6日目 | ●叡山電鉄 |
●貴船神社 | |
●木の根参道・鞍馬寺 魔王殿 | |
●鞍馬寺 | |
●由岐神社 | |
7日目 | ●平等院 |
●伏見百景 | |
●清酒・神聖の 白菊水 | |
●月桂冠大倉記念館 | |
8日目 | ●寂光院 |
●三千院 | |
●下鴨神社 | |
9日目 | ●京都国立博物館 |
10日目 | ●京都市立歴史資料館 |
11日目 | ●超高速フェリー「はまなす」 |
●まとめ |
食べたところ | ●ひろ文 | 納涼川床・流れ素麺 |
●真手打そば処ながの | 茶そば&そば稲荷 | |
●からふね屋珈琲店 | 日替りランチ |
貴船神社・奥宮 | |
船形石 |
三社詣の二番目は、元々の本宮だった奥宮。本宮から杉並木が連なる奥宮参道を進むと朱塗りの神門が見えてくる。 御利益は心願成就。 5世紀初め、玉依姫が黄色い船で淀川から貴船川をさかのぼり、着いた場所がここ貴船神社だと伝えられている。 姫が乗ってきた黄船を隠すために小石を積み上げたとされているのが、船形石(ふながたいわ)。 社の横に生えているのは、二本の枝が連なった杉と楓の連理の木。 夫婦・男女の仲がよい例えとされる。 ここまで来ると、川床料理店もなく、静かで厳粛な空気が漂う。 参道の両脇を覆う老杉たちの息遣いが聞こえて来るようだ。 本殿の下には大きな龍穴があり、 「物を落とすと、俄かに曇り空になり、龍穴から激しく風が吹きあがる」という言い伝えがあるそうだ。 「おい、龍さん、出て来ておくれ~」 |
貴船神社・中宮(結 社) | |
相生の杉 |
本宮と奥宮の中間に位置するため「中宮(なかみや)」とも呼ばれる、三社詣で最後にお参りする社である。 祭神は、縁結びの神として知られている磐長姫命(いわながひめのみこと)。 境内のススキを結んで祈願すると願いが叶うとされているが、今はススキを結ぶ人はおらず、 代わりに「結び文」を「結び処」へ結べばよい。 女流歌人・和泉式部も貴船神社に参詣し、夫の愛を取り戻したという。 昨年、新京極で和泉式部の墓に遭遇した。 彼女は、菅原道長から「浮かれ女」と評された程の華麗なる男性遍歴の持ち主。 そんな女性が夫との仲を回復するために神社へお参りなんて、するかな?神頼みする前に身を慎む方が先だろう。 なんだか、橋田須賀子のドラマで嫁に小言を垂れている姑の気分。 「相生の杉」は同じ根から生えた2本の杉で、樹齢1000年。 夫婦共に長生きという意味を持つそうだ。 同じ根から何故2本生えているのか、解らない。 枝だろうか?1000年もの間、ここでこうして立っていたとすれば、 ひょっとすると和泉式部の参詣を2本寄り添って見ていたかもしれない。 ・・・遠いとおい昔のお話。 |
08/09/02 | 三千院 |
わらべ地蔵 |
京都市左京区大原来迎院町540 落人が世をはかなんで隠れ住んだ大原の地に、比叡山を降りた僧たちが修行の場を求めたのが、三千院の始まりと言われている。 しかし今は、桜・紫陽花・紅葉と四季折々の花々が咲き乱れ、人波が切れることがない大原一の観光スポット。 同じ大原の寂光院に比べると、賑やかで華やぎを感じさせる。 今日は折悪しく雨。「ここは、山の上ということもあり、冬などはとても寒いんですよ。 雪も降り、底冷えもします。 地面が凍って車もあがってこれず、冬用の車タイヤに交換するんです」と、 客殿でスタッフ女性が両の手をこすり合わせつつ教えてくれた。 「では、北海道と変わらないですね」と言いながら、私も着ていたシャツの襟元をかき合わせる。 昔はもっと寒かっただろう。世を捨て、この地に落ち伸びた心境は、如何ばかりであったか。 院内を散策して遭遇したのが「わらべ地蔵」。 手前のわらべは、腹這いになって足をばたつかせるの図。 緑一色の庭園内に突如現れた首から上の地蔵にびっくり仰天。しかし、 そのあまりに穏やかな表情につられて、思わずうっとり。 どんな経緯で、ここにあるのだろう? 地蔵はそれからの長い日々、何を見てきたのだろうか?思いは尽きない。 |
08/09/02 | 下鴨神社 |
えとの社 |
