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那須塩原温泉 旅行記

那須塩原温泉→源三窟→大谷→宇都宮

22/06/17~22/06/18 

旅程                                           
1日目 ●東北・北海道新幹線やまびこ207号 上野駅
●新幹線・那須塩原駅・西口 栃木県那須塩原市
●黒磯駅 同上
●黒磯神社 同上
●まちなか交流センターくるる 同上
●源氏の隠れ岩屋・源三窟 同上
●逆杉(さかさすぎ) 同上
2日目 ●ビーナス餃子像 栃木県宇都宮市
●石の里・大谷 同上
●静御前の墓 埼玉県栗橋市


泊まったところ ●ゆとりろ那須塩原
食べたところ ●平成 浸しかき揚げ蕎麦(つけ麺)
●宇都宮みんみん ステーションバル 焼き餃子+水餃子+ライス
買ったもの ●丸治弁当 宇都宮駅ビル内「とちびより」
閑話 ●牛が店内を覗き見?那須野ヶ原牛
●下膳AIロボット「ららちゃん」
●エレベーターの一コマ
1日目 曇り    
22/06/17 東北・北海道新幹線やまびこ207号

「コロナが一息ついている今なら県民割もあるし」との息子からの誘いに飛び乗って、那須塩原温泉へ。

上野発→那須塩原。所要時間1時間02分。座席指定。新幹線eチケットで代金はほぼ半額程度になったそう。(息子によれば@5,000円/人位)

車両の最前席のため前の空間が広く、ゆったりと脚を伸ばせる。なんて、快適なんだろう。もっと乗っていたい!
22/06/17 新幹線・那須塩原駅・西口

改札を抜けると、そこは那須塩原♪

多くの人が降りたのに、あっという間にパラパラとどこかへ散り去った。何処へ?

駅前は、見渡す限りレンタルカー店と飲食店が2・3店。時間をつぶす場所もなく、旅行客がバス停のあちこちで佇む。いや、しゃがみ込む。
閑話
22/06/17 牛が店内を覗き見?・・・那須野ヶ原牛


駅前で不思議発見!
身を入れ込み、某飲食店を覗き込む牛。こちらから見えるのは、牛の下半身のみ。上半身は何処へ?おっと、無論、牛は宣伝用の造り物。パフォーマンスの主旨は・・・?

たしか、那須塩原は「那須野ヶ原牛」というブランド牛があると聞く。「この店で食べられますよ」と言うメッセージか。
22/06/17 平成

浸しかき揚げ蕎麦(つけ麺)
@750円

この後のスケジュールは、午後2時半に駅西口ロータリーで今夜泊まるホテルからの送迎バスに乗る。今のうちに、昼食を済ませる事にした。

昼食の選択肢は2択。目の前の蕎麦屋か、その二軒先の「昔のデパート屋上食堂みたいな和洋中なんでもあり」の店か。昼でもあり、蕎麦屋に決定。

狭い店内の壁一面に、那須御用邸を訪れた皇室ご一家のスナップ写真が飾られていた。

さて、浸しかき揚げ蕎麦。かき揚げを入れた熱いつけ汁に、冷たい蕎麦を浸けて食べる。那須地方に多い食べ方だとか。つけ汁は濃いめ。麺は手打ち。まさか、ここで手打ち蕎麦が食べられるとは思いもしなかった。セルフのそば茶も有難い。
22/06/17 黒磯駅

空き時間が勿体ないので、一駅先の黒磯散策。

黒磯市は、2005年に那須郡西那須野町・塩原町と新設合併し、那須塩原市となり、黒磯市の名称は廃止となった。

駅を降りて目に入ったのは、何と懐かしい町並み。これは、大正か?昭和か?はたまた、明治か?どこか潜在意識の底にでも眠っていた様な景色。歩を進めれば、昔ながらの石造りの銀行の建物がお隣さん同志で幾つか建ち並ぶ。無論、銀行は今も現役。

現在の人口6万人。近隣都市への通勤者が多く、ベッドタウンの顔を持つ。かつて、人々はこの町でどんな暮らしを営んできたのか。この町並みを前にすると、当時にタイムスリップしそうな・・・。
22/06/17 黒磯神社

駅の近くに神社発見!

