TOP

2015年 東京・静岡 旅行記

大相撲観戦・待乳山聖天の大根・熱海・下田・黒船電車・巣鴨ときわ食堂・吉祥寺さとうのメンチカツ


15/01/14~15/01/21  札幌→成田空港→東京→→熱海→下田→三島→小田原   7泊8日
経費(大人2名)
交通費 ジェットスター航空券(新千歳→成田) @3,490×2(往復)×2人=13,960円
航空券支払手数料(カード・1人) @860×2=1,720円
運賃および各種税金 1,036円
バス:成田→都心 @1000円×2名=2,000円
スイカ:チャージ @10000円×2名=20,000円
新千歳パーキング @3,000円
宿泊費 パレスジャパン @3,400円×2人×4日=27,200円
センターホテル成田 @6480円×2名=12,960円
食費 19,495円
雑費 大相撲 他 19,708円
総計 〆て        121,079円


旅程
1日目 大相撲観戦 東京・両国
2日目 待乳山聖天 東京・浅草
「池波正太郎生誕の地」碑 同上
白波五人男 東京・浅草の伝法寺通り
浅草地下商店街 東京・浅草
3日目 黒船電車 静岡・熱海→下田
宝福寺 静岡県下田市
ペリーロード 同上
了仙寺 同上
安直楼 同上
4日目 起雲閣 静岡県熱海市
坪内逍遥の墓 同上
JR三島駅北口 静岡県三島市
めぐみの子 同上
楽寿園 同上
三嶋大社 同上
小田原城 神奈川県小田原市
5日目 井の頭恩賜公園 東京都三鷹市~武蔵野市
6日目 夕やけだんだん 東京都荒川区西日暮里
巣鴨地蔵通商店街 東京都豊島区巣鴨
7日目 足立市場 東京都足立区
名倉医院 東京都足立区
荒川河川敷の凧揚げ 東京都荒川区
8日目 帰宅 札幌市


泊まったところ ●パレスジャパン( 2013東京編 参照))
玉の湯ホテル
センターホテル成田
食べたところ 両国国技館 助六すし弁当
浅草やきそば 福ちゃん ソースやきそば
立ち食いそば・うどん 文殊 よもぎそば
越後そば かけそば
うなぎ桜家 鰻重2枚盛り
欅の森 大古久 天ぷらそば
ときわ食堂 ぶり大根定食
紅虎餃子房ルミネ北千住店 油淋鶏定食・大餃子定食
食べたもの 下田あんパン 下田あんパン
吉祥寺SATOU ミートカツ


閑話 橙は代々
タレント・中島唱子

1日目   出発編   今日の歩数=8,435歩  曇り

ジェットスター搭乗もこれで三度目。初搭乗の時は行列で並んでいる間に飛行機の給油をし、傍らで着陸便の客を降ろすと言う荒業。
2015/01/14 大相撲観戦

前列中央が逸の城

両国では、大相撲興行の真っ最中。チケットは取ってない。取り合えず、と空港から直行。なんと、椅子席ながら残席チケットを獲得。

初めての国技館。物珍しさで歩き回ってみた。不思議な空間、ここは茶屋街。相撲観戦しながら食べる弁当などを、提供する所だ。事前予約するシステムなので、すでに弁当を客に届け終わったのか、結構 年配な着物姿の男性店員達が、暇そうにのんびり店前に座っていた。華やかだ。飛び込み客の私は、当日販売も受け付けてくれると有難い。

肝心の相撲。土俵に上がる力士たちを目にし、血湧き肉躍る思い。興奮は容易におさまらない。

助六寿司@1150円

国技館独自の弁当が食べてみたいのだが、今日は相撲弁当がない。助六寿司を購入。巷より少々お高めで、味は普通かな。

後で気づいたが、私のあたりの席では弁当を広げている人がとても少ない。相撲の終わる時間は、勤め人が帰宅する頃。終了時間が早いので、家でいつも通りの夕食を摂るのかしら。
余禄