京都市左京区下泉川町59 拝観無料、大炊殿の特別拝観@600円。世界文化遺産。 下鴨神社は京都を流れる鴨川と高野川に挟まれた三角地帯に位置し、正式には賀茂御祖神社という。 上賀茂神社(上賀茂別雷神社)とともに、豪族・賀茂氏の氏神を祭る京都最古の神社である。 境内の糺の森は、東京ドーム3倍の広さで古代山城北部が森林地帯であった頃の生態が保たれている貴重な森林で、国の史跡。 毎年5月15日には”平安絵巻”のような「葵祭り」が、御所からここ下鴨神社を経て、上賀茂神社へと繰り広げられる。 「石清水祭」(京都・八幡市)、「春日祭」(奈良)とともに、朝廷から勅使が派遣される3大勅祭の一つ。 また、流鏑馬、御蔭祭などの数々の伝統神事が行われる。 糺の森を歩けば古代へ、楼門をくぐれば平安へと、心はタイムスリップする。 帰り道、もと来た道を戻って「奈良の小川」の前まで来ると、若いカップルが川の水で手を浄め、 小さな手製のお弁当箱を仲良くつついていた。 そういえば、ジョギングをしている人もいる。 ここ下鴨神社は、拝観無料なだけに「市民の憩いの場所」として愛されている。 古代と平安の歴史の地で、今も歴史は刻まれ続ける。それが、1人1人の思い出という名の歴史であるのも、又、素敵。 |
08/09/03 | 京都国立博物館 | |
特別展示館前 ロダン・考える人像 (鋳造作品) 世界に20数体ある本物の中のひとつ。 東京上野の西洋美術館にもある。 |
京都市東山区茶屋町527 入館料@500円 京阪電車・七条駅そば・三十三間堂の横。 入口に立つと、17世紀フランスのルネッサンス・バロック様式をもとに設計された西門と、 その隙間から垣間見える旧・本館が醸し出す優美さに圧倒される。 広い庭では、野外展示もされているが、 今日は時間がないので中展示に絞ることにした。 展示は、さすがに凄いものが並んでいる。 と、造詣浅き私でもそう思う。精通した人が見れば、垂涎ものだろう。 昨年、訪れた永観堂で「山越阿弥陀図」が国立にあると聞いたので、見れるかも? と淡い期待を抱いていたが、またしても空振りだった。 私の一目惚れは、曽我蕭白の「達磨図」。カッと見開いた眼に、しびれた。 解説によると「刷毛や掌で一気に描く。」のだと。 曽我蕭白の画風は一風変わっていて、美人は醜く、子供は可愛くなく、という全く逆表現をする「ひねくれもん」。 そのため、江戸時代の画史において、「異端」「狂気」の画家と位置付けられていた。 面白い。 前出の解説文を書いているのが、同館文化資料課長の狩野博幸氏。 氏の解説やコピーは、鋭くてユニークだ。 以前、特別展示で曽我蕭白展を開催した時のキャッチコピーが「円山応挙がなんぼのもんじゃ」。 高台寺・百鬼夜行展での円山応挙「幽霊の図」が頭に浮かぶ。 「こんな風に言われちゃ、円山応挙もあの絵の幽霊のようにげっそりしちゃうよな」と私は一人にんまり。 |
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からふね屋珈琲店 | ||
日替わりランチ@700円 デミグラスソースハンバーグ+ライス |
+200円で食後のコーヒー |
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京都市東山区茶屋町527 京都国立博物館内 建物は、窓が総ガラス張りで近代的でシャープ。 京都では有名な珈琲店で、ダッチコーヒーがウリなのだと。 日替わりランチと食後のコーヒーを頼んだ。 デミグラス好きな私に、このハンバーグは満足。コーヒーも美味しかったし。 隣の席のご婦人は、ゆったりと文庫本を広げている。これまた、良きかな。 一方、広い庭では、新郎新婦の写真撮影が行われていた。 博物館を借景に、最高のシチュエーション。 こうしていると、時間が止まっているような。 静かな時間空間の中にいつまでも浸っていたい気分を振り切って、私と家人は、展示の続きを見に戻った。 |
08/09/04 | 京都市歴史資料館 |
京の七口 初めは十口あったとも言われている |
京都市上京区寺町通荒神口下る松陰町138番地の1 京都御所の東隣に位置し、資料館の南隣には同志社大学創始者・新島襄の新島会館と旧邸がある。 前を通った時に「しめた。お昼に旧邸を訪ねて、隣の会館で昼食」と、 張り切っていたのだが、その日、旧邸は定休日。 会館にはレストランがなく、期待のランチは霧消した。 さて、京都歴史資料館。 前身は京都市史編纂所で、 京都市編纂作業を通して市民から寄贈・寄託された多くの古文書などが所蔵されている。 これらの保持管理、さらなる収集と調査研究が主なる役割で、 史料の閲覧、展示、歴史講座の開催など市民への歴史広報なども重要な役目。 1階奥は映像展示室。