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2011年 沖縄旅行記

うちな~、めんそ~れ♪・・・平和の礎・なんみん祭・沖縄美ら海水族館

11/05/10~11/05/17  札幌⇔沖縄(大人2名)
日程   新千歳空港から羽田空港で乗り継ぎ  沖縄7泊(ツアー込みのホテル2泊&ゲストハウス5泊)

経費
交通費 沖縄ツアー(新千歳⇔沖縄・航空券&ホテル2泊) @39,800円×2=79,600円
「美ら海水族館と今帰仁城跡」観光バスツアー @5,400×2=10,800円
路線バスなど雑交通費 7,240円
宿泊費 パシフィック沖縄(ツアー代金に含む) /
ロハスヴィラ(ゲストハウス(個室) @2,300円×5泊×2=23,000円
入場料 美ら海水族館 @1,620円×2=3,240円
平和祈念館 @300×2=600円
首里城 @800×2=1,600円
玉陵 @300×2=600円
食事&食料費 12,416円
雑費 5,417円
総計  144,513円


旅程
1日目 移動日
2日目 雨でホテル滞在
3日目 沖縄平和祈念公園
平和の礎
国立沖縄戦没者墓苑
4日目 首里城公園
玉陵(たまうどぅん)
5日目 ●福州園
●波の上ビーチ
●壺屋やちむん通り
6日目 ●なんみん祭
7日目 ●万座毛
●沖縄美ら海水族館
●今帰仁城跡
●ナゴパイナップルパーク


泊まったところ パシフィックホテル沖縄
ロハスヴィラ
食べたところ 牧志公設市場 沖縄そば
あやぐ食堂 ゴーヤチャンプル定食
だるまそば フーチーバーそば、宮古そば
チサンリゾート沖縄 美ら海 美ら海幕の内
太栄食堂 イナムドゥチ定食&日替り弁当 他

1日目   出発 編   今日の歩数=15,092歩  雨

~沖縄~
閑話
かりゆしウェア

空港レンタカーカウンターの職員

那覇空港に漂う、ふんわりとした南国の空気が、心地よい。

目に飛び込んできたのが、このシャツ姿。 沖縄県で夏に着用されるアロハシャツに似た「かりゆしウェア」という名のクールビズである。 「かりゆし」(嘉例吉)とは、沖縄の方言で「めでたい」という意味 企業では制服として、一般人は日常着を兼ねた仮正装(男性はワイシャツとネクタイの代用)として、 さりげなく着こなしている様が涼し気だ。 「かりゆしウェア」は、シャツの裾をズボンやスカートから出して着るのが正しい着方。

「1枚ほしい」。
11/05/10 パシフィックホテル沖縄

売店には「かりゆしウェア」

11階建て客室389室の大きなホテル。 沖縄観光はオフシーズンだが、修学旅行生で賑やかだ。

まずはウェルカム・ドリンクを楽しんで、1日目は就寝。 が、隣の部屋の声が筒抜けで、全く眠れなかった私。 朝食のついでに、フロントで聞いてみた。 「お隣の部屋の方、今日も泊まる様ですか」。 「ハイ、連泊のご予定です。どうかしましたか」。 昨夜の仔細を伝えると、部屋を替えてくれた。 今度の部屋は、広くてゆったり。昨日の部屋よりも格段にグレードが高く、快適。
2日目   台風1号に遭遇!ホテル待機 編   今日の歩数=12,069歩  雨
ホテル周辺


沖縄といえばOrionBeer


海ぶどう
この歯ごたえが堪らない

一夜明け、「台風1号」。猛烈な雨と風に、ホテル内で天候が落ち着くのを待つ。

夕方、台風の中を街中へ。 家人はホテルを出た途端に強風にあおられ、傘を壊されて「ぬれ鼠」になった。

ホテル周辺の表通りに刺青屋さん発見。 隣の弁当屋さんのメニューは、ゴーヤー弁当やらチャンプルー弁当。 ビールはOrion。おつまみは、ホテル近くの専門店・海ぶどうに決まり。 雨宿りを兼ねて飛びこんだスーパーの店頭には、でんと豚肉郷土料理が並ぶ。 ここは、紛れも無く沖縄だ。着いて以来、まだ一か所も沖縄観光をしていないけど。
3日目   沖縄平和祈念公園 編   今日の歩数=9,392歩  曇り

