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2007年 関西旅行記 Vol.1

「スルッとkansai 3dayチケット」で神戸のルミナリエへ

日程   12/06・12/07・12/08大阪泊   12/09・12/10・12/11京都泊
経費   大人2名
交通費 飛行機チケット @13,800 ×2=27600(片道)×2=55,200円
スルッとkansai 3dayチケット
(3日間・電車とバス乗り放題)
(2人6日間相当)@2,500 ×4=20,000円
スルッとkansaiチケットの ない日&新千歳⇔家のバス代  5,180円
宿泊費 スーパーホテル梅田・肥後橋(大阪)  @7,980(2名×1泊)23,940円
スーパーホテル京都・烏丸五条(京都) @6,980(2名×1泊)×3=20,940円
拝観料&入場料 12,800円
食費 24,029円
雑費 16,800円
総計 〆て  178,889円


旅程
1日目 司馬遼太郎記念館
2日目 薬師寺
唐招提寺
興福寺
3日目 法善寺横丁・水掛け不動尊
黒門市場
南京町
神戸港&神戸ベイクルーズ
ルミナリエ
4日目 壬生寺 
二条城 
御池中学校の不断桜
本能寺
先斗町
祇園


食べたところ ミルキーウェイ(大阪・難波) お好み焼き
いしかわ(薬師寺門前) 山菜蕎麦・柿の葉ずし・西の京だんご
高橋食品支店 立ち飲 み豆乳
自由軒(大阪・千日前) 織田作之助の名物カレー
龍鳳(神戸・南 京町) 豚角煮ハ ンバーグ・ ジャンボ 餃子
にしんそば松葉(京都・南座そば) にしんそば・鮭ごはん
閑話 ●「Close?」

1日目

朝8時45分 札幌千歳空港発、11時 関西空港着。
本日の予定は、司馬遼太郎記念館を観てホテルへイン。
07/12/06 司馬遼太郎記念館

大書架

東大阪市下小阪3丁目11番18号

旅の初めは、家人の希望で司馬遼太郎記念館。
司馬遼太郎氏が生前生活していた家に隣接して、安藤忠雄氏設計の記念館が建てられていた。 建築的にも評価の高い建物である記念館は、庭の花々が一瞬時に目に飛び込んでくるガラス張りの回廊が圧巻。

地下一階に足を踏み入れると、壁という壁を覆い隠すかの如く、書架が広がっていた。 まさに本の壁。司馬遼太郎氏が手にとってページを繰る姿が、脳裏をよぎる。

本で埋め尽くされた壁に、氏が小学校6年生の国語教科書に載せるために書いた 「21世紀に生きる君たちへ」という文章のパネルが掛けられていた。 「自分に厳しく、相手に優しく、それらを訓練することで自己が確立されていく」
07/12/06 ミルキーウェイ(大阪・難波)

お好み焼き(いか&ミックス)

大阪・難波に無事到着。ナンバ・ウォークと洒落込むか。 女の子に声をかける“なんぱ”にあらず。難波です。あしからず。 

荷物をコインロッカーに入れて、ゆうゆうのウィンドー・ショッピング。 記念すべき大阪の初グルメは、やはり「お好み焼き」でしょう!という次第で地下街の「ミル キーウェイ」で大阪の味を堪能。

土地勘が全くないうえに明日からの観光も控えているので、てっとり早く近間の店に入る事にした。 そう広くもない店内だが、客の出入りで賑やかだ。 仕事帰りのサラリーマンから女同志買物帰りのグループまで、客層の守備範囲はすこぶる広い。

ほどなく、店員さんが具材を全部入れかき混ぜたものを、目の前のプレートの上に平にのばした。 何とダイナミック!そうそう、ここは関西やったわ。 店員さんのちょうど良い焼き加減が食材の適度な歯触りを残し、食欲をそそる。 いか@600円、ミックス(いか、海老、豚)@850円。本場のお好み焼き初体験。

さて、そろそろホテルへ向かおうと思ったら・・・ない。 私の荷物を預けたコイン・ロッカーが、ない。 正確には、コイン・ロッカーの場所がわからない。 あの荷物がないと、今夜はどういう事になるのか? 頭の中を最悪の状況が駆け回る。 家人と地下街をぐるぐる歩き回ること1時間。 はたと気づいた。 ここは地階、入れたロッカーはもしかすると1階だったかも。 札幌の地下鉄に慣れている私たちは、この階層感覚を持ち合わせていない。

