ではないのに、恐縮。
午前10時
新幹線はなんとか動き出したが、道内の特急が全面運休なので函館北斗までの足が無い。 いつになったら帰れるのか・・・
午後2時
セイコーマート・レジに並ぶ人々
少ないながらパンや弁当や惣菜が並ぶ



セイコーマート・ホットシェフのかつ丼@500円

夕飯を求めて、中島公園界隈を彷徨う。 と、セイコーマートの店内で調理するホットシェフで「かつ丼」を手に入れた。 残り3個のうちの2個。なんたる幸運。 米粒を食べるのは、実に丸3日ぶり。言葉に出来ない程の感動だ。

かつ丼を食べたら、もう今日はすることが無いので寝ることにした。 と、いきなり部屋の電気が点いた。 あまりの嬉しさに、涙が出そう。 そうとなれば、話は別。 就寝は取りやめて、久しぶりに入浴。あぁ、気持ちいいいいい。
18/09/08 地震3日目
午前 チェックアウト
取りあえず電気が復旧してほっとしたものの、未だ道内の特急は運休のまま。 一体いつになったら普段の生活に戻れるのか・・・

この状態がいつまで続くのか解らない不安。 で、長期戦を覚悟し市内在住の母宅へ転がり込むことにした。 高齢の母に私達の使った後の客用布団の始末をさせるに忍びなく、 今までは市内ホテルへ泊まっていたのだが。
午後
母宅は夕べから電気が復旧したが、 近くのスーパーは今日になっても市中心部での地震翌日くらいの品揃え。 少ない商品の買いだめも目立つ。 スカスカな食品棚から入荷したばかりのイカの唐揚げとフライドチキンを確保し、 冷蔵庫のあり合わせも動員して、細やかな晩餐。

午後9時、TVニュースが「明日からJR特急が運行予定」と言った。あぁ、帰れる!
18/09/09 地震4日目・大宮

大宮駅

早朝6時に母宅を後にして、札幌発の特急に飛び乗った。 車内は覚悟していた程は混んでなく、函館北斗までに数回様子見の遅運転はあったものの概ね予定通りに。

さて、北海道新幹線。こちらも昨日まで特急が止まっていた余波か、 比較的ゆったり。シートに身を沈めると、この数日間のどたばたが蘇る。
中華一番・大宮東口店

外観



店内


    
餃子+一番ラーメンセット@600円

こうして被災地からテリトリーに帰れば、元の生活に戻る。 今も不自由な生活を送る北海道の人々には、申し訳ない思いでいっぱい。

とは言え、言葉に出来ない開放感で、初体験の街をしばし散策しようと、新幹線の終着駅・東京駅のひとつ手前・大宮で降車した。

大宮は、埼玉を代表する鉄道の街。 乗り入れる路線は14本と、東京駅に次ぐ全国第二位のターミナル駅である。

大宮の美味いモンを求め、駅前をぐるぐると歩き回る。 ちょうど、商店街のフェスティバルに遭遇し、ただでさえ多い人の波にもみくちゃ。 スマホで見当をつけていた中華料理店に辿り着くことが出来ず、通りかかった店に飛び込んだ。 あぁ、疲れた。店の名は「中華一番」。 良さ気な店に遭遇したと思ったら、何と日高屋の系列店だと。 地元の老舗を期待していただけに、少々がっかり。 しかし、味も合格点で値段もリーズナブル。 とりあえず、ここで安着祝いと相成った。お疲れ~
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