京都の歴史、祭礼、風物などをわかり易く解説した映像作品40本(各15分程)があり、 その中から好きな映像を見ることができる。 中でも、秀吉の京都のまちづくりが興味深い。 秀吉は、ほぼ正方形の区画であった平安京の条坊の一町の間に南北に道を通し、 短冊形とした町割りを行って、正方形の中央部分も行き来が容易となる様にした。 さらに、京の中心部周囲約23kmを土手や石垣で取り囲む御土居を作り、都の防備と鴨川の氾濫の対策とした。 というのは表向きの理由。その実は、京都御所や二条城を土手や石垣でぐるっと包囲し、簡単に出入りが出来ないようにしたのだ。 目的は、御所にいる天皇。秀吉が権力を掌握しているためには、天皇を手の内に抱え込んで置く必要がある。 御土居を作る事で、天皇を他の実力者から隔離したのである。御土居は、いびつな楕円形で、京の中(洛中)と外(洛外)を分ける境となる。 これでは「陸の孤島」状態。そこで、洛中と洛外との連絡口として、各街道につながる「京の七口」と呼ばれる出入口を設営し、わずかな風穴をあけたのだ。 「露と落ち、露と消えゆくわが身かな。 浪速のことは夢のまた夢」。 秀吉の命は、その寿命とともに確かに露と消えた。 御土居もまた徐々に取り払われて、今は数か所が残るのみ。 しかし。 秀吉がいなければ、今も京は平安京の真四角な碁盤の目のままだったし、洛北・洛南という言葉もなかった。 秀吉が京で見た夢のカケラの数片が、今に残る。 後日譚 新聞を広げると、「寺田屋騒動の舞台・寺田屋が鳥羽・伏見の戦いの戦火で焼失していたことを、 京都市歴史資料館が調査の結果、結論づけた」という記事が踊っていた。 あの時、1階展示室で開催されていた「テーマ展・京の火災図」が、それを決定づける資料。 私も、鳥羽・伏見の戦い直後のかわら板の中で、寺田屋が真っ赤に塗られているのを、確かにこの目で見た。 寺田屋の経営者は「当時の船宿そのまま。建物は一部が被災しただけ。 全焼してなくなった訳ではない」と主張しているが、 もしも全焼ならば「寺田屋に残る柱の刀傷は本物?それとも偽物?」。 |
08/09/05 | フェリー「はまなす」復路 |
洋室(1等ツイン) |
往路は和室、復路は洋室を予約していた。 しかし、和室はデッキに面していて窓から海が見える部屋が多いが、部屋数が少ない。 一方、洋室は通路側に位置している部屋が多いので、窓から海が見えない部屋が多い。帰りは、どうしようか? いざ、乗船してみれば、ちゃんと海が見える洋室だった。 しかも、往路の和室のようにデッキに大きな装置が鎮座しているでもなく、丸ごと海が見渡せて爽快。 どうやら、今日は乗客が極端に少ないせいで、幸運にありついたようだ。 洋室はベッドが2つ入っている分、部屋が狭くて窮屈なのでは?という心配は全くの杞憂に終わった。 リピートするなら、断然洋室がいい♪ この「はまなす」の大穴スペースが、前方展望室「ミルキーウェイ」。 カウンター席に座れば、窓から海が見えてのんびり読書も楽しめる。 なのに、何故かいつもガラガラに空いている。 乗客の多くには、屋外の後方展望室の方が人気なのだ。 もし、2等船室に乗船した場合には、貴重な寛ぎスペースとして一押し。 |
08/09/05 | まとめ |
東山地区の家々の前には 並々と水を満たした防火用のバケツが! 火事が多かった京の歴史のせい? |
10泊11日の旅が終わった。 交通手段が違う、宿が違うで、昨年の旅行とは全く違う京都を見てきた様な気がする。 (フェリー):事前に想像していた以上に快適。 以前、苫小牧⇔大洗間を2等と2等寝台で何度か往復したことがあるが、 快適さにおいて1等個室が全く別モノの船旅であることを、痛感。 時間と財布が許すなら、1等個室だな。 (宿):自分の部屋に帰るような京都暮らしがしたかったので、最初からウィークリーマンション狙い。 探索線上に浮上してきたのが、今回お世話になった東山IVY。 建物は古いが、室内は広くて綺麗だ。しかも他の物件に比べると格段に安い。 周囲に建仁寺や豊国神社や方広寺や高台寺、もうちょっと足を伸ばせば祇園、八坂さん、三十三間堂などが徒歩圏内にあるので、 家人は朝の散歩を楽しんだ。 MNの近場には、まだまだ見ていない魅力スポットが沢山残っている。 また、行かなくちゃ。 |
完 |
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