文字通りの「野次喜多珍道中」のはじまり・・・
2日目

せっかく3dayカードを購入したのだし、ちょっと足を伸ばして本日は奈良方面。
07/12/07 薬師寺

東塔(国宝)



東寺・古代釘

宗派・法相宗。本尊・薬師三尊(国宝)。 聖観音菩薩像(国宝)は、ほっそりとした端麗な姿が美しい。南都六宗の一つ。

薬師寺は、680年に天武天皇が後の持統天皇の病気平癒を祈願して、飛鳥の地に創建。 710年に平城京へ遷都。度々の火災により、現在も残る奈良時代の建物は東塔のみとなった。
東塔は裳階(もこし)をつけているために六重に見えるが、実際は三重の塔である。 金堂をはさんで両脇に東塔と西塔が配されているが、西塔は元禄時代に焼失し昭和56年に再興されたもの。 新しく派手やかな西塔との対比で、東塔の稟とした美しさが一層際立つ。

僧侶の話を聞いてきた。薬師寺は僧侶を教育するための学問の寺で、この寺の僧侶には、大変優秀でなければなれない。 つまり、この世界の東大みたいなもの。 又、薬師寺は檀家がいないので、自分たちが一般の家の葬儀でお経をあげる事はなく、 薬師寺の僧侶である自分が死んだ時も同僚に葬儀を努めてもらう事は出来ない。 依って実家の宗派から僧侶に来てもらうコトになる。概ねこういう話だった。一口にお寺といっても色々あるのだな。

失われた堂塔の復興は高田好胤管主の尽力による処が大きいが、 これほど格の高い寺でも檀家を持たないため経済的には大変苦しいようで、 一口2000円の写経を僧侶自らが観光客にさかんに勧めていた。 私は宗教には疎い。 が、念仏を唱えるとか禅を組むなどの個々人の修行により、来世は救われるという教えではなかったか? ならば、それを人々に教え導く仏徒が、現世では最も生臭い「金」で四苦八苦しているのは、何とも気の毒な気がする。

その努力によって、貴重な日本の文化遺産が残されている現実をも忘れてはいけないだろう。
07/12/07 いしかわ(奈良・薬師寺門前)

山菜そば



柿の葉ずし 西の京だんご

薬師寺を出た所に、昔懐かしい風情の茶店があった。
甘党の家人は、ショーケースの中の団子に、いたく心魅かれた様子。 昼時でもあり、昼食はここに決定。 店先の印象と違って、中は「落ち着いた茶店」といった雰囲気だ。椅子席と座敷あり。

注文したのは、山菜そば(@600円)柿の葉ずし(@360円)西の京だんご(@380円)。
日頃慣れ親しんでいる濃口しょうゆ仕立てのそば汁とは違い、薄口しょうゆに昆布の味が効いて円やか。 そばの上にとろろ昆布がのっているのも初めての体験! 汁を吸い取られそうで、少々あせる。 が、この組み合わせの相性は良いようだ。 柿の葉ずしは、この店で作ったものではなさそうだが、期待通りの味。 そして団子。中でも抹茶味は、抹茶の深い味わいが絶品。

有名な寺の門前の店という事で、味に関しては左程期待していなかったのだが、どの品も家庭的な味で美味しかった。 店の裏に庭と居宅がある。のどかな奈良の風景を目に、心なごむ。
07/12/07 唐招提寺(世界遺産)

戒壇

宗派・律宗総本山。本尊・慮舎那仏(国宝)。 創建年・天平宝字3年。開基・鑑真。国宝・重要文化財多数。南都六宗の一つ。

井上靖の「天平の甍」で有名な中国(唐)の僧・鑑真が晩年をおくった寺である。 金堂は2009年まで解体修理中との事で、門から見える金堂はシートに覆われ、工事現場の様相を呈していた。

鑑真は、仏教者に戒律を授ける導師「伝戒の師」として日本に招請された。 出家者が正式の僧となるための受戒の儀式を行う場所が、左の写真・戒壇である。 戒壇院の建物は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)に焼失してから再建されず、今も残っているのは3段の石壇のみ。