勢関

取り組みが全部終わり、人波のままに横の出口に出た。 黒い人山がこちらへ向かって近づいて来るので、傍に寄ってみる。なんと、その中心にガタイのでかい顎のしゃくれた見覚えのある"お顔"を発見。勢関、その人だ。こんなにズームで見られるなんて。

身長194cmは、見上げる程に大きい。始終にっこりとソフトなファン対応が、いい感じだ。でも、こんな場所 負けすぎでしょうが。頑張れ、ファイト一発。
2日目   浅草散歩 編   今日の歩数=22,278歩  曇り時々雨
2015/01/15 待乳山聖天(まつちやましょうでん)

さくらレール
(小高い丘にあるため無料のスロープカー)

境内の売店
(大根@250円・花1束@600円)

台東区浅草にある浅草寺の支院。浅草七福神の毘沙門天が祀られる。601年、この地が旱魃に見舞われた折、歓喜天と十一面観音が安置されたそうな。

処で、ここでは線香や花と共に大根が供えられる。大根は、体内毒素を中和し消化を助けるため、聖天様のはたらきを表すとされ、聖天様のご供養にお供えする様になったらしい。1月7日には大根まつりが開催され、お神酒や供物で作られたふろふき大根が振る舞われ大層な賑わいになる。

宿泊しているホテルから近いため、ふらっと迷い込んだ私と家人。境内売店で売られている大根は、聖天様への供物。供えた後の大根は、2ツ切りにしてビニール袋に入れ、花と共に本堂脇で無料にて提供される。傍で、件のおばあちゃまが私に言う。 「お下がりの有難い大根だから、いただいて食べると健康にいいのよ」と。 当方が旅行中と知ったおばちゃまは「ホテルのフロントの方にあげると、喜ばれるわよ。チップ代わりね」と悪戯っぽくウィンクした。

欲を道連れに、家人と私それぞれ1袋づつをバッグに押し込んだ。その後の浅草散策中、有難い大根もいささかもてあまし気味。途中で捨てたろか。と罰当たりな誘惑が頭をかすめる。やっとの思いで帰り着いたホテルでは、私たちから大根を受け取ったフロントさんの、満面の笑みが待っていた。健康と福をお届けし、先程までの疲労困憊が吹っ飛んだ。
2015/01/15 「池波正太郎生誕の地」碑

手前の植え込みにある碑

待乳山聖天の上り口にあるのが「池波正太郎生誕の地」碑。

池波正太郎は、大正12年浅草区聖天町(現在の台東区浅草7丁目)にて待乳山聖天から道路一つ隔てた南側で誕生。間もなく関東大震災が起こり、一家は埼玉県浦和市へ移転。

「聖天の地の記憶はない。」と言う。が、生前「待乳山聖天宮は私の心の故郷のようなものだ。」と語ったように、彼の作品は随所にこの地の雰囲気を纏う。鬼平犯科帳の船宿や、秋山小兵衛の剣客商売など。それらを思い、初めて訪れた地なのに懐かしさがこみ上げる。
2015/01/15 白波五人男

弁天小僧・菊乃助

盗賊の首領・日本駄衛門

神出鬼没・忠信利平

元漁師の船強盗・南郷力丸

浅草・伝法院通り

以前から気になっていた、屋根の上やらに さりげなくいる人形たち。これは、かつて浅草寺末寺に住んでいた歌舞伎作者・河竹黙阿弥の日本屈指の盗賊軍団「白波五人男」。一人足りないな。赤星十三郎。それは、次回訪問時の宿題。通りには、鼠小僧も潜んでいるそうな。
2015/01/15 浅草地下商店街

浅草松屋の手前が地下商店街の入り口



空き店舗が目立つ地下商店街

浅草地下商店街は50年前に建てられ、戦後の東京では一番古い。ただ、建物が老朽化し、存続が難しくなっているとか。家人が、今のうちにどうしても行っておきたいと言う。

浅草・まつやの足元から地下街へ入る。時間をワープしたかと思う空間だ。配管むきだしの天井が、昭和への郷愁をそそる。閉店した店が多く、櫛の歯が抜けた様なシャッター街になってしまっているのは、痛恨の極み。
浅草やきそば 福ちゃん