明治35年10月、黒磯郷旧家・渋井兼廣氏の寄進により創祀された比較的新しい寺。

今のこの建物は、鉄筋コンクリートで再建されたものだとか・・・かなり残念!
22/06/17 まちなか交流センターくるる

写真参照:那須塩原音楽のまちをつくる会様

黒磯駅から徒歩2~3分程。お洒落な未来空間を彷彿とする建物に、目は釘付け。コンセプトは「人と食を育む交流の場」。

飲食・絵画展示・調理・体操・ミニコンサート等あらゆる面での人々が集えるスペースが設けられ、基本コンセプトの軸芯にブレがない。

オラが街にも、こんな所が欲しい~。
22/06/17 源氏の隠れ岩屋・源三窟


駅西口のロータリーでホテルの迎えバスに乗り、所要時間50分。目的のホテルに到着。ほっと一息したい処だが、近くに歴史の史跡があるとか。夕飯前に、取り急ぎ出掛けてみた。

史跡鍾乳洞・入場料@600円

入場料を払うと、横の部屋で「源三窟」についての詳細なレクチャーがあった。流れるような語り口は、解りやすいが少々くどいかな?

今を去る事 数十万年前、大噴火により川がせき止められ塩原湖が誕生。湖底では石灰岩地層が形成され、以後の地殻変動もあり湖底が隆起。雨水等の浸食により鍾乳洞ができた・・・そうな。

さて、歴史を紐解けば、源平の悲話として語り継がれる壇ノ浦の戦い(1185年)で勝利した源義経は、兄・頼朝から謀反の疑いをかけられ、奥州平泉へ逃げる。

義経腹心の家来にして娘婿・源有綱は、壇ノ浦での活躍ののち義経一族として命を狙われ奈良方面へ逃げ、お家再興を目指しこの鍾乳洞に身を隠す。

洞窟内に流れる滝水で研いだ米のとぎ汁を洞窟外の頼朝軍に発見され、無念の最期を遂げたと言う。米を研ぐ姿のジオラマを見たら、何だか涙が・・・

一説によれば、30代だったとも言われている。
22/06/17 逆杉(さかさすぎ)

源三窟から徒歩数分、塩原八幡宮の敷地にある逆杉は、樹齢1500年。太い枝が垂れた姿により、逆杉と呼ばれている。

平安中期、八幡太郎義家(鎌倉の鶴岡八幡宮を建てた源頼義の子息)が、奥州征伐の途中のこの地に一泊し、戦勝祈願としてしめ竹の代わりに杉苗2本を植えたのが、この逆杉。根はつながっているそうな。

木々が生い茂る境内は、ひっそりと静寂だ。
22/06/17 ゆとりろ那須塩原

渓谷を分け入って辿り着いたここは、別名・滝見の宿。まずは玄関を入ると「滝見ロビーラウンジ」が迎えてくれ「自然の懐に抱かれている」と実感させられる。

昨年、リニューアルしたとかで、建物がとてもお洒落で綺麗。増築を繰り返したホテルによくある本館だの別館だのが迷路の様に繋がった作りではなく、至ってシンプルに本館のみ。なので、さすがに方向音痴の私でも館内で迷う事は無い。

滝と言えば、男性陣の話に依れば、男湯の露店風呂からは目の前の滝に通じる小道があったそうな。そのまま外を歩かれるのか?一糸纏わぬナチュラルな姿なれど・・・。

部屋

二間つづきの和室。十畳+六畳。定員8名。二間の他に、応接スペースと入口スペースが付いている。ここに今夜は3名。息子いわく「入口スペースも布団を敷いたら充分寝られる位広いな」。

まるで、気分はお大尽さま。

夕食
前菜五種盛り

しらすの煮凝り
竹の子松葉の木の芽味噌焼き
炙り湯葉の棒黒酢寿司 有馬山椒
浅利と芹の土佐和え
ヤシオマスの燻製仕立てと味噌漬けチーズのビンチョス


~冷製物~
鮪・勘八・海老の冷製カルパッチョ仕立て
(リーフミックス、白醤油のオリーブオイルソース、ピンクペッパー)
(バイキング)

息子の一皿目

夕食は「前菜五種盛り」+バイキング。豪華!地元の料理なども並び、ドリンクは飲み放題。麦酒、日本酒(地酒)、赤白ワイン、ウィスキー、炭酸等々。まさに、呑み助天国♪

私は午後からお腹の調子が悪く、家人と息子から「あんまり、食べない方がいいんじゃない?」とのアドバイスが。「うん、そうする」と私。畢竟 食べる方を控えた分、飲む方にバランスが傾いて、恐る恐る麦酒を3杯あけた辺りから、すっかり調子づいた。体内からのアルコール消毒が功を奏したか?