街で、こんなの発見!
閑話
ガジュマロ


沖縄の街の至る所で見かける「ガジュマロ」の木。

幹が多数に別れて地面に向けて垂れ、幹の先が自らの幹へ複雑に絡みつく。なんとも、不思議な木。

そんな姿が県民に愛されて街路樹や細工物に利用され、灰汁は沖縄そばの麺の製造にも使われる。 「ガジュマロ」が醸し出す南国情緒は、沖縄の街の風景そのもの。

「ガジュマロ」という名の由来は幹が絡まる姿から「カラマル」が訛ったという説がある。 垂れ下がった幹が地面に達すると土台となる木は枯れて行くため、別名「絞め殺しの木」。
ギジムナー


ガジュマロの木に棲みついていると言われる「幸福をもたらすキジムナーという名の精霊(妖怪)」。 願い事を叶えてくれると信じられている。

「体が真っ赤な子供」とか「赤髪の子供」、「赤い顔の子供」として現れる、とも言われる。

沖縄では「キジムナーの足跡を見る」という遊びがあるそうな。 静かで薄暗い場所に円を描いて、白い粉(小麦粉など)をまき円の中央に火を灯した線香を立て呪文を唱え20数えて戻ると、 粉の上にキジムナーの足跡がついているのだと。

県民に愛されるキジムナーは、沖縄テレビ放送のマスコットキャラクターを務め、交通安全キャラクター。
閑話
路線バスで那覇から糸満へ

午前9時、那覇バスターミナル発の「琉球バス」に乗り込んだ。 客はお年寄りばかり。 路線バスなので、さもありなん。 そのうち、若い運転手さんが話しかけてきたが、方言が全く理解できない。 言葉の尻尾に「サー」がつくのは解るが。 「どこへ行くのサー」。と言ったと思う。 彼は走行の合間をみつけてはバス時間表に赤鉛筆で印をつけ、何度も確認した。 やがて、家人が運転席へ手招きされ「糸満から平和祈念公園行きのバスは待ち時間が1時間55分もあり、 タクシーで行けばいいサー。」と教えられた。

糸満バスターミナルで降車しきょろきょろしていたら、 さっきの運転手さんが大慌てでバスから降り止まっていたタクシーに私たちを押しこみ、 「平和公園まで。」と運ちゃんに言った。 まるで、子供を託す様に。 帰りのバス時刻までも教えてくれ、多大なる心遣いを受けた。琉球バスの運転手さん、感謝。
11/05/12 沖縄平和祈念公園

摩文仁の丘と海

平和祈念公園は本島南部の「沖縄終焉の地」。 第二次世界大戦時、糸満市摩文仁の丘を臨む海上は米軍の戦艦で埋め尽くされ、 空襲や無差別艦砲射撃を繰り返し、阿鼻叫喚の地獄絵を繰り広げた。 海上の崖から多くの人々が身を投げ、海は真っ黒に染まったと。

沖縄県平和祈念資料館
最後の展示。声をのんだ。 「ここにいたら、いつかは自分も人を殺すことになりそうだ。帰りたい。国へ帰りたい。」と言い、 酔っぱらって道端に寝てしまう米兵。 その慟哭が胸に響く。 沖縄戦の被害者は沖縄の人々。 けれど、加害者である米兵も戦争という狂気の前に心を病んでいった。 次の展示は、ベトナム戦争で米兵が「片手だけがぶらぶらとついた地元の男の子の遺体を首にかけ、笑顔でかざす。 居合わせた男子修学旅行生が「うわ、ひでぇ。」と目をそむけた。 すでに、正気の沙汰ではない。 2枚の写真が戦争の実態を如実に語る。 加害側も、命を奪う戦場では平常心ではいられまい。 戦争は、自分たちに服従しない人々を武力で黙らせること。

展示は、「沖縄戦への道」「鉄の暴風」「地獄の戦場」「証言」「太平洋の要石」の五つの常設展示室からなる。

日本で唯一戦場になった沖縄。どんなに悲惨なことであったか、改めて思う。
平和の礎

平和の礎

「平和公園」内にある「平和の礎」。 海に対峙する平和広場の中心に「平和の火」が灯り、 それを基点に弧を描くように放射線状に「平和の礎」(刻銘碑)が整然と配置されている。 まるで屏風を半開きにした様な刻銘碑には、国籍・職業・宗教など一切に関係なく23万人の名が刻まれていた。 中には沖縄地上戦で命を落とした罪もない沖縄県民・約10数万人が含まれ、今も毎年追加刻銘され続けている。

