TOP

2012年 道北旅行記 1

日本最北端・宗谷岬


12/07/04~12/07/06    
マイカーでオロロンラインを北上。日本最北端の地・宗谷岬へ。テント&車中泊、2泊3日のワイルドトラベル

旅程
1日目 ●国稀酒造 増毛郡増毛町
●増毛駅 同上
●小平(おびら)鰊番屋 道の駅 留萌郡小平町
●ほっと・はぼろ 道の駅 併設 苫前郡羽幌町
  ○はぼろバラ園 同上
  ○北海道海鳥センター 同上
●富士見 道の駅 道の駅から車で15分 天塩郡遠別町
●オトンルイ風力発電所 天塩郡幌延町
●サロベツ湿原 天塩郡豊富町
  ○サロベツ原生花園 同上
●ノシャップ岬 稚内市
2日目 ●稚内駅 道の駅 道の駅から車で3分 同上
  ○KANEPOPPO(カネポッポ) 同上
●稚内公園 同上
  ○稚内森林公園キャンプ場 同上
●稚内港北防波堤ドーム 同上
●宗谷岬 同上
  ○日本最北端の碑 同上
  ○間宮林蔵の像 同上
  ○流氷館 同上
●宗谷岬公園 同上
  ○祈りの塔 同上
●さるふつ公園 道の駅 併設 宗谷郡猿払村
●クッチャロ湖 併設 枝幸郡浜頓別町
●おといねっぷ(音威子府) 道の駅 道の駅から車で10分 中川郡音威子府村
●天塩川温泉 同上
  ○JR天塩川温泉駅 同上
  ○天塩川リバーサイドキャンプ場 同上
3日目 ●朱鞠内湖 雨竜郡幌加内町
●秩父別 道の駅 併設 雨竜郡秩父別町


泊まったところ ●稚内森林公園キャンプ場 稚内市
●天塩川リバーサイドキャンプ場 中川郡音威子府村村
食べたところ ●道の駅・富士見 かけそば 天塩郡遠別町
●音威子府そば かけそば 中川郡音威子府村
閑話 ●目の保養・サイドカー
●長崎からのキャンパー
●車中泊のノウハウ
●チャリで台湾から来た青年


食べたもの 北海道形のおやき A COOPとよとみ 天塩郡豊富町


覚書 走行距離         800km
ガソリン   40.2リットル          5,109円




ある日のこと、家人が言った。「来年でも、念願の東海道五十三次を歩いてくるかな」。 その準備に登山用のテントを購入すると言う。 道案内のカーナビを、即購入。これが、車中泊への第一歩となるとは神のみぞ知る。


日本海オロロンラインとは、北海道の日本海側・札幌近郊の石狩市から天塩郡天塩町までの国道231号&国道232号の愛称。 小樽市から稚内市までを指す、という説もある。

豊富町より北は、電柱が1本もない。 どこまでも真っすぐに続く道は、道外のライダーやドライバーの垂涎。 天気が良ければ、日本海越しに利尻富士を臨むことが出来る、まさに夏の北海道を満喫する大人気ルートである。


1日目   曇り
12/07/04 国稀酒造

日本最北の酒蔵・国稀酒造。
北海道増毛郡増毛町で清酒製造を始めたのは、1882年(明治15年)のこと。 鰊の豊漁による好景気で酒の需要が高まり、国稀酒造の基盤が築かれた。 暑寒別岳からの良質な天然水に拘り、昔ながらの製法を守り続ける。

駐車場の前にある「仕込み水」をペットボトルに汲み、表へまわってカメラをかまえていたら開店時間になった。 私が、本日の観光客第1号。熟年のご夫婦が、続いて店の中へ入ってきた。 京都からフェリーで道内入りし、昨日は旭川に泊まり、今日から札幌2連泊の予定とのこと。 「幼少期に札幌の知事公館のむかえに住んでいました。昔は三井クラブでしたよ。懐かしいな」と遠い目でご主人が言う。 知事公館の前身は三井クラブだったのか。財閥の栄華の残り香に、過ぎし歴史が蘇る。