にしても、これが居酒屋なら、飲み代だけでも福沢諭吉さんが数枚 手を取り合って出て行っただろう。同罪の息子は、深く頷いた。

ドリンクバー

到着した時、1Fロビー横にウェルカムドリンクコーナー(3時~5時半)があった。部屋に荷物を置くなり観光に飛び出したので、ウェルカムドリンクは飲み損ねたが。

実は、6時から9時半までは、ここがバータイムに変わる。コーヒー、紅茶、ウーロン茶、スパークリングワイン、ウイスキー、リキュール、焼酎、一口アイスなど。終了時間までに、アルコール系はほぼ無くなっていた。これ全て無料とは・・・吃驚。感謝。

閑話
下膳AIロボット「ららちゃん」

食事時のアイドルは、使用済み食器を下げてくれる猫型ロボット。2台が稼働しており、私たちのテーブル周り担当は「ららちゃん」。

くるくると実によく動き回る働きモノだ。食事客が椅子に浅く座って通路を塞いでいれば、立ち止まって「ららちゃん、通して欲しいニャン」と一願。これが、従業員に言われたなら角が立ちもしようが、相手は「ららちゃん」。誰もがニコニコと大急ぎで椅子を引き、止まった「ららちゃん」を再度動かすべく首を傾げながら操作に格闘。「ららちゃん」のお陰で、ほんわかと空気が和む。

考えてみれば、これ、究極のセルフ。バイキングとは言え、テーブルが使った皿でいっぱいになるのは、気分のいい物ではない。しかし、下膳の人手は、そう潤沢にある訳ではない。そこで、「ららちゃん」が通れば、食事客が自ら自分の空いた皿やグラスをそそくさと「ららちゃん」のトレイに乗せて片づけのお手伝い。誰に指示されるでも無く、客自らの意思で手伝う処がミソ。面白く楽しい。

只今、各地の飲食店などで配膳・下膳ロボットが大活躍しているとか。初対面の「ららちゃん」に心鷲づかみ。

天空貸切露天風呂

最上階にあり、空いてさえいれば予約なしで1回45分無料で利用出来ると聞き、3人で行ってみた。

完全個室で全部で5・6室。既に未使用は2室のみ。ならば、私と男性陣が男女それぞれに使って2室を占有すれば、この後に来た人が利用機会を失う事になる。やむを得ず、3人で1個の鍵を手に取った。

中へ入ると、マウンテンビュー。目の前の山がまるで切り取って額縁に入れた様な芸術的な借景。これぞ、まさに、天空の貸切風呂。

息子いわく。「この歳になって、母親と一緒に風呂に入るとは思わなかったな」。まったくだ。いくら実の親子とは言え、大人3人がそれぞれに前を隠し身を縮めながら小さな浴槽におさまるまでは、目のやり場に困るし結構恥ずかしい。

閑話
エレベーターでの一コマ

ドアが開いたエレベーターに、我家の3人は乗り込んだ。先客の若いご夫婦と3~4歳くらいの男の子。ホテルの子供用の浴衣を着た姿も佇まいも、人形の様に愛らしい。一家は、私達をチラ見して目を伏せた。

私は思わず呟いた。「可愛い、可愛いね」と。すると、背中を向けている母親が下を向いたまま言った。「有難いです」。そして、男の子に「こんにちは」は?と促した。男の子は一瞬かたまってから一気に「こんにちは、〇△□・・・」と親の方を向いて早口でまくしたてた。「こんにちは」の後の言葉は、聞き取れなかったが。