大修理中で金堂が見られない。 「鑑真大和上御影堂」も春の数日のみ公開で、今回は見られない。ないない尽くしで、しょんぼりの私。 1970年に完成した鉄筋コンクリートの収蔵庫・新宝殿へと向かった。 ここでの見ものは金堂の鴟尾(しび)と木心乾漆千手観音立像(国宝)。 鴟尾とは瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種の事である。 西方につけられていたものが奈良時代、東方のものが鎌倉時代のもの。 すでに西方のものの傷みが酷いため、平成の鴟尾が作られ、すげ替えられた。

さて、千手観音立像。 これも金堂修理に伴って只今パーツ毎に解体中で、大脇手1本と小脇手1本の展示。 この千手観音像はちゃんと千本の手があったらしい。 数本は長い年月の間に紛失したようだが・・・。 普通、千手と呼ばれているものでも、生真面目に千本の手をもつ観音像はほとんどないだろう。 受付にいた女性に鴟尾について聞いたら、返事の後でそっと耳打ちしてくれた。 「千手千眼といって、観音像の掌には一本につき必ず一つの目があるんですよ。よく見ると目が見つけられます。」 慌てて観音像の手に駆け寄り、目をこらした。 「あった~♪うっすらと見えた」。 修理が終われば普通の展示に戻るので、観音像も組み立てられて一体となる。 当然、拝観は遥か彼方から。パーツとは言え、今だからこそこんな数十センチの真近で見られるのだとか。

今日ここへ来た事は、とっても運が良かったらしい。
07/12/07 興福寺(世界遺産)

宗派・法相宗大本山。本尊・釈迦如来。創建年・天智天皇8年。開祖・藤原不比等。
国宝・五重塔、木造弥勒仏坐像ほか。文化財多数。南都六宗の一つ。

藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。 平家の南都焼討ちで大半の堂塔を焼失したが、鎌倉時代に復興。 現在は東金堂(とうこんどう)(国宝)、五重塔(国宝)、北円堂(国宝)、三重塔(国宝)、南円堂(重要文化財)が残っている。

近鉄・奈良駅2番出口→徒歩5分。 この都会のど真ん中で、国宝・重要文化財級のお宝をザクザク所蔵しているのには驚かされる。 隣の奈良公園とは仕切りのない地続きで、鹿が境内をうらうらと散歩していた。これぞ、奈良!

国宝・重文がひしめき合う国宝館。 その数ある中で一際目をひくのが、八部衆立像中の阿修羅像。 インドでは大地を干上がらせる太陽神となり、常にインドラ(帝釈天)と戦う戦闘神である。 顔を三つ持ち、天に差しのべた細く長い六本の手は優雅ですらある。 ほっそりとした体つきと切れ長な目が清楚で美しい。 眉を寄せた表情が、帝釈天との激しい闘いをわずかに連想させる。 気がつくと、男前?の阿修羅像の前で、しばし佇んでいた。

時間は刻々と過ぎ、結局観られたのは国宝館と東金堂のみ。 次回はたっぷりと時間をとってこなければ、とても観切れるものではない。 この後の奈良公園散策の予定は、文字通り予定で終わってしまった。
3日目   本日の予定は、午前・大阪。午後・神戸。

~大阪編~
07/12/08 法善寺横町・水掛け不動尊

本尊の不動明王


法善寺・横の店「夫婦善哉」

地下鉄難波駅から道頓堀通りを歩いて、法善寺に辿り着いた。 この寺は千日回向(えこう)を行う寺で,そのため門前が千日前と呼ばれるようになったそうだ。 法善寺は、1637年開山の浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来、山号は天龍山。 本堂は第二次大戦で焼失。金毘羅堂と水掛け不動が現存する。

商売の人々が多く訪れるお不動さんは、参詣者がかける柄杓の水で全身が苔に覆われ、独特の迫力がある。 法善寺の北には、法善寺横丁が石畳の路地沿いに続いていた。

法善寺界隈は、織田作之助の小説「夫婦善哉」で一躍有名になった所である。 写真の店「夫婦善哉」も作中に登場するお店で、ぜんざい一人前を二つの椀で出すことから夫婦善哉というのだとか。 甘党の家人なら「足りない!」と騒ぎそうだ。