北海道開拓時代の歴史の余韻を残し、京都のご夫婦はBMWで颯爽と札幌へと旅立っていった。
12/07/04 増毛駅

駅のホーム
線路はここで、行き止まり。

国稀酒造の斜め向え。高倉健主演・1981年公開の映画「駅STATION」の撮影の中心となった所。 往時は、職員が多数詰める旅客・貨物の要所だったが、ニシンの町として栄華を極めた増毛に、やがて訪れたニシン漁の衰退期。 町はさびれ、駅は無人駅となった。

1921年(大正10年)開業。1面1線のホームを持つ行き止まりの駅である。 この珍しさゆえに、マニアが絶えない。本来、線路はどこまでも続くもの。 どん詰まりの線路には、行く手を断ち切られた一抹の寂しさが漂う。

増毛の名前の由来は、アイヌ語で「マシ・ケ」(カモメのいる処)。 北海道の地名はアイヌ語を語源とするものが多く、読めないと言われるが、増毛もそのひとつ。 どう読んでも、ぞうもう。 ために、毛が増えるようにと人気が出て、 近隣の店で「増毛」の入場券が観光客向けに販売されている。
12/07/04 道の駅・小平(おびら)鰊番屋

現存する番屋の中では、一番大規模なもの。

番屋とは、ニシン漁の漁夫が泊まる簡易宿泊所である。 ニシンが豊漁だった頃は、寝る間も無いほど忙しく、 握り飯を懐に三平汁をガバとかきこんで漁へ出て行ったのだと。 豊漁で賑わう浜の様子と、その後のニシン漁の衰退ぶりが目に浮かぶ。

この小平鰊番屋は、隣の「旧花田家番屋」の建物に合わせ木造で番屋風に建てられた。 廊下の艶からは、風格が漂う。
12/07/04 道の駅・ほっと・はぼろ
はぼろバラ園

チャペル

6月下旬から9月にかけて、北方系のバラを中心に約300種、2000株のバラが咲き誇る。 他ではなかなか見ることが出来ない珍種のバラも多く含まれる貴重なバラ園。

園内の白いチャペルには「愛の鐘」がある。 カップルが愛を誓い合う場として利用されているとのこと。 なるほど、英国風でお洒落。咲き誇るバラの花々も素敵だし、 きっと、永遠の愛を手に入れらることだろう。
北海道海鳥センター

コウテイペンギンの体重
40kgは重くて持てなかった

「道の駅・ほっと・はぼろ」の敷地内にある、北海道海鳥センター。

日本で唯一の海鳥専門施設である。海鳥の実物大の模型や断崖絶壁にある繁殖地のジオラマ、 海鳥の種類や行動と生息歴などが展示され、興味深い。 面白いのは、鳥の鳴き声を聞ける「さえずり屋」。 暖簾をくぐり椅子に座って鳥のメニューを選ぶ。 まるで、焼き鳥屋で注文をしている気分。

絶滅の危機に瀕しているオロロン鳥の別名は、ウミガラス。カラスの仲間ではない。 羽幌町の天売島では、その鳴き声が「オロロン」と聞こえることから、オロロン鳥と呼ばれてきた。 1938年には4万羽が確認され、以来急激な減少で、一昨年は13羽にまで減ってしまった。昨今は、天売島でオロロン鳥を見られるのは、よほど運がいい。 とまで言われている。もう随分前に友達と天売島へ行った時、夥しい数のオロロン鳥が岩穴で子育てをしていた。 その足は、ずんぐりと太くたくましい。 人間で言えば、大阪のおばちゃん風。しかも、表情は険しい。 あの頃、すでに絶滅の危機と闘っていたのかも。消えゆく種を、守る方法はないのか。
12/07/04 道の駅・富士見

かけそば@450円

日本海オロロンラインの中継点。「レストランとんがりかん」が、道の駅。

敷地内・食堂の「そば」の幟に引かれ、レストランを横目に食堂へ吸い込まれて行った。 つゆは、北海道特有の濃口醤油色。が、決して塩辛くはなく美味しい。 念願の蕎麦を食べて、ほっと一息。