母親は、車椅子だった。もしかして、自分のせいで我が子が他人と関わる機会が少ないのを案じているのではなかろうか。母親の白いうなじが痛々しい。

私の思考は、止まった。何か言わなきゃ。・・・「お、ちょっと慣れてきたかな?」と誰へともなく呟き、私は場を濁してしまった。

見ず知らずの大人に声をかけられ、瞬時にかく対応した男の子。この年頃は、本能的に母親の前では別の大人に馴染んだ風を見せない。それを踏まえて、利発な子だと思う。もし、母親が私の推察通りの心配を抱いているのなら、子供はこれから社会に出て沢山の人と出会い、社会性を身に着けて行く。母親が今の時点で心配をする事は何もない。

むしろ、問題は私の方だ。そもそも、幼き子に誰に言っているかはっきりしない言葉をかける。その方が問題。言葉を掛けるなら、特に子供相手の時は、ちゃんとその子に対して言うべきで。それに較べると、戸惑いの中での機転が利いた男の子の態度は立派。長く生きて来たのに、ちっとも成長していない自分が情けない。

あの時のお母さんへ
私の拙い子育てを紐解けば、ただただ「早く、はやく」と子供を急かせるうちに終ってしまった。でも、子育ての悩みや不安は、時が解決してくれる。自らの反省をこめて言えば、今はただ、母親として今しか出来ない事を・・・めいっぱい抱きしめてあげて。そうすれば、いつの日か見事な実りの時がやって来ます。
2日目 曇り
22/06/18 ビーナス餃子像

駅西口と「ビーナス餃子像」

朝風呂を堪能し朝食をすませて、ホテルの送迎バスで塩原温泉駅前へ戻る。そこから一路・宇都宮へ。

ここは、JR宇都宮駅西口。何やら、不思議な像が!と思ったら、これが、グラマラスな「ビーナス餃子像」。なんでも、地元の大谷石で制作されているとのこと。

宇都宮餃子は、戦中、満州に派遣された宇都宮14師団の帰還した兵士が、現地で食べた餃子を持ち帰ったことが、そもそものきっかけ。栃木県は、餃子の具材のニラの生産が全国一位を誇り、栄養のある餃子はスタミナ源として好まれ、いつしか宇都宮市民のソウルフードとなった。

そんな中、山田邦子氏が司会する「おまかせ山田商会」の企画で「餃子像」が設置されることになったそうな。
22/06/18 宇都宮みんみん ステーションバル


焼き餃子+水餃子+ライス=770円( 税別)

腹ごしらえランチは、もちろん餃子。宇都宮駅に立てば、見回すかぎり餃子店。これだけ同業店が並ぶと・・・何処がええねん?しかも、何処も長蛇の列。

良く耳にする「宇都宮みんみん」を話のネタに食べてみたいと、駅ビルの「宇都宮みんみん ステーションパル」へ。少し並んだが、思いのほか早く入店できた。

「美味い」。焼き餃子と水餃子との2バージョンを楽しめるのは、色々食べてみたい観光客には、有難い!ここは、パル。夜なら、アルコールも入って、楽しそう。
22/06/18 石の里・大谷
大谷石

栃木県宇都宮市北西部の大谷町一帯で採掘される大谷石とは、緑色凝灰岩のこと。

柔らかく加工が容易なうえ、火山灰などが堆積して出来たものなので、火に強い優れた建材として昔から外壁などに使われてきた。ちなみに、旧帝国ホテルにも使われていた事は有名。

昨日、訪れた黒磯でも、町のそこここで大谷石の建物が今も健在。

ガスや水を吸着するので、シックハウス症候群の防止や消臭にも利用されている。ただし、柔らかいだけに経年劣化には弱い。
天狗の投げ石

“天狗の投げ石”
天狗が投げて乗せたとの伝説があり、絶妙なバランスで崖の上に乗っている大谷石。とは言え、どっしりと首が据っていて、ちょっとやそっとでは転がり落ちそうもないのだが。
平和観音