正面が浅草やきそば 福ちゃん

ソースやきそば@350円

店の数メートル横が地下鉄・銀座線の改札口。特別な仕切りもなく、不思議な雰囲気が漂う。

その改札の横のこの店、イチオシ「ソース焼きそば」を注文。麺は太めで、もちっと懐かしい味がした。 ソース・マヨネーズ・青のりはカウンターに置かれ、自由にトッピングが出来る。
立ち食いそば・うどん 文殊

立ち食いそば・うどん 文殊

よもぎそば@380円

福ちゃんを出た家人が言った。「入り口の立ち食いで、そばが食べたい」との家人の希望で 揃って「よもぎそば」を注文。よもぎの香りが鼻腔をくすぐる。あっと言う間に客が目白押しとなり、家人は左右の脚で階段を段違いに跨ぎ、箸を動かす。美味い。

そば2連発で、お腹いっぱい。
3日目   伊豆・下田 編   今日の歩数=14.475歩  晴れ

今日は息子と待ち合わせ、伊豆と下田観光をして熱海泊の予定。
2015/01/16 越後そば

かけそば@310円

東京駅一番街B1

下田へ向かうため、朝食抜きで東京駅へ。地下街は飲食店が目白押し。が、まだ開店している店は少ない。と、何処からか出汁のいい~香りが漂ってきた。出所は、「越後そば」という立ち食い蕎麦屋。キャリーバッグを転がす出張中と思しきサラリーマンが、次々に店内へと吸い込まれていく。

店頭の販売機で食券を購入し、店内へ。立ち食いとは言え、真ん中の長テーブル・立ち食いスペースの他に、壁際と通路側のテーブルに小さな椅子が据えられている。

麺は丸く出汁の色は濃い目で、ボリューム少なめ。道産子の口には、違和感なく旨い。仕上げは、セルフサービスの熱くて香ばしい蕎麦湯。体中が温まる。
2015/01/16 黒船電車

熱海で息子と合流。目の前に、漆黒の列車が滑り込んで来た。熱海~下田間を運行している伊豆急の通称「黒船電車」。人気機種・リゾート21を、下田に来航した黒船に見立てて塗装した、全国でも稀有な黒色列車だ。しかも、普通運賃のみで乗車が出来る。

車内には、黒船来航からの幕末の歴史などが展示されている。車体の窓は、全面ガラスのオーシャンビュー。海に面しW型に配置された海側席では、伊豆の海が絵巻物を広げた様に展開される。重厚にしてシックな車体に身を沈めると、心は幕末へ。
復路は、先頭車の展望室へ。ここも普通運賃。座席は劇場をイメージした階段状に配され、右の海と左の山が同時に視界に飛び込む。運転手さんが一人占めしていた先頭展望。なんて、素晴しいんだ。
2015/01/16 下田あんパン

下田着。

駅から近い商店街に「下田あんパン」の幟がひらめく。店内の先客は、1万円程を支払い地方発送を依頼し立ち去った。「そんなに人気のパンなの?」我ら3人は、顔を見合わせた。