今日の昼食は、織田作之助が足しげく通った事で有名な、千日前「自由軒」の名物カレーと決めた。
07/12/08 自由軒(大阪・千日前)


名物カレー

11時20分開店。 11時に店の前に着いたが、開店前で閑散としていた。 時間潰しにその辺の店をぶらぶらと見て歩く。 再び戻ってきた時には、何と長蛇の列が。 「人気のカレーを一度は食べてみたい」との思いは、誰しも同じ。

それでも、ぎりぎり一回目で店に入った。 席は中央の長いテーブルから順に埋めていったので、私はしっぽの余禄で壁際の四人掛けテーブルに案内され、落ち着いた席を確保出来た。 今日はついているのか、いないのか?

織田作之助が昭和15年に発表した小説「夫婦善哉」 に登場するのがここの “名物インデアン・カレー”。 お店の人は“名物カレー”と呼んでいたが。卵のところにソースを少し落とし、全体をかき混ぜて食べる。 ルーがライスにしっかりと絡み、美味しい。@650円。 ハヤシライスの真ん中に生卵を乗せた“名物ハイシライス”(ハヤシではなくハイシ)も、次回はチェックしよう。
07/12/08 黒門市場

黒門市場

大阪ミナミに位置する商店街。 名前の由来は、円明寺というお寺の門前にあり、その門が黒かったからと言われている。朝からこの賑わい。午前は調理人、午後からは一般客が多いと聞いていたこの市場。 どっこい、大阪の主婦は午前も元気だ。

ちょうど、黒門会年末大売り出し「がんばりまっせ!黒門会」に遭遇した。 抽選会場の貼紙によると、黒門会協賛店の領収書2枚で1回の抽選が出来るという太っ腹な企画だ。 1等は勿論「ふぐ」。旅先で「ふぐ」を当てたらどうしよう?と、取らぬ狸の皮算用。 ホテル暮らしで魚や野菜の調理は無理なので、買ったのはミカンのみ。領収書1枚で抽選権なし。

どの魚屋さんにも、主役として並んでいる「ふぐ」。 北海道産の私は、魚屋さんの店先に「ふぐ」が並んでいるのを初めて見た。 「一般家庭でも主婦が調理して食卓にのせるの?毒ぬきは素人でも大丈夫?」 次から次へと疑問がわき出てくる。 黒門市場の近くでウィークリーマンションを借りて、1か月位自炊がしてみたい! そうこうしている間に、私の隣で「3等・車えび」を引き当てた方が2人。 当たりくじが沢山入っているらしい。野次馬の私にまで、幸せ気分が伝染する。

市場のはずれに「コインランドリー」を発見。 市場で働く人たちは仕事着を即洗濯できて、これは便利だろうな。
07/12/08 高橋食品支店(大阪・黒門市場)

豆腐屋さんの店先の豆乳
これが美味い!

「食い道楽大阪」の台所といわれる大阪中心部の商店街が、黒門市場。 約 580m続く通りには鮮魚店などを中心に170以上の店舗が連なり、創業170年以上の歴史を誇る。 食材の買い出しにやって来たミナミの料理人や一般の買い物客で賑わう。

ふと、豆腐屋さんの前で足が止まった。 立ち飲みの豆乳が一杯60円。 しかも、こぼれそうな程なみなみ注いでくれるのも嬉しい。 豆腐をそのまま飲んでいるような濃厚な味は、スーパーなどで売っている豆乳とはまるで別モノ。美味しい♪

買い物途中のチャリに跨ったまま、一気に飲みほして行った主婦の方は、きっと常連さんだろう。 思う間にも観光客やら土地の人やらが、入れ替わり立ち替わり、飲んでは去って行った。なかなかの人気だ。
~神戸編~
07/12/08 南京町

あずまや

横浜中華街・長崎新地中華街とともに日本三大中華街の一つに数えられ、東西約200m、南北110mの範囲に100余の店舗が軒を連ねる。 店頭の路上で点心やスイーツ・土産物などを売る店も多い。

南京町の中央通りは中央の広場に「あずまや」があり、そこを中心に十字路が広がり、 東には「長安門」、西は「西安門」、南は「南楼門」という名前の門がある。 この日は、土曜日でもあり、若いカップルであふれていた。