米軍も日本国軍人も一般人も、思想や宗教が違っても、 戦争に大事な命を奪われた悲しみは、誰も同じ。 礎の前に立てば、その数の多さに足がすくむ。
国立沖縄戦没者墓苑

公園南口の東、霊域に出た。 緩やかな坂の両脇には、各県の慰霊塔がある。 どの県も広い敷地に立派な慰霊塔が建っているのだが、北海道がない。

坂の途中で、国(厚生労働省)が建てた戦没者墓苑があった。 道沿いで花と線香を売っているおばちゃんが、言う。 「戦没者全員が祀られているから、お参りしていって」。 戦没者全員の名前が平和の礎に刻まれ、遺体はこの戦没者墓苑に収容したのだと。 最初は献花台の奥に遺体そのままを、すぐに満杯になり以後は奥に作った所へ火葬で納骨された。

戦没者墓苑は遺体を収め、県碑は魂のみが祀られる。 北海道は土地を買うのが遅く完売していたので、「ひめゆりの塔」の方に道碑を建てたと。 花と線香を買い、合掌。
閑話
路線バスの一期一会

復路、「平和祈念公園」バス停で1時間ほど待ち、糸満バスターミナル行きバスに乗った。
車内は、通学の学生やら病院帰りのお婆ちゃんやらがパラパラと乗っている程度。 のんびりと時間が流れる。 頭にねじり鉢巻き足元は雪駄の男性が乗り込んできて、家人の横の通路をはさんだ席に陣取った。 「どこから来たの。」「平和公園からの帰りか」 「沖縄で集団自決がなかったなんて言うのはおかしい。本当のことなのに」 「基地はいらない」「沖縄は物価が安いけど、俺ら魚を扱うものたちは安く買いたたかれている」。 家人を相手に、縦横な沖縄談義を展開した。

いつしか、前席の男性も加わり言う。 「実は沖縄に永住しようと思って大阪から来たけれど、部屋を借りるのに保証人がいなくて困っている」 と、強烈な大阪弁。 鉢巻き氏は「沖縄ええとこだ。こいやぁ」。 まるで、自分の家に誘うような調子で言う。 近くにいた女子高生がプっと吹いた。 沖縄人と大阪人と北海道人、3人の言葉が微妙に通じていないが、ざくっとした会話が実におもろい。

そのうち糸満魚市場前に到着し、鉢巻き氏は降りて行った。 車内は火が消えたような静けさとなり、寂しくなった。
11/05/12 ロハスヴィラ

部屋のベランダから手を伸ばして撮影

横一線の灯りが国際通り
縦の灯りが沖映通り

港近くのホテルをチェックアウトし、国際通りから徒歩10秒・沖映通りのゲストハウスへ。

施設はアジアンがテーマ。 各階に共同のシャワールームとトイレと洗面所があり、 階段前フロアには有料の洗濯機が設置されている(洗剤は無料)。 共同とは言え、誰かが使用中なら他の階を使えば良いから不便はない。 ちなみに、沖縄では風呂よりもシャワーを使うのが常だそうな。

我らの部屋のパソコンは32.4型テレビ・アクオスにつなぐタイプ。 テレビの大画面でパソコンって、ダイナミックだ。 DVDも、フロントで無料レンタル可。

部屋も施設も随所に創意工夫がみられ、狭いながらも楽しい仮の我家。
ただ、入居時の料金請求が5日間2人で28000円。 1泊1人にすると@2800円。繁忙期価格でオフシーズンの今@2500円のはず。 その上バーゲン期間中は@2300円とメールで確認済み。 それを指摘し、結局5日間2名で23000円となった。 しっかりしておくれ。 退去時は、フロントの黒い皿に部屋の鍵を置いて出れば契約は完了。快適で楽。
閑話
2000円札

国際通り近くの店で買い物をしたら、2000円札でお釣りがきた。

2000円という単位の半端さやATM機対応の経費などが原因で、生活に定着する事なく日銀の金庫で大量に眠る。 私も、当時は1000円札や5000円札と間違えそうで、早々に財布から追放。 札の表面が守礼門という縁で、沖縄では今も使われている。沖縄県人の郷土愛。
11/05/12 牧志公設市場