牛乳あんパンと、おぐらあんパンを購入。@180円程度。マッシュルームに似た形が愛らしく、ふんわりとしたパン地が美味い。下田名物。
宝福寺 ペリーロード

山内容堂と勝海舟の会談の地。
坂本竜馬の脱藩の許を得たという。
ハリスの妾・吉の墓所

黒船・ペリーが了仙寺へと行進した道。
江戸期は花街として賑わった。
了仙寺 安直楼



ペリー一行の応接場。
寺の裏・海蝕洞窟から人骨や土器発掘。
南伊豆の貴重な洞窟古墳。
凄い。

唐人・お吉が経営した小料亭屋。
紋は右三階松。
なまこ壁が下田の風情を漂わせる。
後に寿司屋となり、今はクローズ中
閑話
橙は代々

ペリーロードを歩き、なまこ壁の旧海運王・澤村邸前に出た。見学無料。特筆すべくは、船大工の手によって作られたという点だと。昨年、市に寄贈された。

大きな黄色の実をたわわに実らせた木が、玄関先に伸びている。黒船電車の車窓からも、ずっとこの実が見えていた。「あれ、何ていう果実なんだろう。うまそうだな」と家人は、いたく気になる様子。 澤村邸の案内さんに聞いた処「だいだい」とのこと。食べられるのかと尋ねると「食べられませんよ。ポン酢にするくらいです」と顔をしかめた。家人が、ぼそりと言った。「実をとらないで置くと、何年くらいついているのですか」 。「あわわゎ、毎年、収穫するでしょ」と、息子と私は家人のびっくり質問を慌てて火消しする。彼女曰く「毎年もぎます。もう獲ったのもあるし」。

帰り道、息子が感慨深げに呟いた。「俺さ、ダイダイって聞いて、“橙武士は、これが語源だったのか”と思ったんだ」。橙武士とは、大阪の陣に参戦した武士が、大事な戦いの時に遊郭で遊んでいて戦に間に合わず、味方から「橙武士」と呼ばれたと言う逸話。橙は酸味が強く、正月飾りにしか使えない、見掛け倒しと言う意味がある。息子がスマホで調べるのを後ろから覗き見れば 「実は冬を過ぎても木から落ちず、そのまま木に置くと2~3年は枝についている。この特徴から「だいだい(代々)」と呼ばれる様になった」そうだ。冷や汗かいて家人の口を塞いだが、あの突飛な家人の質問は、存外に真っ当だったらしい。
~熱海~
2015/01/16 玉の湯ホテル

部屋から見る相模湾へ沈む夕陽

夕食

朝食

「父と2人で、1月に上京する」と息子へ連絡し、それを受け彼が予約を入れてくれたのが、熱海のホテル「1泊2食の訳ありプラン」。アメニティなしバス・トイレなし」信じられないくらい安い。と息子。ホテルは、サンビーチの目の前。しかも、ホテル都合でバストイレつきの部屋に変更となった。

建物自体は古いが、掃除は行き届いており問題なし。料理は、朝夕ともに部屋食。「値段が値段なので、あまり期待しない様に」 と息子は言うが、品数が多く蟹の足までつき大満足。

さて、風呂。地下の海底風呂と屋上の露天風呂の2箇所。海底風呂は壁面に水槽がはめ込まれ、色彩鮮やかな魚がゆらゆらと泳いでいた。浴槽は1つで、照明は暗め。露天風呂の方は、屋上中央にプラスティック製の浴槽があり、中心部が泡立っているのでジャグジーか と思ったが、さにあらず。ただの湯口だ。しかし、眼下に広がる相模湾の夜景一人占めは、かなりいい気分♪

朝 息子が支払う時に聞こえた額は、3人で2万円弱。有難い安価。訳ありが、訳なしになったし。
4日目   熱海・三島編   今日の歩数=26.512歩  晴れ
2015/01/17 起雲閣

NHK朝ドラ「花子とアン」のロケ地。歌人・柳原白蓮の嫁ぎ先(九州の石炭王・嘉納伝助の当時の邸宅)。1919年(大正8年)に建築。元実業家・根津嘉一郎、農商相・内田信也の別邸を経て旅館となり、今は熱海市所有。入園料@510円。

暖炉や天井のステンドグラス・ローマ風呂など日本近代建築の贅が、そこここに溢れる。まるで夢の世界。観光客が「こんな所で暮らしてみたい。」と呟くそうな。そんなセレブな生活を捨て、新聞広告での離婚宣言の後、東大生の愛人と駆け落ちした白蓮の心模様を思う。

旅館になってからは、文豪名士たちが訪れたと言う。作家・三島由紀夫やタレント・竹下景子は新婚旅行で宿泊したそうな。

ボランティアの女性によると「最初の持ち主・内田信也が建てた別荘時代、老朽化が進む建物を補強するために、1階から2階までつき通しで1本の柱をいれたのですよ。こんなんで、もつんですかね」。もつか否かは知らないが、持ち主の思い入れの深さが、じんじんと伝わって来る逸話だ。
2015/01/17 坪内逍遥の墓