第二次世界大戦の戦没者の慰霊ならびに世界平和を祈念して、大谷採石場跡の凝灰岩層壁面に彫られた総手彫りの観音像。

高さ26.93m。ウエスト20m。これが、全て手彫りとは・・・。大谷石は柔らかいと聞く。今日まで、良くぞ風雪に耐えて来たものだ。
大谷資料館

大谷資料館




駐車場の大谷石壁面

大谷石の採掘の歴史を伝える資料館では、手掘りの道具や機械化の様子、輸送方法の歴史など大谷石の資料を展示。入場料@800円。
地下採掘場跡


坑道跡



石舞台

足を踏み入れた途端に、思わず息をのんだ。どこまでも続く幻想的な空間は、まるで巨大な古代の地下神殿。卑弥呼か、はたまた、クレオパトラか楊貴妃が、今にもひらりと現れそうな・・・

70年間、大谷石を掘り出して出来た巨大な地下空間は、2万㎡。野球場がひとつすっぽりと入る広さ。

坑内は涼しく、気温は8℃前後。そのため、第二次世界大戦中は秘密倉庫、戦後は政府米の貯蔵庫として利用されてきたが、今はコンサートや演劇、ドラマや映画のスタジオとしてよく使われている。「跳んで埼玉」「るろうに剣心」など枚挙にいとまがない。

片隅にでも、私の避暑室が欲しい~。
大谷寺

大谷観音堂

千手観音磨崖仏
写真参照・大谷寺

弘法大師の作と伝えられるが、研究によりバーミヤン石仏との共通点が見つかり、アフガニスタンの僧侶が彫刻した「日本のシルクロード」と考えられているとか。国の特別史跡・日本遺産。拝観料@500円。

千手観音はじめ脇堂の10躰は大谷崖窟仏と呼ばれている。撮影禁止なので、この目にしっかりと焼き付けた。
弁天堂と白蛇

木の陰の赤い所が弁天堂
手前に横たわるのが白蛇像

昔 大谷に住む毒蛇が毒水を流し、人々がたいそう困っていた処に、通りかかった弘法大師が見事に毒蛇退治。村人が谷の奥に入ると、光り輝く千手観音が彫ってあったとさ。以来、人々は観音様を信仰したと言い伝えられている。

これが、大谷寺のはじまりだとか。
22/06/18 静御前の墓

帰路は、あえて往路とは別の手段・電車。途中のJR宇都宮線・東武日光線・栗橋駅で乗換えだ。

リュックを背負い如何にも旅行者風の息子が、駅内に「栗橋の略地図」を見つけ走り寄ると、通りかかった地元の男性が「近くに静御前の墓があるよ」と教えてくれた。しかし、乗継電車の発車まで後10分しかない。件の男性は「行くの?2・3分で行けるよ」と息子をチラ見して言い「若いから大丈夫だ」と言葉を継いだ。

時計を見つつ、若い1人とそうでない2人は猛ダッシュ。


源義経の愛妾・静御前は、義経を追って奥州へ向かう途中、義経の死を知り、自身も病を得て当地で命を落としたと言われる。毎年、「静御前まつり」が行われているそうな。

思いがけない巡り合わせで、静御前の墓参をした。これぞ、旅の醍醐味。
22/06/18 丸治弁当

黄ぶな弁当1,500円(税抜)

とちぎ和牛すき煮弁当1,620円(税抜)

宿泊での県民割で1人2,000円がバックになった。結局、息子用に地ビールを数本、あと幾らか足りない金額を足して、夕飯の手当をすることに。

地元小山市の丸治ホテルの弁当2種。「黄ぶな弁当」は、惣菜の種類が多く食べ応えがある。ただ、素朴に思う。「黄ぶな」って、どれ?「ぶな」?鮭が入っていたので鮭の事を「黄ぶな」と土地の人は言うのかな?謎。

「とちぎ和牛すき煮弁当」は、食べる直前に容器についている紐をひっぱると温かくなる。面白い。家人と息子は「美味い!」。思いがけず、地元の物が食べられてにっこり。
後日譚

「黄ぶな」とは、昔 宇都宮の某村に天然痘が大流行し神様に治癒祈願し、村人が病人に食べさせようと魚釣りをした処、鯉の様に大きな黄色いぶなを釣り上げた。それを食べさせると病人は瞬く間に完治したと言う。以来、村人たちは病気除けとして新年には黄ぶなの形をした物を備えたと。

張り子の黄ぶなは、宇都宮市の郷土玩具である。(上の写真では、弁当を包装する紙の黄色い魚が、それ。)
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