肉屋の店番
牧志公設市場の「グラサンの豚君」

1階が市場で、2階が食堂街。

肉屋さんではグラサンの豚君が睨む。彼の知名度は全国区。

一方、魚屋さんは熱帯魚としか思えない赤や青の色鮮やかな魚が刺身用として並んでいる。 道産子の私は、ただただびっくり。

沖縄そば(中)@400円   (大)450円

2F飲食街
1階で買った魚を刺身にして2階の食堂「豊年」で食べられるらしい。 手数料は、3種まで@500円。

2階へ上がった途端に激しい客引きに遭遇。 修学旅行生に紛れて、腰を下ろす。 今夜は刺身を断念し、地元の「沖縄そば」。 私が(中)で家人が(大)。 (中)は想定外に麺が少ない。 「沖縄そば」は「そば」というより「うどん」。 沖縄では、これが「そば」。 沖縄言葉で「すば」。 一般的な「そば」は、「日本そば」と言い分ける。 食感は澱粉の麺にすこぶる似る。つゆは、あっさり塩味。
4日目   首里城→玉陵→石畳の道 編   今日の歩数=28,803歩  曇り
閑話
沖縄にはカラスがいない?

国際通りを首里へ歩くと、店屋街が切れて一戸建てやマンションが立ち並ぶ住宅街へ出た。 今日が「ゴミ出し日」らしく、各家々の玄関前に買い物のビニール袋が置かれている。

札幌市の場合は、各所に設けたゴミステーションにゴミを出す。 個別収集ではないのは、カラスに食い散らされてしまうからだ。 我家はカラスがネグラとする山の麓にある。 毎朝ガァガァと一族郎党ひきつれて歓楽街・薄野へ繰り出し、夕方 揃って山へ帰還する。 その騒々しい事と言ったら。薄野の美食を食む彼らには、粗食な我家の生ゴミなどお口に合わないと思うのだが。

対策として我町内では、板を数枚とじ合わせたものをゴミの日にサークル状にひろげゴミを入れ、 上からネットをかけ、さらにビニールシートをかぶせ、スノコ様の板を「重し」代わりに乗せる。 ゴミを捨てるのも重労働。

最初はネットをかけるだけだったのだ。 しかし、慣れてくると奴等は1羽がネットを持ちあげ、 その隙間からもう1羽がゴミを引っ張り出すという共同作戦をひねり出した。 サークルにすると、軽い板なので、ひょいと嘴で持ち上げ隙間からゴミを取り出す事を学習してしまった。 住民が新たな対策を施すと、カラスは都度クリアーする名案を見つけ出してしまう。 その度にカラスの頭がグングン進化してきた様な気がしてならない。

こんな呑気なゴミ出し風景は、信じられない衝撃。 そう言えば、那覇に来てから一度もカラスをみない。 沖縄の北部にはいるらしいが南部にはいないようだ。 カラスは、暑さが苦手なのか?沖縄の人が羨ましい。
11/05/13 首里城公園

守礼門

2000年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群が世界遺産に登録された。

琉球は570年前に建国し、450年間にわたり日本南部に存在した王国である。 その間、1度の政権交代を経て、薩摩藩の武力侵攻により首里城を占拠された。 以後、表向きは中国の支配下にあり、実際は薩摩と徳川幕府の属国支配を受ける二重支配となる。

やがて、明治維新となり、日本政府により王国を廃し藩を設置される「琉球処分」を受け、琉球王国は滅亡した。
首里城跡(復元)入場料@800円

正殿

①正殿(王の居住する所)
赤と白の瓦を敷き詰めた式典会場。縦縞の敷き瓦は、儀式の際、役人が位の順に並ぶ目印。
玉座の装飾は「葡萄とリス」。当時の琉球に、葡萄とリスは存在しない。未知への憧れか。

北殿は中国接待用、南殿は日本接待用。琉球王国は、日本側からの接待所とは別に中国側の接待所を設けていた。 二重支配を受ける琉球王国は、両方への気配りが欠かせなかったのだ。王国の心労が目に浮かぶ。

今日も修学旅行生と一緒になった。北殿庭園に面した廊下に差し掛かった時のこと。 中学生の女の子が呟いた。「あ、この廊下スズメ張りじゃね」。 確かにウグイスと言うには姦しい音だから、言いえて妙。 傍にいた男子生徒が正した。「ウグイス張りだべ」。
琉球舞踊

四つ竹

「まもなく、城近くの広場で琉球舞踊が始まります。」と、アナウンスが流れた。無料。

琉球舞踊は、王朝時代に中国から訪れる冊封使を もてなすためにつくりだされた「古典舞踊」と、 廃藩置県以後に作られた庶民の生活や心情を描いた「雑踊り」とに大別される。

「四つ竹」は煌びやかな衣装に身を包み、四つ竹というカスタネットに似た楽器を手に打ち鳴らし踊る。 その様は金襴の衣装が眩しく派出やか。典型的な古典舞踊である。
閑話
サラリーマンは働きすぎ