「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいふや。曰く、人情とは人間の情欲にて、所謂百八煩悩これなり。夫れ人間は情欲の動物なれば、いかなる賢人、善者なりとて、未だ情欲を有ぬは稀なり」(小説神髄)

熱海の急な坂を登る。息も絶え絶えに辿り着いたのが、海蔵寺。本堂の横・小高い地にひっそりと佇む夫妻の墓。夫人は、東大近くの根津遊郭の娼妓・花紫。当時 学生だった逍遥が、数年間かよいつめ結婚したという。シェークスピア全訳で名を馳せた逍遥の墓としては、寂しいほどに静かだ。が、煩悩と対峙した逍遥らしくもある。

さらに坂を登っていくと、双柿舎に辿り着いた。逍遥が1920年~1935年までの晩年を過ごした所である。庭に2本の柿の木があったため早稲田の同僚・会津八一により「双柿舎」と命名された由。現在は、大学の管理化。この日は生憎の閉館日。塀の外から、そっと中を窺う。
~三島~
2015/01/17 JR三島駅北口

JR北口から出ると、目の前に日本大学の校舎が建っていた。歩を進めると、某社の研修所と某大手企業の工場。「すっかり変わったな」と、 この地に多少の縁を持つ家人が、感慨ぶかく呟いた。

周辺をぶらぶらと歩くうちに、ふと気がついた。保育所・幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・葬儀屋。この数丁角に、人生に必要な全てが揃っているのだ。この町内に生まれ、ここの学校へ進み、ここの某企業で働けば、この町内を出ずして人生を完結する事も可能。 まさに「揺りかごから墓場まで」。 「これ、凄くない?」と私。「たしかに。でも、ここまで揃っていると、逆に故郷を出たくなるんじゃないかな」と息子。ひとしきり話に花が咲いた後、息子が苦笑した。「観光ネタが何もない所で、こんな話題でこんだけ盛り上がる俺たち親子って・・・」

折角なので、南口側も歩こう、と駅舎へ。しかし、北口から南口へ通り抜ける通路が、何処にもない。駅員さんに聞くと、そもそもないのだと。すると、南側へ行くには入場券@140円を買わなければならないのか?「どうしても行きたい」と言ったら、駅員さんが「構内通り抜け通行券」を出してきた。反対側の出口へ出るだけで、この煩雑さ。困っている人は多く、三島駅・南北自由通路設置の要望は多いが、未だ実現していない。
2015/01/17 めぐみの子

白滝公園の一角で、足が止まった。男の子と女の子の人形が「よいしょ、よいしょ」の掛け声とともにポンプを動かし、水を汲みあげる。 竹筒の先から出てきた水を、飲んでみた。富士山に降った雨や雪が、溶岩流をつたい長い年月をかけ、ゆっくりと地下水になった天然水。さすが「水の都」と言われる三島市。美味い。

この男女の水汲み人形は、季節ごとに衣装を着せ替えるそうだ。掛け声と一生懸命に水汲む姿があまりに愛らしくて、時を忘れて見入ってしまった。
2015/01/17 楽寿園

楽寿館と干上がった小浜池

1890年、小松宮親王の別邸として造営。没後、韓国王世子・李垠の別邸となる。その後、別の持ち主を経て三島市が購入。遊園地や動物園を併設し市立公園として一般公開した。入園料@300円。

三島溶岩で形成されている敷地は、1万7千年前に富士山の噴火で流失したもの。 庭園は、国の天然記念物に指定されている。かつては、楽寿館の優美な姿を満々たる小浜池の水面が映していた事だろう。今は、池の湧水が枯渇し、荒涼たる景色が広がる。水の都・三島で何ゆえに?どうやら、工業用水の汲み上げが原因、とも言われている。何とかならないものか。
2015/01/17 三嶋大社