安心して、うっかり忘れていた。 ここの名物が、鶏の唐揚げであることを。
12/07/04 オトンルイ風力発電所

広大なサロベツ原野に突如現れた、巨大な風車群。 オロロンライン沿い3.1kmにわたって一直線に並ぶ風車は、28基。 1基あたり750kw。 総出力2100kwで、これは一般家庭が1年間に消費する電力の1万世帯分に相当する。 その名、オトンルイ風力発電所。 オトンルイとはアイヌ語で「浜にある道」という意味。

全基が稼働する。この迫力!この壮観!一直線に並ぶ風車群を見ていたら、 昨今の電力不足騒動など何てこともない気がする。

北海道ならではの壮大なるスケールに、ただ感動。
12/07/04 サロベツ湿原

サロベツ原生花園

「サロベツ」はアイヌ語で「サルオベツ」(葦の生える川)の意。

サロベツ湿原は、海岸の砂丘とその後ろにある宗谷丘陵に挟まれ、 泥炭による長い堆積作用によって形成された潟湖である。 あまりに広大な泥炭地は、酪農業には厄介もの。 各地で大規模な農地開発が行われるに従って、 泥炭地の排水やサロベツ川のショートカットなどにより湿原の水位が次第に低下している。 そのため、浚渫船などによる自然再生事業に盛んに取り組んでいるが、 泥炭の形成は1年間に1mm。 湿原の再生には、気の遠くなる様な時間が必要なのだ。
サロベツ原生花園

エゾカンゾウ

カキツバタ

どこまでも伸びる木道。 その道端には、水芭蕉やハマナスなど可憐なサロベツ原生花が咲く。 その数100種以上。花園に足を踏み入れると、果てしもなく広がる台地。 今まで身に纏わりついていた巷の喧噪が一気にそぎ落とされたような、そこは野鳥がさえずる別天地。

この日 出会ったのは、エゾカンゾウとカキツバタ。 すでに花の盛りを過ぎたのか、心なしか花びらに元気がない。 と思ったら、エゾカンゾウは1年のうち2日しか咲かないのだと。 それを知って、今日私のために咲いてくれているこの花が、抱きしめたい程に愛おしい。
閑話
目の保養・サイドカー

こちら、駐車場。一際目をひく2台のサイドカーに、ドライバーたちの目は釘付け。

腕組みをしたバスの運転手さんが、遠くから歩み寄って来た。 「これ、いくら位すんのかな?300万円?400万円?」。 人様のサイドカーを種に、話に花が咲く。 気分は、勝手にサイドカー・オーナー。
12/07/04 北海道形おやき=A COOPとよとみ

今夜はテント泊の予定なので「食料を買っておくか」と立ち寄ったのが、ここ。 入口のたい焼コーナーで足踏みするおじ様。 いわく「お姉ちゃんは、どこ行ったんだべ。俺はここの回し者ではないけど、旨いんだわ」。 ほんと、どこ行ったんだべ、お姉ちゃん。

買い物帰りに覗いたら、すでにおじ様はおらず店を仕切っていたのは、お姉ちゃんではなく若き男性。 甘いモンに目のない家人のために「おやき」を購入した。@110円。 形が北海道。面白い。
12/07/04 ノシャップ岬

ノシャップ岬は、アイヌ語でノッ・シャム(岬が顎のように突き出た所or波の砕ける場所)という意味。

東に宗谷岬、北にサハリン、西に礼文島、南西に利尻島を臨み、夕日の美しさは定評がある。 しかし、日没時間を見計らい行ってみたものの、目を凝らしても島影も夕日もガスってなんも見えない。

そばには、天体観測や南極観測の資料展示をしている青少年科学館や幻の魚・イトウはじめ 北方系の魚が大回遊水槽で群れをなすノシャップ寒流水族館などがあり、観光に事欠かない。 そのせいか、岬の駐車場にはキャンピングカーやら車中泊の車が何台も停車していた。 すぐ近くに清潔なトイレがあり、しかも運が良ければ、人気の夕陽が拝めるかもしれない抜群の立地。 隠れた車中泊の穴場かも?
12/07/04 稚内公園