中心部「あずまや」では、周辺の中華店の 店頭から買い求めた軽食を頬張る人々が多くみられる。 しかも「ジャンボギョウザ」にかぶりつく人が、とても多い。 人混みをかき分けて入手し、早速 私もかぶりつく。名前の通りデカくて、しかも滴る肉汁が堪らなく旨い。

ここは若いカップルのデートスポットだが、この店頭軽食販売は、阪神淡路大震災の罹災直後から始まったというから、 まだ歴史が浅い。食べながら歩くのも、楽しい。
07/12/08 龍鳳(神戸・南京町)

南京町を歩くと、右に左に展開する美味いモノたちに目を奪われる。 かくして、店頭販売の豚の角煮ハンバーグ他などを、並んだ末やっと GET。

行列から外れてひょいと目を転じたら、こんな店舗を発見。 私の目を釘づけにしたのが、左のお方。 このお顔(写真)が店舗の入り口のガラスに貼られていたのだ。その横にはその同じお顔が・・・ こちらは、せっせと調理中。当たり前ながら動いていた。 私は、写真と本物とを思わず見比べていた。凄いインパクト。

私は肉が苦手。家人の感想によれば、豚の角煮ハンバーグは、とても美味しかった。 このお店、粽の専門店とは後で知った。機会があれば粽を是非食べてみたい。
07/12/08 神戸港&神戸ベイクルーズ

神戸ハーバーランド

南京町からてくてくと歩いて神戸港にたどり着くと、紅い鼓のようなポートタワーが視界 に飛び込んできた。 その足元の中突堤は、四国への高速船が発着していた所だが、 今はフェリーターミナルが他へ移転され、この航路の運行はない。 東にはメリケンパーク、西には神戸ハーバーランドが見られる。

メリケン波止場と中突堤の間を埋め立て、作られたのがメリケンパーク。 15.6haとの事で、とにかく広い。 そのせいか、ここもカップルが多い割には、落ち着いた雰囲気が漂っていた。

神戸ベイクルーズは神戸港を遊覧する観光船である。 湾内一周45分@1000円。私は舳先のデッキに陣取った。 ハーバーランドを過ぎた辺りから景色が変わり、見渡せど視界は海。 船はさらに海原へとこぎ出してゆく。 中突堤を出て川崎重工(浮きドック)→海上自衛隊の潜水艦→明石海峡大橋→三菱重工近くを過ぎた所で中突堤へと進路を戻す。 湾内という事で船の揺れもほとんどなく、快適なプチ船旅である。 風に吹かれ、体が芯から冷えてきた。船室は満員で、一階の喫茶コーナーへ緊急避難。 ここでは軽食を提供し軽く食事をしている方もいた。 勿論、私のように寒くて逃げ込んできた客も。 乗船した時はまだ明るかったので、下船してぱっと眼の前に開けたポートタワー周辺の夜景に 「うわ、奇麗になってる」との歓声が、あちこちからあがった。

写真は、神戸ハーバーランド。観覧車の右、白い「MO」の文字が「MOSAIC」というファッション・雑貨などのショッピングモール。 この日は、その手前の広場でハーレーダビッドソン関係の催しがあり、人でごった返していた。 港のホテル前あたりには、釣り糸を垂れている人が数人。 家人が駆け寄り聞いた処によると、釣果は「いわし」。 ひっきりなしに船が往来するこの騒々しい港で、泳ぐ魚・それを釣る人・ハーレーに吸い寄せら れてやってきた人・「MOSAIC」で買い物をする人、クルーズを楽しむ人。 大勢の人がそれぞれの目的で、ここに集う。 この風景は、そんな人々を迎えて、悠然と抱き込んでいるように見える。 やっぱり、神戸はお洒落な街だ。
ルミナリエ

光の誕生

光のカッサ・アルモニカ

虹の空間


光の河

偶然にも、神戸のルミナリエに遭遇した。 「ちょっと見て、早めにホテルへ帰ろうか」と算段していた私たちは、この時その後の成り行きを全く読めていなかった。

神戸港から人波の流れのままに歩いたら、途中で迷ってしまった。 アーケード街のお店で尋ねると「次の小路で、三宮駅からのルミナリエ観光客と合流するので、 後は人の流れに従っていけば大丈夫ですよ」。