拝殿

金木犀

参道は、うっそうと茂る木々の緑。そのアーチを潜り、社殿へと向かう。境内の広さは、1万5千坪。東京ドームがすっぽり入る。なんだか、森林浴をしている気分だ。

源頼朝が伊豆へ流された折、源氏再興を祈願し成就した事から、商売繁盛の神として人気だそうな。大リーグの松坂投手が結婚式を挙げた事でも知られている。

又 樹齢1200年といわれる高さ10メートルを超える大木の金木犀は国の天然記念物。その大きさに圧倒される。ここの金木犀は、2度咲きでも有名なのだと。木にも寿命があると聞くが、この不老長寿ぶりはお見事。あやかりたい。
2015/01/17 うなぎ桜家

安政3年創業の三島の超人気うなぎ店。富士山の湧水で育つ鰻は、三島の名物のひとつ。

「丼じゃなく、重が喰いたい。生まれてから一度も喰ったことない」と息子。ちげえねえ、彼の給餌担当だった私も喰わせた覚えがないわい。

聞きしに勝る人気店で、2時間待ちはざらなんだとか。店の前に立つ警備員風の人に名前を聞かれ、横の空き地に据えられたストーブで手あぶりして待つ事20分。やっと、店内へ案内された。

重は、2枚盛り@3750円から。たっぷりの鰻がゴージャス。と感激していたら 「3枚盛り」を注文するツワモノもいて、びっくり。鰻が舌に纏わりつき、蕩けるようだ。 軽くなった息子の財布を不憫に思いつつ、舌鼓♪
2015/01/17 小田原城

15世紀末、北条早雲が小田原へ進出し、その後5代にわたり、この城を拠点に関東への勢力を拡大した。今は、小田原の観光シンボル。入館料@600円。

出発直前まで読んでいたのが、司馬遼太郎「箱根の坂」。一度は訪れて見たかった小田原城。「閉館時間が3時だ。時間がない」と走り出した息子。20分で見終えなければならない。以前3回ほど訪れた息子が、要所をチョイスして観光ガイド。階段を息も絶え絶えに登り、慌しく走り回った。大阪城を訪れた時も、閉館時間に急かされた。せめて、閉館時間をあと1時間遅らせてくれたらなぁ。

とは言え、天守からの眺めは美しい。模擬天守だが、気分はすっかり風雲児・北条早雲。
5日目   井の頭公園・吉祥寺・阿佐ヶ谷 編   今日の歩数=14624歩  晴れ
2015/01/18 井の頭恩賜公園

徳川家光以来、歴代将軍が鷹狩りを楽しんだ鷹場。

池には、ボートが浮かぶ。桜の頃は池に覆いかぶさる様にせり出す枝の花々が、さぞや美しいことだろう。

池の周辺に並ぶ露天の数々。商品は、似顔絵や手作りグッズや自らが歌うCDなどなど。リサイクル品や食品の販売が禁止というルールが、井の頭アートマーケッツだそうな。フリーマーケットとは異なり、「売れても売れなくても、別にいいよ」風のアートな空気が漂うのは、そのせいか。

「井の頭公園」と聞いて頭に浮かぶのは、1994年のバラバラ殺人事件。遺体の血をすべて抜き、人体の構造に関係なく長さ・20cmに切り揃え、園内のゴミ箱に捨てられていた、あの事件だ。先年 時効をむかえたが、こんなに芸術的雰囲気の場所と凄惨な事件がどうしても結びつかない。
2015/01/18 吉祥寺SATOU

メンチカツ@160円

吉祥寺の商店街を歩いていたら、一箇所すごい人だかりが。「行列の出来るメンチカツの店で、並ぶの嫌だからまだ買った事ない」と息子。メンチカツ@200円で5個以上で160円。平日はひとり20個まで、土日祝は10個まで。手土産なのか、大量買いの客が多い。

メンチカツを一口かじると、中から肉汁が滴り、指の間を垂れ落ちる。人気の火付けは、TV番組「孤独のグルメ」。井の頭五郎さん、これ美味いわ。
2015/01/18 欅の森 大古久