氷雪の門

稚内市西側の高台にある公園。 シンボルは北端にある「氷雪の門」。 かつて、日本領だった樺太で亡くなった人々の慰霊碑である。

「氷雪の門」は、両側に高さ8mの望郷の門、その中央に2.4mの女性像がある。 その顔は敗戦の苦しみを表現し、開いた掌は全てを失った悲しみを、そしてそこからの新しい出発を表す。 像の足の先と頭の先から、強い意志がほとばしる。

近くにある「九人の乙女の像」は、1945年 樺太真岡へのソ連軍侵攻の折り、 真岡郵便電信局で連絡業務に携わっていた電話交換手が、青酸カリを用い12人中9人が自決した慰霊碑。 「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」最後の言葉とされる碑文が、痛々しい。 終戦の5日後のことである。
稚内森林公園キャンプ場

稚内の町中から程近い丘陵地帯に位置する稚内公園。 その一角に設けられている稚内森林公園キャンンプ場。使用料は無料。

森林公園の名のまま、キャンプ場は木々が生い茂り、市街地から近い事を忘れてしまいそうな静けさ。 バーベキュー炉や椅子とテーブルセットなども設置され、ゴミの管理もしっかりし使い勝手がよい。

まずは、今回の旅のきっかけともなったテントを張ってみる。 最近のテントは軽量で、張るのも楽だ。寝袋に潜り込んだ途端に、意識不明の爆睡状態に。 朝方「ほ~、ほけきょ」と鶯の声に起こされるまで、快適な眠りに落ちていた。 テントデビューは、なんの問題もなし。快適♪
閑話
長崎からのキャンパー

旅は、出会ったばかりの人でも旧知の間柄にさせてくれる。 それが又、テントや車中泊で過ごすワイルド・トラベルの醍醐味の一つ。

このキャンプ場で出会ったのは、長崎から来ている家族づれ。 北海道上陸後、すでに1か月が過ぎ、さらにこの先2か月程を北海道で過ごす予定だと。 先週は、知り合ったキャンパーに「場所取りしておくから、祭の日に戻っておいで」と勧められ 「枝幸の蟹祭り」へ行ってきたそうな。 「楽しかった」と満面の笑顔。 長崎の家を出た時には、みんなに「1か月で飽きて帰ってくるわ」と言われたけれど、まだ全然帰りたくない。と。 話を聞いているうちに、彼女の満ち足りた思いが伝染してきた。
2日目   曇りのち雨

稚内駅周辺
12/07/05 稚内駅

駅舎内
ール跡が駅舎内を通り
現在のホームのレールとなる!

JR稚内駅は、1923年稚内港駅として開業。 かつて、樺太への玄関口として大変な賑わいだったと。 敗戦により樺太の玄関口としての役割を終え、 現在は最北の島・利尻島や礼文島への玄関口として、毎夏観光客で賑わう。

2012年4月、駅前再開発工事に伴ってJR稚内駅ビル「キタカラ」が完成し、 日本最北の駅・JR稚内駅は新駅舎での営業を開始。 ホームは現在2番線が廃止され、1番線のみの使用。 お洒落に変身した駅入口には、昔の線路と車止めがモニュメントとして残り、 その線路は駅舎内を通り抜け、ホーム内で1番線として現在も活躍中。
KANE POPPO(カネポッポ)

カネポッポ

1階アトリウムには、著名な彫刻家・流政之氏の作品「KANE POPPO」(カネポッポ)があった。 「KANEPOPPO」は、樺太が日本領土であった時代、機関車の汽笛がわりに使われていたそうな。

旧駅舎内にあった「そば処・宗谷」は、知る人ぞ知る人気店。 新装オープンの駅ビル内にも蕎麦屋はあるが、 これより先がない日本最北端に来たホロリとした旅情を醸しだすスパイスは、やはり旧駅舎に敵うまい。
12/07/05 稚内港北防波堤ドーム

総延長約427mの半アーチ型ドーム。北海道遺産。

稚内は風が強い。ために、強風や高波を研究した結果のもと「これなら、大丈夫!」と確信を基に造られた防波堤。 本来の目的である防災の他にも、ドームでは色々な催し物が開催され、 今や市民の憩いの場所である。雨に降られた時の雨宿りにも最適。

