3日目 | ●モクタラ |
●シーナカリンウィロート大学の学生食堂 | |
●ヤワラート(バンコクの中華街) | |
4日目 | ●BTS(スカイトレイン) |
●チャオプラヤー・エクスプレス・ボート | |
●ワット・アルン | |
●ワット・ポー | |
●戦勝記念塔 | |
5日目 | ●帰国の途 |
●まとめ |
閑話 | |
モーターサイ | |
学校敷地内を縦横に走り回るバイク。 「タイの女子大生って彼氏のオートバイで大学へおくってもらうのね」。 にんまりと眺めていたら、運転の彼氏が皆そろいのオレンジベストを着用しているではないか。 これが、オートバイの後部座席に客を乗せて運ぶ「モーターサイ」。 「モーターサイクル」がタイ語で訛って「モーターサイ」と言われるようになったそうな。 運転するのは彼氏ではなく、お客を運ぶ運転手さん。 交渉次第でどこへでも行ってくれるので、渋滞の道では便利。 しかし、狭い路地では膝をぶつけたり、風でコンタクトレンズを落とすこともあるらしい。 料金はソイ(脇道)の中なら@10バーツ(≒27円)程度と、お値ごろ。 乗ってみたいのは山々なれど、乗車中はバランスを保たなければならないなど、 お客にもちょっとした技が必要らしい。 |
閑話 | |
スプーンの殺菌消毒は電気炊飯器!? | |
右がスプーン消毒器 左の容器たちはソース |
学食・フードコートなどでは、まとめて置かれているスプーン・フォーク・箸などの中から必要な分だけを取って使うのが、 タイだけではなく日本でも一般的。 さて、ここからがタイ流。 タイでは、傍にお湯を張った炊飯器が置かれ、それぞれがスプーンをお湯にくぐらせ殺菌消毒して使う。 ただし、このお湯、保温はされているが沸騰している訳ではないので、どの程度の効果があるかは不明。 「何もしないよりはいいか。」という気休め程度かもしれない。 が、この暑い気候の中で暮らしていくための自衛的食中毒対策。 日本で外食をする場合、日本人の誰もが、店の用意してくれたスプーンやフォークを、何の懸念もなく安心して使う。 そんな日本での当たり前が、文字通り「とても有難いこと」だったのだと、改めて思う。 |
閑話 | ||
タイのビニール袋文化 | ||
横に寝かせると、こんな風。 口を持てば、空気は上にくる |
タイはビニール袋文化の国。ジュース、お菓子、カレーなど何でもビニール袋にいれてしまう。 ちなみに、ドリンク系はゴムの所からストローをさして飲む。 使い捨てのプラスチック容器や紙箱や紙コップではなく、ただのビニール袋というのが、なんともユニーク。 驚いたことには、空気をパンパンに入れてふくらませるのがタイ流。 屋台などで、ビニール袋の口を輪ゴムでくるくると巻いて手際良く留める、 その手つきの見事さに見惚れてしまった。格好いい。 口をしっかりと輪ゴムでとめてあるので、逆さまにしても中の液がこぼれることはない。 ビニール袋がこれ程までに便利で使えるヤツだとは思ったこともなかった。
面白い。 ただ、ラーメンなどの熱いものでも、頓着なくビニール袋に入れてしまうのには、びっくり。 ビニールの成分が融けて食品にしみ込んだりはしないのか。 タイ人は、そんな瑣末なことには動じない。 だって、ここは微笑みの国・タイ、天使の都・バンコクですもの。 |
こんな可愛いBTSの電車、発見! |
閑話 |
アユタヤで出会った兵庫の青年 |
MRTスクンビット駅の券売機前、表示画面を覗きこむ人あり。 アユタヤで会った日本人青年、ではないか。 声をかけると、彼は顔をほころばせて嬉しそう。 「こんなとこで、会うなんて」。 たった1度会っただけの人とは思えない懐かしさが湧きあがる。 彼は今日、休館の王宮を外しその周辺のワット・アルンなどを回ったとのこと。 私たちと同じコースだ。 たとえば、マクドナルドでコーヒーブレイクをしなかったら、 あの日アユタヤ駅が見つからず30分近くも迷ってあの汽車に乗らなかったなら、 そも彼と出会う事もなかったハズ。縁は異なもの、味なモノ。 |
閑話 |
スワンナブーム国際空港の中国人男性 |
ホテルのロビーで旅行社のマイクロバスに拾われ、タイを出国する時がきた。 毎日 カルチャーショックの連続で、時の経つのを忘れていた私たち。 竜宮城で遊び呆けた浦島太郎みたい。 ガイドさんに促されて、搭乗手続きを待つ列に並ぶこと30分。 外国人用のカウンターは、いずれも長蛇の列でちっとも前に進まない。 と、ガイドさんが言った。 「係官の手際が悪くて、時間がかかっている。2グループに分かれ、隣の列にも並びましょう。 様子を見て、どちらか早い方に皆で移動すればいい」。 二股をかける計画。 指示通り、私と大学生グループのうちの2人が隣の列へ並ぶ。 周囲を見回していたら、前に並んでいた老齢の男性と目があった。 愛想よく話かけてくる。「Are You Chinese?」 「え、いえ、Japanese。」と私。 痩身をインドネシアのバティックのような半袖シャツに包み、その腕には金のロレックスが光る。 ヤクザな雰囲気。そのうち、連れの若い男性と話す言葉が漏れ聞こえてきた。中国語。 そっちこそ中国人じゃないの。私たちの列の方が早そうなので、家人を含むもう1つのグループがこちらへ移動。 散々待ちくたびれた処で、やっと順番がきた。 