天ぷらそば@1410円

阿佐ヶ谷の商店街で「昼ご飯を食べて、解散しようか」と私。息子が頷いて言う。「ここ、名物はないよ。そこの蕎麦屋はどう」。

グルメ雑誌に度々取り上げられた人気店だったなんて、知る由もない私たち。並ぶ事15分、和風な店内の入口横・個室風に仕切られた席に案内された。運がいい。

少々待たされ出て来た天そばは、えび天が1本 所在投げに蕎麦の上で寝そべっていた。もう1・2品、天ぷらの連れがいてくれたら嬉しいのだが。出汁はあっさりした感じ。外れでもないが、大当たりでもないような。何より、慌しいので落ち着かない。
6日目   谷中の夕やけだんだん・巣鴨のときわ食堂・銀ぶら   今日の歩数=29407歩  晴れ
2015/01/19 夕やけだんだん

夕やけだんだんから見下ろす谷中ぎんざ

昨日の昼に息子と別れ、今日は家人と別行動日。

北千住駅でJR電車1日券@750円を買い、まずは谷中へGO。残念な事に時間が早すぎて、まだどこも店が開いていない。せめて、有名な「夕やけだんだん」だけでも見た」と日暮里駅から谷中銀座まで行ったり来たり。 ・・・どこにも、ない。数往復した後、谷中銀座から上を見上げると「あぁ、あった」。階段の下から見上げねば「夕やけだんだん」の看板が見えないとは、思いもしなかった。

階段の傾斜が15度で、高低差4m、段数36段、幅4.4m、長さ15m。どこにでもありそうな普通の階段、いや段段。夕やけの絶景スポットで人気だが、見下ろす「谷中ぎんざ」とセットで醸し出す雰囲気が「夕やけだんだん」の人気の秘密か。野良猫たちが、呑気そうに階段下で丸まっている。
閑話
タレント・中島唱子

夕暮れ時、東銀座を闊歩していたら、向こうから見覚えのある人が。「誰だったかな。」。

連れの若い男性と、にこやかに会話しながら歩くその人は、昔 中井貴一の主演で大ヒットした「ふぞろいの林檎たち」で共演した中島唱子さん。その後 ダイエット本を出し、話題になったはず。でも、変わらぬふくよかさは、リバウンドしたのかな。今は、夫とアメリカ在住と聞くが、変わらぬ姿にどこかほっとする。
~巣鴨~
2015/01/19 巣鴨地蔵通商店街

人気商品・赤パンツ

とげぬき地蔵尊・高岩寺の「洗い観音」

おばあちゃんの原宿。

まずは、赤パンツの店。この人たち、本当に穿いているのか?と懐疑の目で眺めている傍から、売れていく。仏具や餅、煎餅などの店が並ぶ中に、パンツの交換用のゴムや亀の子たわしを商っている店も。価格も、桁がひとつ欠けているかと思わせる程に安い。

巣鴨の聖地・とげぬき地蔵。朝早いのに「洗い観音」を拝む長蛇の列。洗い観音は、病気や痛い所を洗うと効き目があるそうな。横で売られている白いタオルが、飛ぶように売れる。地蔵に水をかけ、これで丁寧に拭くのだ。持参せず、律儀にそこで購入するのは、縁起物のせいか。

塩大福や煎餅を食べながら闊歩するグループも多く、一昔前の原宿でクレープを食べながら歩く若者を連想させる。おばあちゃんは、元気だ。
2015/01/19 ときわ食堂

ぶり大根定食@870円

遠くからでも解る人だかりの先は、「ときわ食堂」。お年寄りからサラリーマンや旅行者まで、幅広い年代が粛々と並んでいた。

まずは、玄関前の予約表に記名。おひとり様の私は、グループ組より先に店内のカウンター席へ案内された。注文に迷い隣を見やれば、右の女性は「ぶり大根定食」。左の男性は「かき定食」。右の女性に聞くと「ここは、刺身・フライ・魚の煮付けがお勧めです」と。お言葉に従って、私も「ぶり大根定食」。大根はしっかり味が滲み、脂ののったぶりは最高に旨い。びっくりしたのは、その量の多さ。 3人でつついても充分だ。