「ルミナリエ」の語源はイタリア語のIlluminazione PerFeste(祝祭のためのイルミネーション)。 ルミナリエ作品はヨーロッパバロック時代(16世紀後半、ルネッサンス末期)に盛んに創られた祭礼、装飾芸 術のひとつとして誕生した「光の魅力を駆使した建築物」を起源とする。

「神戸ルミナリエ」はイタリアのアートディレクター、ヴァレリオ・フェスティ氏と 神戸市在住の作品プロデューサー・今岡寛和氏による“光の彫刻作品”で、 阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込め、都市の復興・再生への夢と希望を託して大震災の起こった1995年12月に初めて開催され、 今では市民は勿論、全国的にも「神戸の冬の風物詩」として知られる処となった。 反面、来年の開催が危ぶまれる程の財政難で、会場では広く募金を呼び掛けていた。

市の中心部、車両通行止めの広い通りを、我々観光客は隙間がない程密着した状態で少しづつ進んでいく。 いつの間にか夜になり気温も下がってきたせいか、家人が尿意を催した。 しかし、通りにはシャッターを下ろした銀行ばかりでコンビニの一つも見当たらない。 さらに数十分後、家人の口数が少なくなり、心なしか顔色も蒼くなってきた。 事は急を要せり!目についたのが、沿道のケーキ屋さん。 「何かケーキを買って、トイレをお借りしたら?」と私が言い終わらぬうちに、家人は脱兎のごとく走り去った。 こんな時、列の進みがやけに早い気がして、気をもむ私。 ほっと穏やかな表情で店から出てきた家人は、遥か先へ進んでしまった私をキョロキョロと探している様子。 遠くから歯がゆく身振りで手まねきし、あきらめて携帯に手をかけたその時、脇にいた警備の女性が気付いて私に囁いた。 「呼んできましょうか?あの方ですよね?」 。私は、大きく頷いた。 かくして一大事は、無事完結。

行列する事2時間半。 ルミナリエが見え出すと、煌きの競演に思わず息をのむ。 周囲の人々は、悲鳴にも似た感動の声をあげ、申し合わせたように寡黙になった。 限りなく続く光のアーチを粛々とくぐり続ける。 光の世界に抱きすくめられていると、人ごみの中で展開する荘厳な静寂が、一層身に沁み入るようだ。 今年のテーマは「光の紀元」。光は希望につながる。 そして、希望は人を勇気づける。 バロック時代も今も、人は変わることなく、光を求めているのかもしれない。


犬も歩けば棒にあたる。私も歩けばルミナリエに当たる。 こんな幸運に遭遇できたなんて。この旅の収穫の一つ。 しかし、又行く機会があったら、土曜日は避けたい。
4日目   本日の予定→壬生寺→二条城→後は足の向くまま。
07/12/09 壬生寺

宗派・律宗大本山。本尊・地蔵菩薩。開基・園城寺の僧快賢。 壬生寺といえば、やっぱり新撰組。

境内には老人ホームと保育園があり、歴史と現在が同居していて、ちょっとびっくり。拝観料@100円。

屯所はここではなく近くにあり、境内は隊士の兵法調練や武芸・大砲の訓練に使われていたそうな。 土方や近藤が鎌倉時代以来伝わる無言劇「壬生狂言」を鑑賞したり、 一番隊組長・沖田総司が境内で子供達を集めて遊んだり、新撰組が相撲興行を壬生寺で企画し、 寺の放生池の魚やすっぽんを採って料理し、力士に振舞ったという。 目を閉じると、当時にタイムスリップしそうだ。

境内の壬生塚には隊士の墓があり、花が手向けられていた。 新撰組局長・近藤勇の墓所は全国数か所にあり、その一つ福島の会津若松の墓を以前訪れた事がある。 うっそうとした山の上、会津若松市天寧寺裏山にひっそりと眠っていた。 近年建てられた土方歳三の慰霊碑が、そっと寄り添っているのが印象的。

土方歳三・芹沢鴨ら10人の最初の宿となった八木邸。 古高俊太郎を拷問した場所である前川邸。 時間がなく、両屯所跡を見られなかったのが、心残り。
07/12/09 二条城