粛々と伸びるそれは、まるで古代ローマ遺跡を見ているようだ。 ほんとの古代ローマ遺跡は、まだ御目文字したことがないが、なんて美しいのだろう。
12/07/05 稚内港フェリーターミナル

2008年4月、中央埠頭に新フェリーターミナルが完成。

1階には売店やコンビニ、2階は乗船口と飲食店などなど。 建物が新しく、全面バリアフリーで清潔感あふれるお洒落な施設。 空港にいるような錯覚をおぼえる。 乗船券売場の人によると、このターミナルから利尻島・礼文島へのフェリーが出るので 、夏の観光シーズンに入る7月は大変混雑するらしい。

道路を挟んだ向えに国際旅客ターミナルがあるが、ちょうどクローズしていた。 稚内⇔コルサコフ間の定期航路、稚内⇔サハリン間の不定期航路が就航。思いは遠き海の先へ。
閑話
車中泊のノウハウ

「道の駅・わっかない」で初対面のご夫婦に 「利尻・礼文へのフェリーチケットと島内をめぐる観光バスとを一緒に予約する事が出来るのだろうか?」と声をかけられた。 2人は、1か月の予定で東京・足立区から車で来たそう。 昨年は四国八十八か所をまわり、この3年間で日本中ほぼ走破したと。 「よかったら」とのお言葉に甘えて、愛車を覗かせてもらった。 「車で寝て、体が痛くならないですか?」と尋ねると、口を揃えて言った。 「全然。好きな時間に出発できるし、ホテルよりも快適」。 興味は、車の目隠し方法。 口をがばと開けて爆睡する姿を勘違いされ、万一警察に通報でもされないか? 目下の私の不安。解決策は、アルミのレジャーマットを窓の形に切って立て掛けるのだと。 出会った人たちに色々と教えてもらって、最初はカーテンをつけてみたが上手くいかず、 レジャーマットが一番と。

「昨日、駅の近くのスーパーで1パック@88円の卵が売られていたの。 安いジャン。 これからキャンプ場へ行って、目玉焼きを作るわ」と奥様。 ひとしきり車中泊の情報を伝授し、2人は私たちが昨夜テントを張ったあのキャンプ場へと走り去った。
12/07/05 宗谷岬
日本最北端の碑

日本最北端の碑

北緯45度31分22秒、日本最北端の地に建つ高さ4.53mの碑。 一般人が行くことのできる日本列島中最北の地が、ここ。北極星にちなみ、碑は三角錐。

日本政府が領有権を主張する最北端の地が、北方領土の択捉(エトロフ)島にあるカモイワッカ岬で、 現在日本政府の実効支配が及ぶ日本最北端の地が宗谷岬・西北西の弁天島。 主張する所と現実に実効支配している所との差は、あまりに大きい。
間宮林蔵の像

間宮林蔵の像

樺太探検と、間宮海峡の発見で有名な間宮林蔵。蝦夷の地図は、 伊能忠敬と間宮林蔵の測量図を合わせて完成された、言わば2人の合作。

像の額部分に、鳥の糞がべっちゃりと流れる様に張り付いていた。 「失敬な!」と、さぞや糞害、いな憤慨してることだろうて、林蔵さん。
閑話
チャリで台湾から来た青年

ニコニコと屈託ないが・・・

間宮林蔵の像の前、何人もの人に写真撮影を頼まれ、家人が忙しくシャッターを切り続けていた時のこと。 後ろをチャリの青年が通りかかった。

彼は、片言ながら日本語を話す。台湾の高雄からやってきたそうだ。 「アメリカ、ヨーロッパ他いろいろ自転車で行った。 今回は九州に上陸したよ。日本人、親切。 いい人。大好き」そんな彼の周りには、いつも人垣が出来る。 写真撮影を申し出たら、照れくさそうに日焼けした顔をほころばせた。