単品に+250円で定食に出来、「ミニ盛り」もある。 飯は1回お代わりサービス。夢中で完食。お腹が苦しい。
7日目   足立市場・北千住   今日の歩数=15236歩  晴れ
2015/01/20 足立市場

まぐろの解体

「千住の魚河岸」と言われる中央卸売市場のひとつ。水産物専門。一般客を受け入れているが、もう営業が終わり、終い作業中だった。

しかし、偶然にも冷凍まぐろを電動のこぎりで解体する場面に遭遇。凄い迫力に、思わず息を呑む。
2015/01/20 名倉医院

北千住駅から商店街を抜けた所に、名倉医院はある。

開業は明和7年(1770年)。以来、230年間整形外科を営む。「骨接ぎの名倉」として全国へ名を馳せた。名医と有名になったのは、7代目・弥一の頃。最盛期、1日に300~500人の患者が押しかけ、旧道に骨折や脱臼の患者が戸板に乗って列をなしたと言われる。

門前からは、江戸の雰囲気が漂う庭が視界に飛び込んできた。薬箱を小脇に抱えた髷姿の医者が、息を弾ませ転がる様に往診へと飛び出して来そうだ。まるで、江戸時代へタイムワープした様な。現代も普通に診察をしているそうだ。
2015/01/20 荒川河川敷の凧揚げ

道なりに歩くと、空に白い物体が舞い踊っていた。広い河川敷を、40~50人の幼稚園児が凧糸を手に縦横に走り回る。空高く舞う凧や、上手く揚がらず地面を這う凧など、様々。

雄大な空を果敢に上る凧を視界に納め、途中で買ってきた団子を頬張る。向こうから、金八先生が歩いて来そうだ。
2015/01/20 紅虎餃子房ルミネ 北千住店

油淋鶏定食@890円



大餃子定食@850円

開店10分前から、ボツボツと人が並び始めた。この店は、全国チェーン展開しているそうな。知らなかった。

さて、何を食べるか。迷う私と家人に、店員さんからのアドバイス。「どれも美味しいですが、大餃子は特にお勧めですよ。2人でも充分なボリュームなので、夫々に別のをとってシェアするといいです」

カラッと揚がった油淋鶏は、ホッペが落ちそうな程に美味しい。しかも、2人で分けても充分な量。店員さんイチオシの大餃子は、名の通り大きい。口へ運ぶと、中からジューシーな肉汁がはじけ出た。旨い。

隣のテーブルを見ると、40代女性のおひとり様。ジョッキのビールに、大餃子定食に焼きそば。これらを、淡々と胃袋へ納めていく。ほっそりとした体型に似合わぬ食欲に、唖然。
2015/01/20 センターホテル成田

朝食バイキング

世の中には、予期せぬ出来事があるものだ。

夕方、北海道の自宅へ帰るため成田空港へ。何故かジェットスターのカウンター前は、黒山の人だかり 新千歳空港が大雪のため、欠航が決まったのだ。「どうしたら、いいの」と不安そうな高齢のご夫人に 「当社の都合ではないので、ホテル代は各自ご負担をお願いしています」と航空会社の職員は、にべもない。 金の話ではない。ネット環境には無さそうな年配者は、泊まるホテルを確保するのも容易ではあるまい。 手助けしたいが、私達とて今夜どうなるのか分からない。

取り合えず、成田駅へ戻り、観光案内所で近くのホテルを紹介してもらった。 朝食つき・ツイン@6480円。部屋へ入った途端に、疲れがどっと出た。 一時は空港内での宿泊も覚悟しただけに、屋根の下で寝られる幸せを噛み締める。
8日目   今日の歩数=7631歩  晴れ
2015/01/21 北海道の天気もおさまり、飛行機は予定通りの運航。 無事に帰札できた。
BACK TOP





©2007匁の旅手箱
inserted by FC2 system