城郭

蘇鉄のコモ巻き

「徳川幕府の京都の拠点」となった二条城は、徳川家康が慶長8(1603)年に京の宿として建設した城。

家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、 慶応3(1867)年には15代将軍慶喜が大政奉還を行った豪華絢爛な歴史的建造物。 旧桂宮御殿を移した本丸(重要文化財)と豪壮な二之丸御殿(国宝)からなる。 桃山美術の粋を集めたと言われる二の丸御殿(国宝)の33ある御殿はすべて狩野探幽一門の豪華な壁画で飾られていた。徳川慶喜により大政奉還が行われた大広間・一の間に足を踏み入れると、日本の歴史の舞台に立ち入ったような厳粛な気持ちになった。

城内は約27万5000㎡と言われるが、とにかく広く、庭園は世界遺産に登録されるだけあってゆったりと美しい。 ちょうど、蘇鉄のコモ巻きの最中。職人さんの丁寧な作業は、見事。芸術だ。
閑話
「Close?」

出口付近で案内板の音声説明を聞いていたら、後で声が聞こえた。 「Go back」「Close」。 見れば、私らと同じ東洋人。 してみると、彼にとっても英語は母国語ではなさそうな。当方とて、Made in Japan。私は思わず 「Close?」と問い返し、反射的に出口を見た。 それを目で追った彼は、ほっとした表情で「Thank you」と足早に二条城を後にした。 どうやら出口を探していたらしい。

「英語は身振り手振りで大丈夫」とは、とても言えない。私は、ただ「Close?」って「閉まる」と言ってるのか?それで、私はオウム返しで呟き出口を見たら、運よく解決。ボディランゲージに助けられただけで、我ながら情けない。とほほ
07/12/09 御池中学校の不断桜

御池中学校の不断桜



今日は、今回の旅程中で唯一「スルッと関西」チケットの切れた一日なので、京都の街を足で堪能。

地図を見ながら本能寺を目指していたら、珍しいもの発見。 御池中学校という所で、12月だというのに桜が咲いていた。 今どきに咲くなんて、地球の温暖化もここまで来たか。 と、思った私はおめでたい。 不断桜というのは、年中咲く品種のようだ。 この桜は、大原の三千院の前にある実光院が有名らしい。


北海道を発つ朝は雪だった。 白一色の世界から来ると、この時期の桜は信じられない奇跡だ。 「生徒たちの人生が、いつも花咲き続けているように」という願いが、伝わってくるようだ。

この学校のHPを探してみた。 三つの中学を統合して平成15年に出来た公立の小中一貫校で、正式名が京都市立京都御池中学校という。 校歌は「風上に立つ日のために」。「シクラメンのかほり」の小椋佳の作詞・作曲というから、何ともゴージャスだ。 HP上で開校式の時の歌声を25秒ほど聞く事ができ、生徒による校歌斉唱を只今準備中。

御池中学校の生徒たちにとって、この歌はこれ以上ない「心に咲く不断桜」だろう。
07/12/09 本能寺

信長の墓

法華宗本門流。本尊・久遠常住具足の「何妙法蓮華経」の曼荼羅。

「敵は本能寺にあり」
本能寺は、明智光秀の謀反により織田信長が自刃した「本能寺の変」であまりにも有名である。 しかし、信長終焉の地はここではなく、中京区元本能寺南町との事。

驚いたのは、「本能寺」の「能」の字が右側の2つの「ヒ」が「去」と刻まれていた事だ。 これは本能寺が度重なる焼き討ちに遭い、「ヒ(火)が去る」という意味で変えたと言われている。

信長公廟の横には「本能寺の変」で亡くなった人たちを合祀する墓石が有り、 そこに森蘭丸など多くの名前を見出す事ができる。 遠い歴史の中の人たちの息遣いが感じられ、身が震えた。

余談ながら、東京ガスのCM・ガスパッチョ の ピエール瀧が 「本能寺、帰るぎゃあ。」と一声叫んで、本能寺へ駆け戻っていったシーンが頭に浮かぶ。 やっぱり、歴史は曲げられない。
07/12/09 先斗町

夕食をリサーチがてら先斗町をそぞろ歩き。

鴨川の橋のちょい手前でひょいと首を回したら、何とここがかの有名な「先斗町」。 道幅2mにも満たない石畳の小さな道だ。 寛文8年(1668)の大規模な鴨川改修後にできた道で、名はポルトガル語のポント(先の意) に起因すると言われる。 1700年代には料理茶屋、旅籠などが軒を連ね、文化10年(1813)には芸者も誕生し、花街となった。