「パスポート今日88日ね。90日で切れるから、あと2日よ」とお茶目にウィンクしてみせた彼。 あと2日って、強制送還にならなければ良いけれど。
流氷館

流氷館

天気はうす曇りなのに、なんだか急に暑くなってきて、強い日差しで着ているTシャツの背中がじりじりと焼けそう。 「あつい、暑い」と、目の前にあった売店に避難したのは「流氷館」。 入場無料。 流氷をそのまま保存し、北の動物たちのはく製を置いた、氷点下10℃の「氷の世界」。

涼しさを通り越して、歯の根が合わない程に体が芯から冷えてしまった。
宗谷岬公園
祈りの塔

祈りの塔

道路を渡って、むかえの高台にあるのが、宗谷岬公園。

1983年、ニューヨーク発ソウル・金浦空港行き大韓航空機が、予定コースを逸れてサハリン上空を侵犯。 ソ連の迎撃戦闘機のミサイルを受け、サハリン・モネロン島沖に墜落。 日本人29名を含む乗員・乗客269名の全員が亡くなった。 遺族が事件の真相究明と世界平和を願って、塔を建立。 あれから30年の年月が過ぎた。未だに真相は明らかになっていない。合掌。

公園から海を見下ろせば、サハリンの島影がぼんやりと確認できた。 肉眼では見えても、私のカメラでは写らない。 天気が良ければ、くっきりと見えるらしいのだが。
12/07/05 さるふつ公園

道の駅・さるふつ公園

オホーツク海を左に国道238号をひた走ること小半時、さるふつ公園に到着した。

公園は猿払村村営牧場で、内にはキャンプ場やパークゴルフ場や農業資料館と、 ホテル・レストラン・売店・温泉などを併設する「道の駅」がある。 広々とした牧場、牧歌的な景色。ぼっと眺めているだけで、癒される。

猿払村の特産物は、帆立。レストランでは、帆立料理を提供しているが、生憎まだ営業時間前。
12/07/05 クッチャロ湖

湖へと続く木道

クッチャロ湖は、浜頓別町西の大沼、小沼、ポン沼の3つの沼からなる湖で、水深は最大2m。 海が砂州によりオホーツク海と隔てられた海跡湖である。 浜頓別クッチャロ湖鳥獣保護区指定。ラムサール条約登録湿地。 日本最大のコハクチョウの飛来地で、例年2万羽程が羽を休め旅の疲れをいやして旅立つ。

キャンプ場は、湖の目の前。オートキャンプは禁止だが、フラットな地形なので、テントまで荷物を運ぶのが容易そうだ。 キャンプ場使用料は、大人1人@200円。

ちょうど昼時なので、軽い食事とコーヒーブレイク。 設置されている木のテーブルとイスを使わせてもらって、早速小型ボンベで湯沸かしにとりかかった。 その時、隣で何やら食べていた1人のライダーが私に言った。 「箸ない?」。 おじ様は、すでに何か食べているし。 私が箸が無くて困っている風に見え、あげようか?と言う意味か?日本語は難しい(汗、)

食べ終えたおじ様は、私たちの傍へやってきて話始めた。 1人旅が気楽でいいよ。息子と一緒に来れば「もう早寝るのか?」と怒られるし。 と、にこにこ。 幼い孫の写真を張った缶バッジが、じゃらじゃらと胸で揺れていた。 大阪から来たのだと。 言葉とは裏腹に、そろそろ人恋しそうな。
12/07/05 おといねっぷ(音威子府)

音威子府交通ターミナル

「おといねっぷ」は「音威子府」と書く。 人口わずか1200人程の北海道で一番人口の少ない村。 北海道以外の人は、この地名を読むことはおろか、名前すらも聞いたことがないだろう。

音威子府駅は、音威子府村とで建てた「音威子府交通ターミナル」の中にある。 この建物に同居している宗谷バス営業所も、音威子府からオホーツク海側市町村への重要なアクセスポイント。

駅内の「天北資料室」では、JR天北線75年の歴史を語る資料の展示がなされていた。
音威子府そば

かけそば@350円

こんな小さな村に、大人気の名物がある。「音威子府そば」。

ここは、道の駅・音威子府交通ターミナルの中にあるJR音威子府駅構内。 その一角にある「音威子府そば」は、立ち食い蕎麦の店。 暖簾の向こうで、野球帽を被り赤いジャンパーを着た年配の男性が1人で忙しく立ち働いていた。