北殿・展示場の一角で、感歎の声が上がった。声の主は、成人男性陣。

視線の先は、当時の首里城に勤める官吏の一日を記した表。 これによれば、午前9時から10時に出勤し、午後2時から3時ころ帰宅。 勤務時間はたったの4時間だ。 世のサラリーマン氏が羨望の声をあげるのも当然。 現代の様な9時から5時、あるいは8時半から6時という勤務時間は、一体いつ誰が決めたのか。

今の日本人は、働きすぎ。
閑話
龍の爪

龍の爪の数は、位が高い順に

中国・皇帝は5本爪。
台湾・皇帝は5本爪。寺は4本爪。民間と一般は3本爪。
琉球・韓国・ベトナム・4本爪。
日本・3本爪。

中国では「五爪の龍」は天子の象徴。 中国皇帝だけが、使用できた。属国であった琉球では「四爪の龍」しか許されなかったそうだ。 中国への遠慮からという説もある。

日本の有名画家が描く龍の図は、ほとんどが「三爪」。 何故に日本は「三爪の龍」なのか。 中国からみると、隆盛を極めていた琉球よりも日本は一段下に格付けされていたからという説が有力だが、 建長寺の雲龍図は「五爪の龍」。真相がますます解らない。
11/05/13 あやぐ食堂

ゴーヤチャンプル定食@600円


豆腐チャンプル定食@570円

ゆいレール首里駅から徒歩3分。

昭和の頃、どこにでもあった様な懐かしい大衆食堂である。 昼時分をとうに過ぎているのに、客の切れることがない。噂にたがわぬ人気店だ。

この店の人気の一端は、定食でなくともご飯と汁ものがつく。 つまり、単品メニューはない。私達がオーダーしたメニューには、刺身まで付いてきた。 その上、ご飯の盛りが半端ではない。 勿論、メインのチャンプルは家庭的な味で美味しかったサー。
11/05/13 玉陵(たまうどぅん)

玉陵

玉陵と書いて、たまうどぅん。観覧料金@300円。

玉陵は、1501年に尚真王が父・尚円王の遺骨を改葬するために建造。 歴史上、政変の後の王朝・琉球王朝第2尚氏の陵墓となった。 現存のものは、沖縄戦で破壊された後に修復されたもの。 墓室は3つに分かれ、中室は洗骨前の遺体を安置する部屋。 東室は洗骨後の王と王妃。西室には、玉陵碑に名を刻まれている王一族。

「洗骨」とは遺体を骨になるまで放置し、数年後に骨を取り出して海水や酒で洗い、再度埋葬する葬制のこと。 かつての沖縄でよくみられ、琉球王国の王室も、戦前まで洗骨を経て埋葬されていた。 「洗骨」による第2の葬式をすることで、子孫に豊穣や幸福をもたらすと考えられている。

玉陵碑には、玉陵に葬られるべき人を限定し表記されている。 「この書きつけに背くならば、天に仰ぎ、地に伏して祟るべし」との一文をそえて。 しかし、尚真王が存命中こそは守られていたものの、 子の尚清王が即位すると廃嫡された兄・尚維衝を玉陵に移葬。碑文は事実上反古となった。 果たして、どんな祟りがあったのか、なかったのか。
閑話
何故に沖縄にはセブンイレブンがない?

調べてみた。セブンイレブンは、グループのドミナント戦略 (その地域に集中して出店することで、その地域を支配する戦術)をとっており、 物流面でもバラバラに出店するよりも効率的に展開するのだと。

ちなみに、ローソンは47都道府県すべてに出店し、同地域に数多く出店しないのがファミリーマート。 沖縄ではファミマの出店が多く、ローソンもパラパラ程度、セブンイレブンはない。 ソウルはセブンイレブンが多く、台北はファミマ一色だった。コンビニ業界の裏側は複雑。

5日目   福州園→波の上ビーチ→壺屋通り 編   今日の歩数=19,495歩  曇り
11/05/14 福州園

欧治池

福州園は、中国・福州との友好事業の一環として建てられた中国式庭園。面積・8,500㎡。入園無料。

園内は、明・穏・華の3部より四季の景観を演出する。 三山(千山、鳥山、屏山)・二塔(白塔・鳥塔)・一流((ミン江)といわれる福州の代表的風景や建築物を再現。 福州の職人と材料で表現した「那覇のミニ中国」である。