と思ったら、例の中国人が何やら血相をかえて係官にどなり散らしている。 「なんだ?」そっとカウンターを覗きこんでも、さっぱり見えない。 背の高い我グループの大学生が言うに、あの中国人男性の荷物が重量オーバーのため追加料金を要求され、 その額が高いと抗議しているのだと。 いつの間にどこから持って来たのか、プラスティックの衣装ケースが5・6個ほど彼の足もとに置かれていた。 これらの荷物を北京へ持ち込もうということは、彼はバイヤーか。 我チームの情報ソースによると、60キロオーバーだ。 これを無料で運ぼうなんて、それは無理。 しかも、後ろに大勢の人が順番を待って並んでいるというのに。最初は追加運賃そのものを否定し、 次第に追加運賃を値切りだした。「どこそこでは、○○ドルだった」と英語でまくしたてる 。係官は全く相手にしない。やがて、彼はカウンターに航空券を叩きつけ、 自分の荷物を蹴飛ばして顔を真っ赤にしながらどこかへ消えた。 無理を通して道理をひっこめようとする中国人のエネルギーに、唖然。 |
11/02/19 | 帰国の途 | |
乗り継ぎの北京空港 AM6:30 |
AM1:05 バンコク発の機内食 |
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このツアーで、一番心配だったのが、早朝の北京空港での乗り継ぎ。 仮眠が出来るかな。もし、寝たとしても起きられるかな。 などと思い迷ったのが嘘のように、機内が消灯になった途端に爆睡。 「案ずるより産むが易し。」。 早朝で人員が少ないせいか、はたまた格安チケットのせいか、 飛行機のタラップを降りバスまで歩き、ターミナルビルへと向かう。身に刺さる程に寒い。 |
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肉 |
chineseの正体はお粥 |
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さっき、食べたばっかりなのに又また食事。 今度は、肉とChineseからの二択だという。 折角なので本場の中華にしてみた。 ところが運ばれてきたのは、明らかにお粥。 つまり、朝粥。確かにChineseには違いないが、ちょっと当てが外れた。 隣の席の大学生グループ。 中のひとりが爆睡中で機内食を食べはぐれた。 目覚めた彼に仲間が言う。 「おい、おまえが寝てる間にめちゃくちゃ旨い中華が出たぞ。」。 |
閑話 | |
May I help you? | |
①地下鉄(MRT)・ラマ9世駅で 路線図の運賃を確認していたら、背中で声が降ってきた。 「May I help you?」。 前日に地下鉄初乗りを体験済みなので、自分では余裕。 が、傍からはオタオタしている様に見えたのか。 「観光地や駅で慣れ慣れしく近づいてくる人には要注意。 案内をする振りをして、知り合いの土産物屋へ連れ込まれ粗悪品を高く押し付けられる被害が出ている」 という「地球の歩き方」の文章が頭をよぎる。 加えて、突然の英語!「NO!」と答えるのがやっとの私。 ②BTSタクシン駅で やはり、切符を買おうとしていたら、若い2人連れの片割れがタイ語で何やら言った。 その素振りからして「May I help you?」のタイ語版と思われる。 タイ語となれば、私にとっては英語より難関。 思わず 「NO」と首を振った。親切だとは、思うのだが。 ③中華街で 迷いながらも何とかチャイナタウンへ辿り着き、観光を終え、帰りの駅はどっちだ。 ちょうど信号を渡って過ぎて行ったご夫婦が踵を返して言った。「May I help you?Where?」。 中国人夫婦で、奥様は香港だそうな。 駅の行き方を身ぶり手ぶりで教えてくれたが、途中で奥様が「こっちの方が近いわよ」。 旦那と奥様が、それぞれに違う道を勧める。 夫婦喧嘩寸前の迫力。 そこへ通りがかったタイ人の男性が中国人旦那の説を支持し、路傍で店番をしていたタイ人は奥様を支持。 とんだ騒動になり、収拾がつかない。 タイ語と中国語のバトルを、唖然と眺める私と家人。 かくして、通りすがりのタイ人男性が、自分もそちらへ行くから連れて行ってやる。 ということで決着をみた。蛇足ながら、後で地図を確認したら中国人奥様のお勧めの方に「中華門」があった。残念。 |
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まとめ | |
地下鉄車中で | |
タイの場合、汽車と地下鉄では利用している人々の、経済格差は歴然。 ある日の地下鉄でのこと。 目の前に立っている若いカップルのために、家人が少し膝を寄せて1人分の隙間をつくってあげた。 男性の方は、流暢とまでは言わないが日本語を話す。 以前、3年間ほど日本の日立研究所で働いていたのだそうな。 懐かしそうに日本語を紡ぐその様子が、微笑ましい。 タイ文字も読めない、地理不案内の私たちのタイ旅行。 楽しめたのは、ひとえに懐っこく世話好きなタイの人々のお陰。 どこへ行っても感じる私たちを見守る温かい視線は、素朴な「微笑みの国」そのもの。 |
完 |
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