とある店の入り口。 葉をすべてそぎ落とした二色の菊の花が5つ、縁台に置かれた盆の水面に凛と浮かんでいる。 これは千利休のわびの世界か?花街らしい粋が心憎い。

食事の店を探しながら、裏側の鴨川沿いに出た。 菊の店の裏側にあたる。 客が鴨川を眺めつつ食事を楽しむ店が連なり、昔の花街を偲ばせる。壮観。

鴨川沿いには、先斗町歌舞練場がある。明治28年、平安遷都1100年を記念して、祇園に対抗して建てられたとのこと。 名前から類推して踊りの練習をする所かと思ったら、舞妓さんや芸妓さんが出演する舞台だそうだ。

夕食の店も決まらないうちに鴨川の裏側まで来てしまった。 見上げると、橋の向こう側に歌舞伎座・南座が目に入った。 蛾のごとく灯りに吸い寄せられ、 南座の隣・「にしんそばの松葉」に胃袋が反応。今夜はこれだ。
07/12/09 にしんそば松葉(京都・南座そば)

「ニシンそば」と言えば、松葉、と言われる老舗。 創業は江戸末期。南座の客相手の芝居茶屋が始まりで、1882年(明治15)現在地に移り、 その時に考案した「にしんそば」が店の名となった。松葉は京都「ニシンそば」の発祥のお店。

北海道産の身欠ニシンを醤油、酒、味醂、砂糖で2日間かけて甘辛く煮上げたものだが、 身欠ニシンの産地・北海道出身の私は、今まで一度もニシンそばを食べた事がない。 「新鮮な食材に恵まれない所ほど料理に手をかける」と、どこかで聞いた気がする。 京料理しかり。 環境のハンディを、創意工夫で克服してきた人々の逞しさを思う。

身欠きニシンとは ニシンの頭・尾を取り除いて、二つに裂き寒干しした保存食の一つ。 江戸中期頃、身欠ニシンや昆布・棒鱈(鱈を干して棒状にしたもの)を北前船で京都など内陸地へ運び、 魚の獲れない京の人々の貴重なタンパク源となっていた。 米のとぎ汁にうるかして戻してから調理する。 私は、これを焼いて大根おろしとともに食べるのが好きだ。 蛇足ながら、身欠ニシンを入れた漬物、鰊漬けも大好物♪

メニューは、にしんそば1100円、にしんそば(鮭ごはん付)1300円。にしん丼1350円。他。

鮭ごはん付きを注文した。鮭とニシンの組み合わせは北海道を意識したメニューなのだろうか。 身欠ニシンは、身が厚く脂がのっていてウマイ。が、 ニシン自体がかなり甘辛濃い目なので、その分、そばつゆが薄めの味付けになっているような気がする。 美味しいのだ。だが、ニシンの一人勝ちのようで蕎麦は限りなく陰が薄い。 そばとニシンの味が共存して欲しいと思うのは私だけ?
07/12/09 祇園

腹ごしらえも終えて、ホテルへ向かう途上、広い横道の前にさしかかった。 ゆったりとした道幅に、どこかほっとする。

ここが、かの有名な京都の代表的な歓楽街・祇園である。 八坂神社の門前町として栄えた花街は、格子戸の続く家並みが祇園の格式の高さを思わせる。

祇園といえば舞妓さん。が、現在の祇園に舞妓さんは15人位しかいないそうだ。 なのに、何と言う幸運!舞妓さんにばったり出会うなんて。 家人は、俄かオッカケに変身。周囲に居合わせた人々も、かなり興奮気味にシャッターを切っていた。

祇園を歩いたら、「都をどり」が開催される祇園甲部歌舞練場があった。 前日は、加藤登紀子コンサートが開催されたとのこと。 付属する様に八坂女紅場学園(やさかにょこうばがくえん)があるらしいと後で知ったが、気付かず通り過ぎてしまった。 通称「にょこば」と呼ばれ、祇園の舞妓や芸妓が皆、ここで舞や三味線・唄・笛・太鼓などを習う舞妓・芸妓の研修施設。 さすがに祇園の舞妓はん、教育体制もしっかりしている。
Vol.2
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