池には鯉や亀が生息する。奥・東屋で「鯉の餌の自動販売機」を発見。 「鯉に馳走でも振舞うとするか」と 一粒池に放り投げたら、 どう察知したのか遥か遠くから凄いスピードで鯉の大群がやってくる。 ノロマなはずの亀も早っ。 見る間に、弱肉強食の激しいバトルが展開。 鯉より早く鳩の群れがやってきて、私と家人の周辺を取り囲む。 ヒッチコックの「鳥」を彷彿とさせる風景に、顔面蒼白の私。残りの餌を家人に押しつけ逃げ出した。

入口の大門から進むと、最後に「春迎」の門。園の説明では、作る時には「春」から入って順に四季を楽しむという設計が、 隣家との敷地の関係で、入口を逆にせざるを得なくなったと。入口として入った大門が、本来は出口。

のんびりゆったりと、園内を徘徊すること2時間。都会のオアシス。
11/05/14 波の上ビーチ

波の上ビーチ

「波の上ビーチ」は、那覇市唯一の海水浴場。人工ビーチ。

「透き通るような青い海。波が、白いサンゴ礁を静かにあらう。 遥か先の水平線は、空を包み込む様にゆったりと遠い。 南の海辺は、時計の針が止まった如くまったりと」と言いたい処だが、想像とは裏腹に、砂浜は300m程度。 並行する巨大な高架道路を、車が頻繁に走行する。 肝心のビーチは、高架道路の手前に四角く張った青いロープの範囲内。 これが、有名な「波の上ビーチ」なのか。まるでプール。

同宿の隣室は大阪のご夫婦で、3週間程滞在していると。 旦那はチャリを購入し、連日市内を走り回る。いわく「成人式で沖縄の青年が荒れる理由が解った。 東シナ海側の海のいいとこは、みんな米軍にとられている。 これが沖縄の人々の暮らしなんだな。」
11/05/14 だるまそば

フーチーバーそば(葱の代わりに蓬を乗せたもの)
宮古そば(大@530円、中@480円)

「だるまそば」は、地元で人気の食堂。

先日泊まった「パシフィックホテル沖縄」から徒歩数分。 店内は、昔なつかし食堂の雰囲気。 昼時分には間があるのに、すでに大賑わいだ。

「宮古そば」は、麺の中に具が隠れているのが特徴。 この店の「宮古そば」は麺の上に具が乗る。 具は豚三枚肉&宮古から取り寄せのかまぼこ&葱。 葱をどっさりの蓬に変更すると「フーチーバーそば」に早変わりする。

「沖縄そば」は比較的太い麺で、「宮古そば」の麺は細め。 つゆは、透明の塩味で、三枚肉とかまぼこから出た旨味と蓬の香りが実に美味。
11/05/14 壺屋やちむん通り

骨壷専門店

「壺屋やちむん通り」は、国際通りの平和通り商店街から「ひめゆり通り」(国道330号)へ抜けるまでの道。

300年前、琉球府が那覇周辺に散らばっていた陶工を集め、ここに集約して作った陶器街である。 「やむちん」とは、焼き物と言う意味。

石畳の両側には、陶器の店が立ち並ぶ。 商品の中心は、勿論シーサーだが、なんと陶器の骨壷専門店を発見。目が釘付けとなってしまった。
6日目   国際通り周辺徘徊 編   今日の歩数=15,372歩  曇りのち雨
11/05/15 なんみん祭

こども獅子舞

家人と私の別行動日。

国際通りをぶらぶらと歩くと、県庁前に「なんみん祭」の神輿がやって来た。 「なんみん」とは、「波の上ビーチ」のそばにある神社「波上宮」の事で、この日は「波上宮」のお祭り。 奉納神事、子供獅子舞、ビーチ綱引き大会、のど自慢大会、演舞大会など内容は多彩。

こども獅子舞がサービス満点で、可愛い。
不思議発見!

国際通りの「竹製品店」の前で・・・吹いているのは、竹ぼうき
閑話
「沖縄のてんぷら」は、衣が厚い!