「かけそば」@350円。 麺が真っ黒だ!殻も蕎麦と一緒に挽くので、黒い蕎麦になるそうな。 真黒な麺は、インパクト大。
12/07/05 天塩川温泉

JR天塩川温泉駅
JR天塩川温泉駅

畑の中にぽつんと建つ「JR天塩川温泉駅」。 小さな小さな無人駅だ。思わず車をバックさせて戻ってきた。 まるで、映画「男はつらいよ」の寅さんが例の鞄をひっさげてふらりと降り立ちそうなメルヘンな駅。 今でも、こんな雰囲気の駅が残っていたのか。
天塩川温泉

「安い!キレイ!シャンプーつき!」三拍子揃った温泉との噂を小耳にはさみ、 しかも、駅から近く裏にはキャンプ場がある。私たちにとっては、お誂え向き!@400円。 入浴客もまばらで、休憩室でゆっくりと寛ぐことが出来た。極楽。
天塩川リバーサイドキャンプ場

ゆっくり温泉に浸かった後、暗くなる前にキャンプ場入り。 ところが、テントはたった1張り。 しかも、すでに寝ちゃったのかテントに人影が見えないし、まるで無人のキャンプ場状態。 「設備よし、キレイ、利用料がタダ」。 これ以上望むべくもない好条件のキャンプ場なのに、なぜに利用者が少ないのだろう。 と不審に思っていたら、近くにもう一か所キャンプ場があるようだ。 まるで、貸切状態で申し訳ないような寂しいような。

パラパラと雨が落ちてきたので、今朝 足立区のご夫婦からレクチャーを受けた車中泊を初体験する事に決めた。 車の目隠しも今夜に限り必要なし。 誰もいないんだもん。 朝になり、車の中で快適な目ざめ。 体のどこも痛くないし、これはイケル。

気がつけば、テントの若いライダーは出立した後、住人は私と家人の2人のみになっていた。 朝もやの中、優雅にコーヒーブレイク。 大自然の香りをいっぱいに吸い込んで、いい感じだ。

でも、なんだかな。無人島に流れ着いてしまったような、一抹の寂しさが心をよぎる。
3日目   曇り
12/07/06 朱鞠内湖(しゅまりないこ)

雨竜ダム

朱鞠内湖は、幌加内町の雨竜川上流に位置する人造湖。 日本最大の湛水面積を持ち、戦後まで日本一の総貯水容量を誇る。

当時の北海道における電力の50%を供給し、度々悩まされていた雨竜川の氾濫対策として、 朱鞠内湖に雨竜ダム工事が着工したのは1941年(昭和16年)のこと。 難工事と財政難で困難を極め数百万人の労働者を動員し、1943年(昭和18年)に完成をみた。 ただ、劣悪な労働環境の中で、日本人のタコ部屋労働者だけではなく、 朝鮮人や中国人の強制連行をも行われ、現在まで200名以上の犠牲者が判明済み。いたましい歴史の陰だ。
12/07/06 ちっぷべつ(秩父別)

鐘のなるまち・秩父別

深川市と留萌市を結ぶ国道233号線。 深川市から約15kmの所に位置する道の駅が「鐘のなるまち・ちっぷべつ」。 敷地内に「特産物展示館」・「やさい館」・「お食事館」・「秩父別温泉ちっぷ&ゆ」・「開基百年記念塔」などが建つ。

「開基百年記念塔」には、国内最大級と言われるスウィングベルが設置され、1日4回鳴り響く。到着したのが、正午。鐘の音をしっかり聞いた。

嬉しいことに、地元野菜を販売する「やさい館」がある。 今回は、北海道の日本海側・オロロンラインを行く旅。 道北は魚介類が特産で、野菜の即売にはほとんど出会えなかった。 旅の間、欠乏していた新鮮野菜をどっさりと仕入れて、さてと我が家へ帰ろう。
BACK TOP





©2007匁の旅手箱
inserted by FC2 system