家人が「一日ゆいレール乗り放題してきた」と夕方、ネグラへ戻ってきた。 手には袋包み。商店街の惣菜屋さんの前を通ったら「てんぷら」を揚げていたので買って来たのだと。 まだ、ほっかほか。「これで、100円。」と家人は上機嫌。

「これ、てんぷら?衣が厚くて、見た目フリッター」と私。 うっすらと醤油味がする。衣が厚くおやつに近いが、「沖縄のてんぷら」は、間食という位置づけだそうな。

以前 京都で食べた「天婦羅定食」は衣の厚い天婦羅で、「まるで、家庭料理だ」と揶揄した私。 あれは「沖縄流のてんぷら」だったのでは。 とても似ている。 人は自分の成育歴の中の味を基準に、美味しいか否かを判断する。 天婦羅は「衣は薄く、からっと揚げるのがよし」と思っていたが、 料理にはその土地土地での歴史と文化がある。 自分の物差しで評価していた自分の未熟さに、赤面。
7日目   万座毛→沖縄美ら海水族館→今帰仁城→ナゴパイナップルパーク 編   今日の歩数=12,228歩  雨

沖縄バス・定期観光バスツアー。 今帰仁城跡の入場料、昼食つきで@5400円。水族館の入館料は含まぬ。

11/05/16 万座毛

万座毛

沖縄県国頭郡恩納村にある海岸国定公園。 東シナ海に面した絶壁は、象の鼻の形の岩が特徴的な景勝地である。

万座毛とは、琉球王国の王・尚敬王が「万毛」(毛は原っぱの意味)と評したことに由来し 「1万人が座れる広い原っぱ」と言う意味。

朝から、どしゃ降りの雨が降り続いている。 沖縄の美しい海や珊瑚礁が見られるはずだったのに。
強風ごしに周囲を垣間みれば、珍しき植物の数々。 沖縄でもここでしか見られない特殊な植物が生育している場所で、 万座毛石灰岩植物群落と呼ばれ、天然記念物に指定されているそうだ。
11/05/16 チサンリゾート沖縄 美ら海

美ら海幕の内

「チサンリゾート沖縄 美ら海」は、「美ら海水族館」へ徒歩で行ける人気のホテル。

雨に濡れた体をオーシャンカフェに置けば、目の前に壮大な海がひろがりホッと一息つく。 降り続く雨が、恨めしい。晴れていれば、息をのむほどに素晴らしい景色だろう。

昼食は、旅行社手配の幕の内だ。 ゴーヤチャンプルやらジーマミ豆腐など、沖縄料理満載で楽しい。ツアー込みの昼食なので、嬉しい誤算。
11/05/16 沖縄美ら海水族館

「黒潮の海」大水槽

「おきなわ・ちゅらうみ水族館」。

一番人気は、大画面スクリーンを見るような「黒潮の海」大水槽。 サメやマンタが、私に突進してきた。気分は水槽内の魚。入館料@1800円。

ジンベエザメの1頭が仲間のジンベエザメに攻撃をしかけ、相手の腕の付け根あたりを咥えて離さない。 必死で逃げる被害サメ。 一方、加害サメの方は何があろうと放すものかという勢い。 その体勢のまま、水槽内の隅々まで泳ぎ続ける2頭。 心配で、目が離せない。その時、後ろの観客から声があがった。 「本気じゃないな。その気なら、もうとっくに噛み殺してるだろう。甘噛みだな。」。

ジンベイザメは体が大きいため複数飼育が難しいとされる。 が、この大水槽で可能となった。飼育員さん曰く 「サメは魚の中では珍しく、交尾するんですよ。 鮫って、魚編に交わるって書くでしょ。 その時、メスを逃がさない様にするためと交尾中に体がずれない様にするために、オスがメスに噛みつくのです。」 だと。
11/05/16 今帰仁城跡

曲線が美しい城壁

「なきじんじょうせき」。世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)。

激しさを増す雨。 「この先は歩く事になるので、足に自信のない方はバスで待機して頂いても宜しいですよ」とガイドさん。 しかし、今帰仁城跡は今日のコースのハイライトの1つだけに、誰1人バス待機志願者はいない。

王朝成立以前の琉球は、北山(ほくざん)・中山(ちゅうざん)・南山(なんざん)のつの小国が並立した三山時代。 今帰仁城(グスク)を拠点とした北山はその武力を周辺の按司(あじ)から大変恐れられ、 彼らは中山王(首里城主)へ進言し連合軍を結集して今帰仁グスクは攻落され北山は滅びた。 その後、今帰仁グスクは中山王の親族が北山監守として派遣され、後 人々の信仰の場となった。

今帰仁城跡は、屏風を半開きにしたような曲線が続く石垣をみているだけで、難攻不落の城であった往時が蘇る。

亡き筑紫哲也氏が言ったそうな。「視界に入る海との取り合わせ、心の洗われるような静けさが何とも言えない。 今、聞こえるのは、傘を打つ雨の音ばかり。同じ場所に立ちながら、筑紫氏とは全く違う景色を見ている私。悔しい。
11/05/16 ナゴパイナップルパーク

雨から避難するように、パイナップル園を大急ぎで通り抜けて建物の中へと逃げ込んだ。

まずは、ワイン館でパイナップルで作られたワインの試飲。 初めて飲んだけれど、くどさがなくて飲みやすい。 にしても、種類が多い。 次は、スイーツ。ワインケーキやら紅いもタルトやら。甘党の家人が、満面の笑み。

何と言っても圧巻は、パイナップルの食べ放題。 オードブル風の大きな数枚の皿に、1口大のパイナップルが惜しみなく盛られる。 テーブルを囲んだ観光客がもりもり食べ尽くすので、皿はあっという間にカラになるのだが、 それを待たず次の皿に代わる。

パイナップル Pineapple・・・apple、りんご? パイナップルはブラジル原産で、コロンブスの西インド諸島探検で発見され、世界に広まった。 名前の由来は、松かさ(パイン)に似た形と、林檎のような味からだと。 パイナップルに林檎がひそんでいたなんて、知らなかった。
8日目
11/05/17 太栄食堂

日替り定食@650円



イナムドゥチ定食@750円



テビチ@450円



食後のぜんざい@200円

沖縄を離れる日。国際通りをぶらぶら徘徊し、気になっていた食堂で昼食。

国際通り・牧志公設市場の近く。 創業53年という店の構えを一見しただけで、地元民の店であることは一目瞭然。 店内に入ると、活きの良いおばちゃま達がくるくると働いていた。 客のほとんどが常連さんで、観光客の姿はない。 ちょうど開店直後で客もまばらだが、あっという間に席は埋まってしまった。 その間にも「今日の日替り定食」の内容を問う電話が、ひっきりなし。 店内の客の対応をしながら、電話で注文を受けた「日替り定食」を弁当に詰めていた。配達も受ける。

日替り定食・・・・・・・・雑穀米・おでん・揚げもの・南瓜のサラダ・わかめの味噌汁
イナムドゥチ定食・・・イナムドゥチ(白みそ仕立ての汁・・高野豆腐・椎茸・小さい細長に切った豚肉)・雑穀米・天婦羅(衣の薄い)・もずく
テビチ・・・・・・・・・・・・豚足の煮つけ。
ぜんざい・・・・・・・・・・話には聞いていたが、沖縄では「ぜんざい」というと「かき氷」が出てくるそうな。ほんとだ。

沖縄庶民の味を堪能し、幸せ気分。今日は鼻が利いたような。
閑話
沖縄の墓

住宅の敷地内に大きな墓が見られる。 沖縄の風習で、住宅のすぐ隣に墓を建てる。

亀甲墓
沖縄の代表的な墓は、形が亀の甲羅に似ているため「亀甲墓」と呼ばれる。 小さくても、墓内部は6~8帖もある。 これ、女性の子宮を表わし、墓の入り口を産道に見立て「人は母の胎内から生まれ死ぬと又帰って行く」という母体回帰の考え方。

門中墓
門中(一族)で所有する墓。
沖縄の風習では、死去するとまず仮墓に葬られ、3年後に洗骨をして墓に安置される。 80歳以上の者や門中に功労した者は、直接墓に葬られる名誉に浴す。 自殺者や7歳未満の者は一門の不幸として別扱い。 墓の大小で家の格が決まり、自分の墓より大きな墓の家からは嫁を貰えなかったそうだ。

来世の幸せのため、現世で住んでいる家よりも立派な墓を建てるのが風習。 人が住めそうな程大きくて奇麗な墓に、驚き。
閑話
あいういう

さんぴん茶(ジャスミン茶)

「沖縄の発音には“え”と“お”がなく、“あいうえお”は“あいういう”となる。
心(こころ)→kokoro→kukuru→くくる
門(もん)→mon→mun→むん・・・母音のeとoがiとuに変化するという。

沖縄には独特な古語がある。
とんぼ→あけず
うそ→よこし→ゆくし(現在の言い方)

音訓入り混じりの沖縄流の重箱読み
国場(こくば)→こく(音読み)ば(訓読み)

以降は、県外の我々には謎々の世界。
南風原(はえばる)→南原(ばる)が首里城の南にあるという意味
豊見城(とみぐすく)→豊見(とみ)で城(ぐすく)
西表(いりおもて)→太陽は東からあがり西へ入るので西(いり)
東江(あがりえ)→太陽が東からあがるから東(あがり)

沖縄民謡に、ドレミファソラシドの“レ”と“ラ”がない。 琉球独自の旋律は、そのせいか。
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